はじめに

 東大寺の大仏の正式な名称を御存知だろうか。

正しくは、毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)という。毘盧舎那とは、インドの梵語の発音をそのまま漢字に置き換えたもので、「宇宙全体に遍満している光」という意味である。つまり、毘盧舎那仏とは「宇宙全体に遍満する無限大の仏」ということである。

「華厳経」は、毘盧舎那仏について説明しているが、毘盧舎那は、仏としては阿弥陀や釈迦とは異なる存在で、宇宙全体を貫徹している原理を具しているものであるとしている。

「華厳経」の理論が、大仏蓮華座の線刻画に表わされている。大仏が高さ16mもの巨大さを要求された理由がわかる。蓮弁には、高さ64cmの阿弥陀が描かれている。さらに、その下を拡大して見ると、高さわずか1.6cmの釈迦が描かれている。つまり、次の等式が成り立つのである。

 毘盧舎那:阿弥陀:釈迦=1000:40:1=16m:64cm:1.6cm

 毘盧舎那仏は、人間である釈迦の千倍の大きさ、西方浄土から巨大な姿で来迎する阿弥陀の二十五倍の大きさを有しているのである。

 治承四年(一一八0)十二月二十八日、天平の御世に創建された大仏が、平家の手によって焼かれ、大仏殿もろとも灰燼に帰した。朝廷にはこれを復興する力はない。この時立ち上がったのが、俊乗坊重源という一人の老僧である。

重源、この時六十一歳。

彼は、勧進という、人々から寄付を募るやり方で、さまざまな苦難に遭いながらも、残り二十五年の生涯を通して、見事東大寺復興を成し遂げた。

 本来なら国家がなすべき大事業を、一介の僧侶がなした奇跡。それでは、話を始めよう。

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