ガイド】世界の史跡を巡る20 台湾縦断〜一級古跡×14+国定古跡×13+国宝×26 久田巻三

 平成29年12月3日から4泊5日で、台湾に行ってきました。

 京博4連チャンの計画を立てている最中、JALのホームページをチェックしていると、「今だけ全便キャンペーン」なるものに気づいた。1月末まで、世界中のJAL便が対象だ。

 必要マイル数は、通常のディスカウント期間と変わらないが、特典航空券では対象外の羽田発着便がOKである。なので、当初は韓国に行こうと計画していた。

 ところが、北朝鮮情勢が日に日に険悪となっていくので断念し、台湾に変更した。やはり、通常の特典航空券では対象外の羽田便や高雄便が使えるからだ。飛行機代は、16000マイルを使ったのでかからなかったが、燃油サーチャージ1000円と空港税5000円は別途必要となる。

 平成29年12月3日(日)08:35羽田発JL097に乗り込む。WEBチェックインしていたので、30分前に保安検査場に行ったが、長い行列ができている。係員に訴えて、10番優先レーンに入れてもらう。ところが、搭乗口に行くと、出発は25分遅れとの表示。JALにしては珍しい。

 11:40台北(松山)着、の予定が、遅れはそのままに12:00着。時差は1hである。入管では、指紋を取られた。両手の人差し指を撮るのだが、右手の指がガサガサのためか、なかなか通らない。5回目でやっとOKが出た。

 この旅の予定だが、今日は、市内北部の淡水、八里を訪れる。明日、基隆を往復してから市内見物をする。明後日から南下を始め、最後に高雄から昼行便のJALで帰国する。

 空港出口の銀行で両替をする。1万円が255ニュー台湾ドルだったので、1$=3.9円である。以後、現地でかかった費用は全て$表示とするので、4倍してもらえれば、日本円の価格になる。

 空港駅の地下鉄(以下MRTと表示)のインフォメーションで、台北パス2日券310$とiPASS100$を購入する。前者は、市内のMRT・バスが乗り放題のパスである。後者は、日本のSuicaと同じICカードで、本体代が100$である。台湾国鉄である台鉄全線が10%引き、また、高雄MRTが15%引となる。予め500$を券売機でチャージしておいた。

 なお、市内のMRTやバス車内は飲食禁止なので、注意のこと。罰金は5000$という。

 12:30文湖線(動物園行)に乗り、まずはホテルに向かう。4☆、朝食・浴槽付2泊で17000円である。荷物を置き、コーヒーで一服してから、いざ出陣。

 暑い。平年の台北の最高気温は21℃である。東京は一桁だったので、シャツ1枚でも汗がにじみ出る。なのに、現地の人は、ほとんどがダウンを着ている。ちなみに、台湾の旅行ベストシーズンは10月〜1月である。

 MRT赤線の終点淡水で下車し、バス紅26(36,38号、836 、837、857 も可)に乗って淡水紅毛城に向かう。一級古跡@である。日本でいうところの特別史跡に当たる。台湾本島に20、離島に4の計24件ある。

 なお、台湾に世界遺産はない。国連(ユネスコ)が、台湾を独立国と認めていないからだ。中国政府は、「一つの中国」を主張しているが、台湾にしてみれば、中国本土も、本来は台湾のものだと言いたいだろう。戦後しばらくの間は、そういう建前だったし、国連も認めていた筈だ。

 80$を払って城に入場する。実は、ここは明日訪れる予定だった。ところが、出発直前に第一月休と気付いて、計画を組み直した。月一回の休館日に当たるとは。でも気付いてよかった。

 1629年、スペイン人が「サンドミンゴ城」として木造の城を築いたのが最初である。その時の遺構は、現存しない。その後、オランダが奪い、アントニオ城として再構築することになる。さらに19世紀末になると、イギリスが清から租借し、英領事館とした。内部も公開されていて、食堂などは、先々月行った神戸の異人館とそっくりだ。

 チケットには、滬尾砲台(こび)、リトルホワイトハウス(小白宮)も入っている。前者は、北へ895mの標識があったので、城の北端から遠望したが、見つけられなかった。行ってみるしかないだろう。後者は、南500mにあるので、帰りに寄ることにしよう。

 すぐ来たバスに2停留所分乗り、そこからは5分ほど坂道を登れば、北門に至る。1884年の清仏戦争の後に構築されたものだ。二級古跡だったのが、近年国定古跡@に昇格した。1997年以降は、一級古跡の新指定はなく、全て国定古跡としているようだ。本島に16、離島に3の計19件ある。

 門をくぐると、広場がある。テニスコート3面ほどの広さがあり、周囲を土塁に囲まれている。敵に見つからないように、密林の中に設置してるので、やはり離れた所からは遠望できなかったようだ。

 砲座の跡も残っていた。10m四方の円形で、アームストロング砲を設置していたという。

 帰りは、バス836路がちょうど来たので、坂を歩かないで済んだ。もうひとつの小白宮を見るため、淡水老街入口で降りる。だが、標識が見当たらず、場所がわからない。道行く人に尋ねたが、「皆知らない。」という。税関士官邸ということだが、特に古跡の指定はないようだ。砲台でもらった日本語の地図によると、丘の中腹にあるようなので、諦める。

 淡水老街から渡し舟23$に乗り、対岸の八里に渡る。今日は日曜日なので、人出がすごい。台北市民の格好のピクニックエリアなのだろう。バンド演奏などもあって、無数の屋台が出ている。

 渡し舟には長い行列ができていた。30分並び、2本目のフェリーに乗る。

 船中からは、小白宮を見ることができた。やはり中腹にあった。たしかにリトルホワイトハウスだ。

 対岸は目と鼻の先なので、5分もあれば着くだろうと思っていたら、船は河口近くまでUの字を描いて大幅な遠回りをした。何でかな?

 と考えていたら、川の中央に、細長い中州が延々と横たわっているのが目に入った。

 そうか。ここで、「地球の歩き方」に書いたあった記事を思い出した。淡水港は、日本の幕末期と同様、西欧列強の圧力で開港させられた。国際貿易港として繁栄を極めたが、その後土砂が堆積して大型船の入港ができなくなり、明日行く基隆港にその地位を譲った、という話だった。

 20分後、八里の左岸碼頭に接岸した。ここもすごい人出だ。これより、一級古跡の大ふん(分の下に土)坑遺跡に向かうのだが、事前検索では情報が得られなかった。日本語のホームページはおろか、中国語のホームページもほとんどなかった。私の乏しい中国語力で理解できたことは、BC5000年の旧石器時代の遺跡で、人骨が出土していること、また、現在は墓地になっていることぐらいである。グーグルマップには、最寄りのバス停と路線番号が出るので、とりあえずそこまでは行ってみるつもりだ。

 ところが、埠頭のバス停には、928号という路線も、中華埠頭二街というバス停も見当たらなかった。10枚ぐらいある路線図を丹念に追った結果である。グーグルの情報が古いのだろう。

 古跡は、背後の山の中腹のどこかにあるのだろうが、アクセスする手立てがない。フェリーのタイムロスで、日没まであと30分もないし、諦めよう。

 紅13バスでMRT関渡駅に出て、ホテルに戻る。夕食は、スモークサーモン炒飯セット(サラダ、スープ、ジュース、デザート付)330$を食す。支払は、VISAのほかJCBも可だった。これは、この先も同じだった。ヨーロッパと違い、日本の影響力が強いのだろう。今日の万歩計は、10000歩。

 平成29年12月4日(月)2日目。朝食後、07:20出発。ちなみに、日の出06:00、日没17:00で、平年の最高気温20℃、最低気温15℃である。今日は、朝一番で台北市の東隣にある基隆市の古跡を回ってから、また台北に戻り、市内見物をする。

 MRTで松山駅に出て、08:08台鉄の区間車(各駅停車)に乗る。MRTと台鉄は地下でつながっている。

 列車は左側通行だった。ちなみに、車は右側通行である。

 08:54基隆着。iPASSで乗ったが、32$のところが29$だった。間違いなく1割引きだ。

 南站に出ると、一番手前の停留所に、09:00台湾好行龍宮お宝探し東岸ラインがやってきた。台湾好行とは、観光地にのみ運行されている路線だ。運賃は15$だが、台北パスだと無料である。事前に台北パスの日本語のホームページを検索した際には、無料路線に入っていなかったが、最近含まれるようになったようだ。

 バスは、つづら折りの山道を登る。09:17役政公園で下車。頂上近くのバス停だ。そこから北へ10分ほど歩くと、基隆二沙湾砲台(海門天険)に到着。一級古跡Aである。1840年のアヘン戦争時に、基隆湾防衛のために構築されたものだ。

 東砲台から遊歩道を進む。レプリカの大砲が一門設置されていた。眼下には、基隆港が広がり、その背後には和平島が遠望できる。台湾に13ある国家風景区の一つとして、近年、北海岸および観音山国家風景区の一部に拡大指定されている。

 兵が駐屯する広場は、テニスコート1面ほどの広さしかなかった。砲台は、数ヵ所に分散配置されているようだ。

 ここから東2.5kmには、国定古跡の槓子寮砲台もあるのだが、見つけられなかった。やはり、樹木に隠されているのだろう。インターネットでは情報が得られなかったので、訪問は諦める。

 遊歩道をさらに北砲台まで進み、そこからバス通りまで下る。一周約10分であった。

 昨夜の雨で滑りやすくなっている階段を慎重に下りる。10分で、海門天険バス停に到着した。すぐ来たバスで基隆駅まで戻る。なお、往きに駅の停留所で、バスの運転手に「海門天険に行きたい。」と尋ねたら、このバス停を通る路線の乗場を教えられた。ここから砲台まで登るのは大変である。

 駅前には、飛鳥Uが停泊していた。基隆港は、この巨船を受け入れるに十分な水深を今でも有しているということだ。それにしても、よく旅先で出会うな。

 10:18基隆発の区間車で、11:00松山に戻る。MRT緑線で1駅の南京三民駅で途中下車し、南400mにある国定古跡の台北機廠(旧台湾総督府鉄道部交通局台北鉄道工場)を遠望する。だが、ビルが林立していて見えなかった。1935年の設立だが、今後鉄博として整備公開される予定だという。大宮や名古屋の成功に触発されたのだろう。その時までの楽しみに取っておくことにしよう。

 MRT緑線の北門駅で降り、台北府城の北門に向かう。東門・南門・小南門とともに一級古跡Bである。1884年の清代に造られたものだが、当時のままなのは、この北門だけである。

 続けてMRT緑線2つ目の中正記念堂で降り、台北府城の南門を見る。日本統治時代に破壊され、中華民国が再建したものだ。たしかに新しい感じがする。なお、西500mにある小南門は、横からだったので見えなかった。ちょっと離れているのでパスする。

 これより日本統治時代の国定古跡の建物9件を網羅する。1km四方ほどのエリアに散在しているので、徒歩で巡る。

 南門のすぐ南にある専売局(煙草酒公売局)Aは、1913年の建立である。内部は非公開だ。

 西200mにある厳家淦先生故居Bは、1915年の建立だが、「謝絶」の張り紙がしてあった。厳家淦は、1975年に蒋介石が死んだ後、中華民国総統を引き継いだ政治家ということだ。八角の塔がある。

 北200mにある司法大厦Cは、1934年の建立である。やはり非公開だ。

 台湾総督府(総統府)Dは、1919年の建立である。ここも非公開だ。

 正門前から東500mに台北府城の東門が見えたので、立ち止まって写真を撮ろうとしたら、すぐに私服警官がやってきて、「去れ」という。見ると、10m間隔に人が立っている。ものものしい警戒態勢だが、何かあるのだろうか。現政権との対立?

 仕方ないので、道路の反対側に回って、台湾総督府(総統府)を再度撮る。

 北東500mにある台北賓館Eは、塀が高く、中はほとんど見えず。1901建立の日本統治時代の迎賓館だが、門の隙間から一部だけ見えた建物がそれなのかはわからない。月1回だけ公開されるようだ。

 北西300mの台湾総督府博物館(国立台湾博物館)Fは、1915年の建立である。拝観も可能(30$)だが、月休である。

 北東500mの監察院Gは、1915年の建立だが、修理中であった。

 北向いの行政院Hは、1940年の建立である。MRT緑線を降りてから、ちょうど1hかかった。万歩計は、10000歩を超えた。ちょっと足に来たこともあり、最後の方は説明がおざなりになってすみません。それにしても、日本人が建てた、明治・大正期の建物がよく残されている。

 台北駅からMRT赤線に乗り、円山駅で下車。一級古跡Cの円山遺跡に向かう。これも、インターネットの事前検索では情報が全く得られなかった。四半世紀前に買った山川出版社の「台湾の歴史散歩」によれば、BC1500年頃(日本の縄文後期)の貝塚という。グーグルマップでは、東へ10分の市立美術館の向かいにある。

 駅を出ると丘陵が見えたので、近づいてみたが、何の案内表示もなかった。麓は、いくつかの建物を復元した、ちょっとした公園のようになっていたが、貝塚の痕跡は全くなかった。この丘のどこかだと思うが、今は埋め戻されているのだろう。諦めるほかはない。

 本日最後のメーンイベントである故宮博物院に向かう。市立美術館のバス停からは、北行のバスが頻発していた。思った通りだ。MRTの駅まで戻らなくていい。

 乗り換えの士林官邸バス停で降り、先に国定古跡Iの蒋介石宋美齡士林官邸を見ておく。1950年の建立である。正館は、広大な敷地の最奥にあったので、15分ほど歩かされた。入場料100$だが、月休である。敷地に比べて、屋敷はこじんまりした感じだ。

 園内は、菊展が開催されていて、家族連れやオバちゃんたちでごった返していた。

 紅301バスに乗り、故宮博物館に向かう。雨がポツポツ降ってきた。

 15:00ちょうどに入場。250$と、台湾にしてはちょっと高めだ。開館時間は08:30〜18:30(金土は21:00まで)。 ロッカーに荷物を預けるのに10$コインが必要だったが、小銭は重たいので、全部チャージしてしまっていた。そこで、窓口で100$札を両替する。後で気付いたのだが、5$少なかった。台湾でもこういうことが起こるのか。単なるミスだったと信じたい。

 210,212室で、「国宝の誕生−故宮書画精華−」後期展を12月25日までやっている。台湾には国宝が184点あるが、そのうちの24点が展示されるという、又とない機会だ。ちょっと長くなるが、以下に全国宝を簡単に紹介しておく。

 「唐 韓幹 牧馬図」 は、黒馬にまたがる武人の絵だ。

 「宋 燕文貴 奇峰万木」は、丸く切り取った2枚の紙に、それぞれ詩と山水図が描かれている。

 「宋 四家法書」は、4編の書だが、それぞれ個性がある。字が太かったり細かったり、濃かったり薄かったりといった具合だ。

 「元 衛九鼎 洛神図」は、天女が団扇をあおいでいて、なまめかしい。

 「元 張雨題倪?(王へんに賛)像」は、台の上に座す大夫が、両側に若い男女を従えている。太刀持ちと露払いといったところか。

 「元 王蒙 具区林屋」は、山水図なのだが、モザイク画のようだ。不思議な画法である。

 「元人 応真像」は、十六羅漢図が2セットある。

 「明 辺文進 三友百禽図」は、竹の枝に、セキレイのようなカラフルな鳥が何羽も止まっている。

 「明 戴進 渓橋策蹇図」は、屹立した峰が迫力満点だ。

 「明 唐寅 渓山漁隠」は、葉っぱの描写が細かい。5年前に東京国立博物館に2h並んで見た清明上河図によく似ている。

 「明 仇英 秋江待渡」は、峡谷を題材にしているが、川がゆったりとうねって流れている。

 「清 王? (羽の下に軍)夏山烟雨図」は、山水長巻だが、雪舟を思い起こさせる。

 「清 画院 画十二月月令図 十二月」は、豪邸の図だが、背後の山に雪が積もっているのを墨で描き出している。すごい技だ。

 「晋 王羲之 遠宦帖」は、まさに書聖の真筆。力みが一切ない、というよりも、そこに字が書いてあるという気配さえない。

 「五代人 秋林群鹿」は、紅葉の中で鹿が数頭遊んでいる図だ。

 「宋 徽宗 文会図」は、9人の文人が卓を囲んで食事をしている図だ。脇で童が2人給仕をしている。多くの色が使われていて、展示作品の中で最も見栄えがするが、それでもかなり退色している。本当に皇帝の直筆だとしたら凄いことだ。

 「宋 蘇漢臣 秋庭戯嬰図」は、屹立した山の麓に咲く花の下で、2人の童がままごと遊びをしている。不思議なテーマだ。

 「宋 高宗書女孝經馬和之補図上卷」は、柳腰のほっそり美女の図鑑だ。数十人のブロマイド集といったところか。

 「宋 牟益 擣衣図」 は、逆にふっくら美女のオンパレードだ。

 「宋人 画如來説法図」は、5人の弟子(菩薩あるいは羅漢?)が、如来の説法を聞いている図だ。

 「宋人 江帆山市」は、山水図だが、帆を膨らませている小舟がアクセントになっている。

 「元 高克恭 雲横秀嶺」も山水図だが、ぼかして描く画法が、またすごい。

 「元 王淵 松亭会友図」は、高木の上部の枝が、左右に広がっている図だ。不安定感が逆にインパクトを与えている。

 「元 張雨 書七言律詩(登南峯絶頂)」は、各文字の払いが長い。また、「月」の字が傾いているのもいい。

 以上が特別展の全国宝24件だが、もう一つ、国宝の特別展がある。「南北の故宮に国宝が一堂に会す」を302室でやっていて、碧玉白菜と肉型石が、11月2日〜展示されている。前者は、3年前に東京国立博物館に3h並んで見た。後者は、九博のみの展示で東博には巡回しなかったので、見ていない。

 何だ。ガラすきではないか。しかも写真OKという。急いでカメラを取りにロッカーに戻る。

 碧玉白菜を目の前で見る。東博では遠くからしか見せてもらえなかった。

 キリギリスをよく見るため、横にも回る。詳細は、3年前の見聞レポート参照のこと。

 肉型石は、清代の製作でメノウを加工したものだが、どう見ても豚の角煮だ。こちらも、横から撮る。

 ほかに、301室の公鼎などの青銅器、207室の龍耳瓶などの青白磁もざっと見て、一周1.5hかかった。最後に、至善園を日没前に見ておこう。

 正門に戻る。雨が強くなってきた。入口はすぐ東側にあるのだが、門が閉まっている。月休だったか。事前調査不足! 広大な庭園ということだが、又の機会ということで。

 バスとMRTを乗り継いでホテルに戻る。今日の万歩計は、18000歩。この年齢で、まだこれだけ頑張れるんだ。前述の通り、今日が月一回の淡水紅毛城の休館日に当たってしまったため、2日間の負荷分散がうまくできなかった。次回からはこういうことのないように。

 夕食は、肉飯セット250$を食す。先ほど故宮博物院で見てしまったので、食さざるを得まい。豚の角煮がふんだんに載っていて、しかも安かった。

 平成29年12月5日(火)3日目、雨。台北の予想最高気温は17℃。寒波が来ているとのこと。今日は、古跡を拾いながら台南まで南下する。途中の新竹の最高気温は18℃だが、新竹以南は晴れの予報。宿泊地の台南は23℃だ。北回帰線を超えた熱帯にある。寒波は、当方にとっては好都合である。

 07:30チェックアウトし、08:13台北発の自強号109に乗る。全席指定だが、iPASSで乗車したので、空いてる席に座ることになる。途中駅から乗ってきた人も、大半は席を予約していないようだ。ほぼ満席であるが、降車する人と乗車する人のバランスがうまく取れている。この旅で、指定を取っている人に席を替わったのは一度だけであった。

 09:22新竹着。iPASSを改札機にタッチすると、177$のところ110$だった。1割引きどころではない。4割引きに近い。どういうこと?

 自強号は、区間車の1.5倍の運賃である。日本のような特急料金という制度はない。iPASSだと、70kmまでは区間車と同じ運賃で、それを超えた分は1.5倍となる。おそらく台北−新竹は70kmぐらいだろう。ということは、2/3の運賃の、さらに1割引きということか。本日の行程のように、細切れに乗り降りすると、かなりお得になるということだ。

 なお、車内の電光掲示板には、「プユマ号とタロコ号の高速自強号は、iPASS等のICカードはダメ」と流れていた。

 車内検札も来たが、カードを見せるだけである。

 トップスピードは、120kmぐらいか。京急の快特並みだ。

 恒例の携帯マナー国際比較をしよう。3つ後ろの席のおっちゃんが、歌謡曲を生で流している。耳が遠いからか、音が大きい。前方のオバちゃんも、大声で長電話をしている。回りで眉をひそめている人はいないようだ。年寄りの傍若無人な振る舞いは、台湾では許容されているのか。若い人は、ちゃんとイヤホンをしている。

 さて、新竹駅は、国定古跡Jである。日本人建築家によって1913年に建てられた、台湾最古の建物だ。鐘楼がいい。

 北200mにある竹塹城迎曦門は、2級古跡である。1829年に建立された城の東門である。

 正面に回り、ロータリーの中の門を撮る。

 さらに北西に200m歩くと、新竹州庁があらわれる。これも国定古跡Kである。1915年の建立で、赤レンガがいい。

 駅に戻り、10:13自強号115で、11:33彰化着。237$のところ138$だった。やはり約4割引。これより、市内の孔子廟を見た後、鹿港までバスで往復する。ロッカーが駅出口にあった。20$と安いが、コインのみ可だ。

 まずは、東南800mにある彰化孔子廟に向かう。1726年の建立で、一級古跡Dである。入口の門を抜けると、さらに門と回廊がある。中心の大成殿は、あちこちに龍の彫刻が施されている。建物は復元だが、石欄干には往時の面影が残る。内部も拝観可能であった。

 来る際に見つけておいた最寄りの台湾銀行バス停から鹿港に向かう。と、ちょうど一台が目の前を通り過ぎてしまった。

 バス停に時刻表はない。

 10分待っても来ない。通行人に確認したが、ここでOKという。

 「地球の歩き方」には、バスは頻発していると書いてあったが、それは駅間の話だろう。たしかに彰化客運が8路線ほど運行しているが、双方の市内ルートが分かれていて、ここを通るバスは、6933、6934の2本だけだ。

 200mほど東に大通りが見える。別のバス停があるかもしれないと思って行ってみたが、見当たらなかった。くたびれ儲けだ。異国の地で、「もしかしたら」で動いて、うまくいった試しはない。以後注意のこと。

 結局20分待って6933に乗車。30分後、鹿港市内の火車站前で下車する。47$のところ22$だった。iPASSだと、基本料金25$が免除されるようだ。これより市内を1kmほど徒歩で回る。

 風が強い。寒波の影響か。ゴーグルは、花粉の季節じゃないので、持ってきていない。やはり必要だったか。

 バス停の西200mに鹿港龍山寺がある。一級古跡Eで、1786年の建立である。

 2番目の立派な門をくぐると、左右に樹齢210年の古木が立っている。

 おっと、門の上の八角形の天井を見落としてはいけない。繊細な細工だが、釘を一本も使っていないという。色彩もかなり残っている。

 本堂は、四進三院の建築様式という。柱と建物の構成をいうのであろう。内部には、金の仏像が鎮座していた。

 北へ300m進み、九曲巷を通り抜ける。名前の通り、曲がりくねった300mほどのレトロな路地だ。強い風や砂を防ぐためだという。

 そうか、ここは海が近いから風が強いのか。鹿港は、清代には台湾三大港の一つ(他は台北と台南)として大いに栄えたという。だがその後、鉄道の開通で取り残されてしまったようだ。

 南側入口には、意楼という古い建物がある。塔のようなものが立っているから楼と呼ばれているのだろう。路地の途中には、十宣楼というのもあった。十数人のツアー客が、ツアコンの説明に耳を傾けているが、私には中国語はわからない。何かしらの由緒はあるのだろうが。

 最後のカーブを抜けると、第一市場という昔ながらのマーケットに出た。

 近くの中山路という大通りに、市場前というバス停があったので、ここより戻る。やはり往きと同じ2路線のみで、15分ほど待った。

 14:35彰化着。実はこの後、新幹線で故宮博物院南院に行く予定だった。そのためには14:25の区間車で高鉄台中に戻らなければならなかったのだが、10分ほど間に合わなかった。南行の自強号も、たった今出たばかりだ。と思ったら、目の前に入線してきた。電光掲示板を見ると、4分遅れの表示。1hに1本しかないので、迷わず飛び乗る。ラッキーだった。

 南院は、高鉄嘉義からシャトルバスで7分のところにある。新幹線は、街中を走っていないが、南院は、唯一駅近くにある見所である。12月末迄、故宮博物院の半券で250$の入場料が無料となるキャンペーンをやっている。しかも、台北で見た「南北の故宮に国宝が一堂に会す」展の片割れをやっていて、水仙盆、嬰児枕、象牙球の3点の国宝が見られる。まさに、絶好の機会だったのに、残念。インターネットには彰化客運バスの時刻表が載ってなかった(というより元々ない)ので、タイムロスを読み切れなかった。仕方がない。

 16:20台南着。323$のところ256$だった。距離が長かったので、割引率は落ちる。ここで一つ発見したことがある。残額が−59$と表示されたのだ。マイナスでもゲートは開いた。本体カード代100$までは、当座貸越ありなのか?

 駅前のセブンイレブンでチャージする。手元に1000$札しかなかったが、「200$」と言うと、お釣りをもらえた。コンビニはあちこちにあるので、日本のSuicaよりも便利だ。なお、コンビニでは貸越は不可だった。台鉄のみの例外措置のようだ。

 台南駅も国定古跡Lである。1936年の建立だ。今日は、市内のホテルに泊まる。4☆、朝食浴槽付で7300円だが、貯まっていた予約サイトのポイントを利用したので、タダだ。

 コーヒーサービスで一服した後、夕食をとりにレストランに行ったが、まだ開いていなかった。日本時間で行動していると、1時間の時差は結構大きい。仕方ないので、部屋の窓から看板の見えた定食屋に入る。180$均一で、海鮮丼、サバの塩焼きなど、日本の定食が食べられる。広い店内は、多くの若い人たちで一杯だった。私は、天ぷら定食を注文する。

 箸がないので、御膳のあちこちを探していると、隣席の女学生が、日本語で教えてくれた。箸とサラダ、お茶は自分で取って来る方式だった。

 台湾は実に親日的だ。韓国とはえらい違いだ。同じ植民地支配を受けたのに、何故だろう。昨日から見てきた国定古跡の建物はちゃんと残っているし、農業用ダムなど、現役の施設もある。建設した日本人は、今でも現地の人に顕彰されている。

 蒋介石や国民党による台湾支配が、それほどひどかったということなのか。また一方、国民の目を外に向けさせようとする韓国政府の思惑もあるのだろうが。

 さて、天ぷら定食だが、大きなエビ3尾と数種の野菜の天ぷらが入っていて、日本で食べるのとほとんど変わらなかった。ただし、天つゆは甘い。というか、ダシが効いてない。かつお節や昆布は、台湾には受け入れられなかったのかな。今日の万歩計は、9000歩。

 平成29年12月6日(水)4日目。本日の最低気温16℃、最高気温24℃で、晴れ時々曇りの予想。相変わらず、寒波が来てるようだが、こちらとしては望むところだ。今日は、市内に散在する一級古跡を回ってから、高雄に移動し、最後の夜を過ごす。

 インターネットには、市内バスの時刻は載っていないので、台湾好行で計画を立てていた。そのため、09:00出発と遅い出陣になっていた。ところが、昨日、駅の路線図を調べてみると、他にも多くのバス路線が各地の古跡を通ることがわかった。そこで、08:00前にチェックアウトし、ホテルに荷物を預けてから北駅のバスターミナルに向かう。ちょうど5路バスが、あと3分で来る。時刻表はないが、電光掲示板に到着までの時間が表示されるシステムになっている。

 市内南部の体育公園で下車し、五妃廟に参拝する。一級古跡Fで、1746年の建立である。バス料金は、iPASSで、18$のところ15$だった。08:00〜開いていて、無料である。

 清が台湾に侵攻した際、亡命していた明王朝の末裔である寧康王が追い詰められて自害した。これを察した5人の后は、王よりも先に命を絶ったという。内部には5体の人形が安置されていた。

 同じバスで市内中心部に戻り、赤嵌楼を見る。一級古跡Gである。バス料金は9$だった。乗り継ぎという扱いになり、正規料金から9$引となるようだ。以後のバスも、すべて9$だった。

 08:30〜開いている。入場料は50$なのだが、市内5施設のセット券150$というのがあったので、そちらを購入する。もともと3ヶ所は回る予定だったので、損はない。

 赤嵌楼は、オランダ人がこの地を原住民から二束三文で買い取って、1653年に建設したプロビデンシャ城が始めである。当時は紅毛城と呼ばれた。スペイン・ポルトガルは南蛮人で、オランダは毛が赤いから紅毛人だ。その後、1661年には鄭成功が奪取している。日本人を母に持つ彼の活躍は、近松門左衛門の国姓爺合戦で知られている。

 後年、清朝によって建てられた海神閣と文昌閣の脇を進むと、その背後にオランダ時代の遺構があった。レンガ造りの壁の一部が残っている。北東隅に設けられた堡塁の跡のようだ。

 最奥の階段を降りると、主砦の城壁が見られる。これも当時のものだ。相当古く、波打っているのがわかる。

 西側に回ると、正門があったが、現在は壁でふさがれている。その前には、足がとれてコンクリートで補強した石馬もあった。

 一周約20分だった。出口で、再度海神閣を撮る。

 道路を挟んで南向かいにある、祀典武廟にも立ち寄る。1690年に建立された関帝廟で、一級古跡Hである。内部には金の像が祭られていた。北隣には大雄宝殿も並んで建っているので、間違えないように。

 西隣の大天后宮(寧靖王府邸)も参拝しておこう。一級古跡Iである。1664年に明の王府として建立されたものだが、その後、媽祖廟に改造された。海の女神は、黄色の服をまとっている。

 09:23台湾好行88路がちょうど来るところなので、西郊外にある安平古堡と億載金城をやっつけることにする。88路は1時間毎の運行だ。

 09:55安平古堡着。台湾城跡(安平古堡後)として、一級古跡Jである。入口は南側にあるので、5分ほど歩く。入場料50$だが、先ほどのセット券で入る。なお、入口の南側の安平路には2号路のバス停があった。北側の安北路のバス停と500mほど離れているので注意のこと。

 安平古堡は、1640年にオランダ東インド会社がこの地を占領し、ゼーランディア城として建設したものだ。

 まずは、展望タワーに登り、全体を把握する。だが、城域がよくわからない。遺構があまり残っていないのだ。眼下には、半円形の内郭城壁とレプリカの大砲が見える。また、西側には台江國家公園の樹林や海が遠望できる。

 タワーを降り、先ほどの半円形に行ってみる。砲台の跡が一部だけ復元されている。内側には井戸もあった。

 博物館の横の城壁が、唯一オランダ統治時代のものだという。レンガ壁には、ガジュマルの根が絡み付いている。なお、博物館には、出土した陶器の破片などが展示されていた。

 当初栄えていたこの城も、清朝時代に入ると、台江が土砂で埋まり、港としての重要性を失うこととなった。そのため、この後行く億載金城に取って変わられることになる。初日に行った淡水と同様の運命をたどったようだ。

 元のバス停まで戻り、すぐ北にある安平樹屋にも立ち寄る。当初は予定していなかったが、セット券に入っていたので、ついでに見る。

 製塩会社の倉庫が荒れ果て、ガジュマルの生い茂るままになっている。2階にも登れるが、屋根を突き破っている生命力豊かな姿を見ることができる。

 手前の徳紀洋行は、イギリス人が建てた貿易商社だ。茶葉の輸出をしていたという。内部も公開されている。

 奥のブリッジ歩道を5分ほど行くと、台江の運河を展望することができる。外国商船が行き交っていた往時をしのぶよすがもなく、今はただマングローブの林と化している。

 11:20台湾好行88路で戻り、11:27億載金城で下車。二鯤?(魚偏に身)砲台(億載金城)として、一級古跡Kである。ここも50$だが、セット券で入る。

 1871年、日本の台湾出兵に備えて建設されたものだ。明治初期のことだ。

 水堀を渡って門を抜けると、サッカー場の半分はある広大な敷地が広がる。1500名の兵士を収容できたという。この城は、四隅に稜塁という出っ張りを有する、いわゆる四稜郭である。

 海側の扶塁に登ると、ここにもレプリカのアームストロング砲が設置されていた。

 当時のものとしては、城壁の一部と、兵舎の基礎が発掘されている。後者は、ガラスで保護されていた。

 一周して30分ほどかかった。

 下車してから40分後の2号路バスに乗るつもりでバス停に戻ったが、到着まで4分の表示で固まってしまった。しばらくすると、67分の表示に変わった。トホホ。

 結局1本次の12:27台湾好行88路に乗るはめになった。市内に戻る14路、19路と、消滅したはずの2路が立て続けにやって来た。やはり、ちゃんとした時刻表が欲しい。

 なお、セット券の残り1つは、巡洋艦の見学券だった。来る途中に億載金城の裏手に見えたのだが、奥側に出口はなかったので、また15分ほど歩かなければならない。興味もそれほどないのでパスする。

 市内中心部の孔廟で降り、最後に台南孔子廟を見る。一級古跡Lである。25$を払い、入場する。

 1665年に鄭成功の息子が建立したもので、台湾最古の孔子廟である。1917年に大規模な修繕が行われ、今の姿になった。内部も公開されている。広い敷地には、他にも明倫堂など15の建物が復元されている。また、博物館も併設されていて、琵琶や琴などの楽器を見ることができる。

 ホテルで荷物をピックアップし、14:11自強号で高雄に向かう。14:39新左営着。iPASSで、86$のところ50$だった。距離が短いので4割引。

 オーラスとして、これよりバスで鳳山県旧城(北門、東門、南門)に向かう。一級古跡Mである。

 バス301路に乗り、iPASSをタッチすると、0$の表示。どういうこと?

 日本に帰ってから調べたら、2017年12月〜2018年2月までは、高雄市内のバスは無料だった。iPASSは、高雄MRTが発行しているのだが、キャンペーンを張っていたのだ。なお、悠悠カードというICカードもあって、こちらは台北MRTが発行している。台北観光がメインの人は、こちらを選択する方がいいだろう。

 15分ほど乗って、蓮池タンで下車。大きな池の畔に、鳳山県旧城の解説板があった。中文と英文の説明文を交互に読む。どうも目の前の壁が、城壁のようだ。清代の1825年に造られた土の壁だ。高さは4mほどある。ここには北門があったはずなのだが、あたりには見当たらない。

 とりあえず、北200mに見える竜虎塔まで歩く。高雄随一の名所ということで、観光客が多い。だが、当方のお目当ての北門は見つからない。これで、この旅を締めくくるというわけにはいくまい。

 そこで、1kmほど離れた所にある東門(鳳儀門)を見に行くことにする。大きな駐車場の脇を抜けて10分ほど歩くと、城壁が見えてきた。どうも修復されたもののようだ。

 城門は、完全な状態で残っていた。当時のままなのは、この東門だけだという。

 門の外に出て、城外から再度撮る。城壁がカーブを描いていて、その外側が空堀になっているのがよくわかる。

 近くに301路のバス停があったので、最寄りのMRT駅に出て、今宵のホテルに向かう。MRTは、20$のところ17$だった。たしかに15%引きである。

 途中、美麗島駅(高雄駅の次)で下車し、駅構内のステンドグラスを撮る。JTBのパックツアーの観光コースに入っていたので、寄ってみた。たしかに綺麗ではある。

 この後、市内南部郊外にある国定古跡の鳳鼻頭遺跡にも行く予定だったが、ここもインターネットでは情報が得られなかった。この旅の経験上、無駄足になることは明白なので、パスする。6000年前の新石器時代の遺跡ということだ。国定古跡については、この鳳鼻頭遺跡以外の本土にある16件は全てトライしたので、ちょっと後ろめたい気はするが。

 ホテルは、4☆朝食浴槽付5400円である。夜は、新堀江ショッピング街に行ってみた。だが、若者向けファッションがメインで、土産になるようなものはなかった。

 夕食は、デパ地下レストラン街で、海老ワンタン麺とデザートの豆腐420$をいただく。日本語メニューも英語メニューもなかったが、若いウェートレスが、日本語で一品一品読み上げてくれた。台湾名物を尋ねると、豆腐だというので、お薦めのタピオカマンゴーソース掛けを注文する。だが、普通の豆腐をデザートにしてしまうという台湾人のセンスには、ちょっとついていけなかった。やはり、醤油と生姜がいい。

 一方、麺は細麺で、やはりダシはなかったが、素材からのものだけで十分いけた。なお、ウーロン茶は有料で、30$取られた。今日の万歩計は、13000歩。

 平成29年12月7日(木)5日目最終日、08:00チェックアウト。MRTで空港に向かう。iPASSは、またも0$。これも後で調べたら、2017年12月〜2018年2月まで、平日の6:30〜8:30、16:30〜18:30に限り、無料だった。ならば、昨日も、あと5分待てばタダだった。プラットフォームに人がいなかったわけだ。

 高雄のMRTは、国際機場に到着する前、日本語の車内アナウンスがある。台北のMRTは、英語のアナウンスはあったものの、日本語はなかった。

 iPASSの残高を使い切るため、空港のファミマで土産を買う。

 09:55高雄JL812で、14:15成田着、の予定が10分早着。余った台湾紙幣を日本円に両替する。1$=3.24円と、2割近く目減りした。

 スカイライナーで上野に戻ったが、台北から高雄までを自強号で縦断するよりも高いとは。台湾の物価水準だが、宿泊費や食費については日本とそれほど変わらないが、交通費は一桁安い。

 台湾旅行は、あまり海外旅行をしたという実感がない。中国本土の簡体字と違い、繁体字が使われているので、意味はだいたい分かる。セブンイレブン、ロイヤルホスト、三越そごう、Times等々、日本の街の景色とそれ程変わらない。唯一のストレスは、道路が右側通行ということぐらいだ。バス乗場の上り下りは、最後まで間違えた。

 最後に、史跡巡りの総括をしておこう。国定古跡については、前にも述べたように、ほぼ網羅した。

 一級古跡については、台湾本土にある20件のうち、5件は訪れることができなかった。以下、それらの概略を紹介しておこう。

 金広福公館は、新竹県北埔郷にあり、高鉄新竹から台湾好行で行ける。だが、建物は非公開なのでパスした。客家の開拓団の拠点ということだ。開拓と言えば聞こえはいいが、原住民にしてみれば、侵略されたということになるのだろうが。

 王徳禄墓は、南院の北8kmにある。博物院を見たついでに、タクシーで往復しようと考えていたが、かなわなかった。インターネットには情報がなかったので、見られるかどうかはわからないが。山川出版社の「台湾の歴史散歩」によれば、王徳禄とは清朝の武人で、アヘン戦争時に台湾を守った英雄ということだ。

 八通関古道は、島の東西を横断する152kmの古道である。東側に一部が残っているのだが、入山許可証が必要という。一般観光客では無理だろう。

 八仙洞遺址は、台東県長浜郷にある、2万年前の旧石器時代の遺跡である。台東/花蓮から長距離バスでのアクセスとなるが、「地球の歩き方」にも載っているので、整備公開されているようだ。

 卑南遺址は、台東市にある5000年前の原住民の遺跡である。台東駅の近くにあり、こちらも整備公開されている。

 八仙洞遺址と卑南遺址は、今回は行ってない東海岸にあるので、太魯閣渓谷とともにいつか訪れたい。

  以上

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