世界の史跡を巡る23 世界一周−L.A.・メキシコ市・フィラデルフィア・リスボン・バルセロナ・アテネ・ドーハ+世界遺産×8 久田巻三

 令和5年5月8日、新型コロナウィルスは、日本の法律上5類に分類された。また、WHOも、緊急事態宣言を解除した。

 3年前、夏にポルトガル、冬にメキシコを旅行する計画を立てていたが、すべてキャンセルとなった。この間、JALのマイルは貯まりに貯まり、110,000マイルを越えている。今回、マイル利用により、どちらかは、飛行機代タダで旅行できそうだ。

 うん? 待てよ。

 一筆書きで、両方カバーできないか? たしか、ワンワールド特典航空券は、総旅程距離2万マイルまでは、90,000マイルで行けたはずだ。

 さっそく、JALのマイル計算機のホームページを開く。さらに、地球儀を取り出し、糸を垂らして、最短ルートを探る。以下、数字は、都市間のマイル数である。

 TYO5458LAX1545MEX944DFW1298PHL3450LIS319MAD1478ATH1838DOH5143TYO=21473マイル。

 2万マイルを少しオーバーしてしまった。やはりダメか。次の区分は、2.5万マイルで、120,000マイルが必要である。ちょっと足りない。

 いや、待てよ。ワンワールド特典航空券は、地上移動区間を一つ挟めたはずだ。2万マイルをはみ出した区間を外し、別に、提携航空会社の少ないマイルで代替する手がある。

 MAD1478ATHを外し、イベリア航空の総旅程距離2千マイル、必要マイル数15,000マイルに入れ替える。これで、ワンワールド部分は、総旅程距離19995マイルとなり、必要マイル数は90,000となる。イベリア航空の15,000をプラスして、総必要マイル数は105,000だ。手持ちのマイルでまかなえるぞ。

 なお、イベリア航空は、バルセロナ→マドリード→アテネも、必要マイル数は同じなので、BCN発とした。

 これで、世界一周がつながった。12泊12日の旅の始まりだ。なお、エアラインは、燃油サーチャージのかからない、米系/アラブ系を利用した。日系/欧系だと、十数万円は取られる(イベリア航空部分は、シェンゲン協定により、ヨーロッパ内は国内線扱いとなり、燃油サーチャージは0)。

 令和5年5月9日(火)11:55羽田発アメリカン航空AA170-788に乗り込み、まずはロサンゼルスに向かう。24h前にWEBチェックインをしておいたが、あまり意味はなかったようだ。

 新型コロナウィルスのワクチン接種証明書は、念のため、デジタル庁の電子証明書をスマホに入れておいた。だが、文京区の紙の証明書でOKだった。日本出国時だけのチェックで、その後は、世界のどの国でも求められなかった。

 10hのフライトで、同日06:00LAX着。20分前には着陸したのだが、税関が6時オープンなので、機内で待たされた。

 時差は、-16h。過去に戻った。06:00になると、世界中から到着したエアラインの乗客が殺到し、入国審査は長蛇の列。1hほど並ばされた。指紋を取られるなど、9.11以来、チェックが厳しくなっている。

 なお、ESTAは、5日ほど前にインターネットで取った(21ドル2年間有効)。念のため、紙も出力して持参したが、不要だった。入管システムに反映されている。

 ターミナルB(TBIT)より、T3に移動し、無料シャトルバスG緑で、メトロの駅に向かう。今日は、市内コリアンタウンのホテルに泊まる。

 だが、シャトルバスは、なかなか来ない。エコノミーパーキング行ばかりが、次々通り過ぎる。やはり、米国は車社会なのか。安い地下鉄を利用する人は、少ないのだろう。30分ほど待たされた。

 ロサンゼルスは、人口385万人、米国第二位の大都会だ(第一位はニューヨーク)。ちなみに、この時期は、日出05:56、日没19:44、最低15℃、最高23℃である。だが、今日は寒く、現在12℃の表示。

 Aviation / LAX駅の自販機で、TAPcard$2+62歳以上片道$0.35を買う。Master/VISA/JCBカードOKだった。TAPとは、L.A.版Suicaである。これがないと、メトロに乗れない。

 なお、為替レートは、1ドル143円(直前の大黒屋での買値)である。1乗車=約50円と、ロサンゼルスの公共交通機関は、極めて安い。

 メトロC Lineは、地上区間を時速100kmほどで飛ばす。車内は、飲食・飴・音楽禁止だが、あまり守られてない。特に、黒人の多くは、まったく無視している。

 6分後、Crenshaw で下車。09:15バス210系統に乗り換える。なお、乗り換えは、バス、メトロ相互に可能で、ともに2h以内無料である。

 意外にも、半分ほどの乗客が、マスクを着用している。特に老人は。対応が二分化しているのか。

 10:06Wilshire / Crenshawで下車。2☆素泊18000円のホテルにチェックインする。

 明朝の便でメキシコに向かうので、空港近くのホテルを探したのだが、普通に5万円くらいする。なので、ちょっと選べない。アベノミクスの円安デフレ誘導により、ホテル代は、世界中どこも、5年前の2倍ほどにハネ上がっている。

 日本時間だと午前2時なので、すぐに部屋に入りたかったが、今空いているのは、道路に面した部屋のみという。そこで、14:00チェックインまで頑張って、市内観光をする。

 なお、既に宿泊予約サイトで支払済にもかかわらず、さらに100$のデポジットを求められた。4年前のロンドンでも同じことがあったっけ。備品を盗む、あるいは、鍵を返さないままチェックアウトする、とでも疑われているのか。

 ホテルに荷物を預け、10:45Bus20系統$0.35で、10:57Wilshire / Ogdenで下車。徒歩1分のロサンゼルスカウンティ美術館LACMAに向かう。西海岸最大の美術館だ。11:00〜18:00開館で、毎月第2火曜(すなわち本日)は、無料←21$である。

 パブロ・ピカソの特別展をやっていて、Weeping Woman(泣く女)など、数十点の作品が展示されていた。ピカソも、若い頃は、普通の作品を描いている(それも上手い)のを知った。

 向かいの館では、5/21まで、陶磁器コレクションを特別展示している。桃山期・江戸期の日本の漆器、18Cの朝鮮や琉球の螺鈿細工などが、数多く展示されていた。なぜ、ここにあるのだろうか。

 12:20WilshireBlvd.&FairfaxAveより、BUS217系統に乗り、ハリウッドに向かう。12:49Hollywood / Highlandで下車。西に3分歩き、Chinese Theatresに到着。

 前庭の敷石には、ハリウッドスターの手形・足形が、ずらりと並んでいる。そのうちの一つ、ブラッドピッドの敷石に、自分の手と足を当ててみた。すっぽりと入ってしまったのには驚いた。

 メトロ2赤線$0.35で、Wilshire / Vermont乗り換え、Bus20系統でホテルに戻った。ちょうど14:00である。滅多にない浴槽付のホテルを選んだので、ゆったりと湯舟に浸かり、早目に床に就く。

 令和5年10日(水)3日目、04:43バス210系統$0.35に乗り、空港に向かう。バスの時間は、正確である。

 05:49T4着。セキュリティチェックでは、靴を脱がされた。7年前のインドでもあったっけ。機内食は出ないと予想し(AAのホームページの事前検索では確認できず)、サンドイッチと牛乳2100円の朝食をとる。米国の物価は、日本の3倍くらいと思ってよい。

 08:10AA2546-319に乗り、メキシコに向かう。13:01MEXターミナル1着、の予定が30分早着。時差は1hである。3h51分のフライトだが、やはり食事は出ず、飲物サービスのみであった。

 入国審査の列は短いのだが、一人一人に時間がかかる。係員が、「ハポン?」と言って、列の間を歩き回っていたので、当方が手を上げると、一番端のカウンターに案内された。すぐに審査終了。

 だが、荷物が出てくるまで、1h待たされた。ここは、メキシコだ。首都メキシコシティの人口は、886万人。例年の日出06:03、日没20:02、最低13℃、最高26℃である。入国すると、ムッとする暑さ。メキシコでは、市中心部に3泊する。

 まずは、銀行のATMで両替をする。メキシコでは、クレジットカードが使えるかどうか分からなかったので、少し多めに、1000M$を両替する。

 為替レートは、1M$=8.5円だが、他に、手数料29M$とATMアクセス料100M$を取られる。なので、1M$=10円と見ればいい。ちょっと高いが、それでも、日本円から直接両替するよりは、随分マシだ。円→M$は、極めて交換レートが悪いので。

 メトロの空港駅に向かう。「地球の歩き方」には、西200mとあったが、それは、国内線からの距離であった。国際線出口からは、1kmほどあり、重い荷物を持って歩かされる羽目になった。こんなことなら、メトロバスに乗ればよかった。

 メトロの窓口で、メキシコ版Suicaのプリペイドカードを買おうとしたが、クローズだった。隣りの切符売場のオネーチャンは、「I don't Know. Cash only!」と繰り返すばかり。仕方ないので、一回券M$5を買う。日本円では約50円、10倍すればいい。メキシコの公共交通機関も、極めて安い。

 空港駅Terminas Aereaより、メトロ5黄に乗り込む。車内は、昼間なのにメチャ混み。しかも、冷房なし。メトロは、どの線も2〜3分間隔で走っている(翌々日乗ったメトロバスは、1〜2分間隔)。東京と同じ規模の大都会で、JRも私鉄もないのだから、こうするほかはないのだろう。

 Pantitianでメトロ1紅に、さらにBalderasでメトロ3鶯に乗り換え、Hospital Generalで下車。乗換は、何回でも無料である。 

 駅を出ると、雨がポツポツ降り出した。徒歩3分のホテルに急ぐ。3.5☆素泊3泊25,000円である。物価は、日本とほぼ同レベルだ。

 浴槽付の部屋を予約していたのに、シャワーのみだったので、フロントに電話する。だが、なかなか英語が通じず、次々相手が変わる。4人目にして、やっとコミュニケーションが取れたが、浴槽付の部屋は空いてないという。

 時々こういうことが起こるが、世界最大の宿泊予約サイトの問題なのか、あるいは、このホテルが虚偽申告をしているのか。そう言えば、ホテルの入口には、星が5つ並んでいたっけ。

 ポーターは、「日本人は滅多に来ない。」と言っていたので、ランクの低い部屋を割り当てられたのかも。ヨーロッパでは、日本人は見下されていると感じることが多いが、メキシコでもそうなのか。

 下着を洗濯し、枕銭M$20札をベッドサイドに置いて、寝る。

 令和5年5月11日(木)4日目、快晴。近くのセブンイレブンで朝食を買う。クレジットカードは使えず。国際カードはダメ、と言われた。

 今日は、北50kmにあるテオティワカン遺跡に行き、ピラミッドを見る日だ。

 公式ホームページを探し出せず、何時オープンかわからなかった。「地球の歩き方」には7時、また、無数にある旅行会社のツアーのホームページには、どこも9時からとあった。とりあえず、9時到着を目指して、通勤ラッシュが始まる前に出発する。

 06:40メトロ3鶯M$5に乗り、LaRazaでメトロ5黄に乗り換え、Autobuses del Norteで下車。巨大バスターミナルの左端8番窓口で、Teotihuacan行きの切符往復M$120を買う。クレジットカード不可、キャッシュのみ。

 07:20出発。バスは、15分毎に頻発している。すぐに高速道路に入るが、シートベルトはなし。

 途中、ロープウェイのゴンドラが、車窓の左右にあらわれた。日本のスキー場でよく見かけるやつだ。それも、延々と10km以上続いている。メキシコシティは、標高2200mの高地にあるとはいえ、スキーができるはずもない。

 よく見ると、住宅が密集している丘と下の道路を結んでいる。斜面の途中には、中継駅もいくつか見える。

 そうか。渋滞の激しいメキシコシティでは、ゴンドラが公共交通機関の一翼を担っているのか。

 08:40Piramideで下車。ここで降りたのは、当方だけだった。乗車時に、運転手に言付けておいてよかった。観光路線ではないのだろう。シティと50km離れたテオティワカン市街を結ぶ、地元の人の足となっているようだ。

 Puerta2から、世界遺産古代都市テオティワカンに、M$90(キャッシュのみ)を払って入場する。シニア割引料金M$50は、メキシコ市民のみ対象だった。なお、遺跡は08:00から、また、各博物館は09:00オープンであった。

 太陽のピラミッドが、いきなり目に飛び込んでくる。4C〜6Cに栄えた、テオティワカン文明を代表する遺跡である。

 東へ歩き、太陽の広場から、太陽のピラミッドを再度見上げる。底辺225四方×高さ65mで、世界3番目の大きさを誇る。底辺の長さは、エジプトのクフ王のピラミッドと同じだが、学者によれば、偶然の一致らしい。

 「248段を登頂するには10分かかる」、と「地球の歩き方」にあったが、現在、登ることは禁止されている。

 9時を過ぎると、もう暑い。上着を脱ぎ、半袖に切り替える。

 死者の道を北へ歩き、月のピラミッドに向かう。途中、逆光にならない位置から、太陽のピラミッドの全景を撮った。何とも美しい。

 月のピラミッドの手前右側には、ジャガーの壁画があった。彩色は残っているが、残念ながら、頭が欠けてる。

 さらに北上し、月のピラミッドに向かう。

 月の広場から、再度見上げる。底辺150×130×高さ42mである。こちらも、登頂禁止になっている。

 西側に展望台があったので、登ってみる。観光客がひしめき合っている。太陽のピラミッド月のピラミッドの両方を望むには、絶好の場所だ。

 北側向かいのジャガーの宮殿は、closedになっていたので、外から撮る。「ほら貝を吹いている羽毛付きジャガー」の壁画などがあるのだが、残念。

 これより、Puerta3から一旦外に出て、北側1kmにある壁画博物館に向かう。多くの現地ツアーは、これにて帰るのが多い(しかも1〜2万円と高い)が、当方は、1日がかりで、全ての遺跡と博物館を見るつもりだ。

 壁画博物館では、動物が描かれた壁画片など、多くの出土品が展示されていた。ほとんどが真っ赤である。神官の壁画は、ちょっと異色だったので、撮っておく。

 東へ向かい、月のピラミッドの裏側(北側)を見ながら、Puerta4から再入場する。「地球の歩き方」の地図がデフォルメされていて、かなり歩かされた。Puerta3に戻った方が、圧倒的に近かった。地図の縮尺は、ちゃんとしてほしい。

 再び、太陽のピラミッドが、南西に見える。北側から周回し、最初に見た西側を通り、シティオ博物館のある南側に出る。これで、全方位から見たことになる。

 シティオ博物館では、企画展が開催されており、土偶、土器、石器などが、多数展示されていた。黒曜石の矢じりなどは、日本で見るものと全く同じである。多くの見学者が集中している生贄の骨は、本物だろうか? 解説はスペイン語のみなので、わからない。

 人のいない原っぱの中を、南に800mほど歩き、ケツァルコアトルの神殿に向かう。4〜7世紀のものだ。石柱には、彫刻が施されている。

 地下に下りると、内部にも入れた。赤や緑の彩色のレリーフが、一部に残っている。

 西に600m歩き、Puerta1から出場する。「地球の歩き方」では、ここから帰りのバスが出ているとあったが、今は、Puerta2にしかバスは停まらないようだ。さらに、北へ1km歩く。

 12:40のバスで帰途につく。バス停は無いが、遺跡の係員が、待つ場所を教えてくれた。帰りに乗り込んだのも、当方のみだった。やはり、生活路線ということだ。

 ちょうど4hの遺跡探訪だった。よく歩きました。ゴルフで言えば、1.5ラウンドをスループレーで回った感じだ。

 なお、この旅では、万歩計は持参していない。また、スマホの歩数計も切っている。せっかくの世界一周旅行に、制約をかけたくなかったからだ。(そのつもりだったが、帰国してから確認したら、スマホの万歩計は作動していた。以後、歩数を付記する。)

 14:30ホテルに戻る。軽く昼寝をし、夕方になってから食事に出ようとしたら、ものすごい雷雨。ホテルのレストランに切り替える。サラダ、パン、牛ステーキ、グレープフルーツジュースで、2800円。

 なお、風呂上りに、腕の前半分を見たら、真っ赤になっていた。陽に焼けたようだ。今日の万歩計は、13000。

 令和5年5月12日(金)5日目。メキシコは3日目、05:00起床。時差ボケも解消した。今日は、市内の世界遺産歴史地区と国立人類学博物館を回る。

 まずは、ホテル目の前のメトロバス駅自販機で、プリペイドカードM$15を買う。やはり、クレジットカードは通らず。

 だいぶ後になって気付いたのだが、NFCのタッチ式がダメなのではなかろうか。日本では、Felicaチップが主流なので。従来の差し込み式で利用したら、どこの国でも使えた。

 この時は、仕方なく現金で買ったが、プリペイドカード単体では買えず、最低でも一回券M$6とセットでなければならなかった。現金は、M$20,50,100の札のみ可だが、手元には100M$札しかなかったので、投入したら、そのまま全額がチャージされてしまった。

 そんなに使い切れないよ!

 07:50メトロバス3鶯M$6に乗り、Hidalgoでメトロバス4黄に乗り換え、Repubrica de Algentinaで下車。南に5分歩き、世界遺産メキシコ・シティ歴史地区に入る。なお、メトロバスも、乗換は何回でも無料である。 

 08:30メトロポリタン・カテドラルに到着。

 デカい。コルテスが、1563年に着工し、1681年に竣工したものだ。

 正面に回る。ゴシック様式の荘厳な姿だ。入口は、さらに先の南側にあったが、08:00から開いていた。宗教絵画「市会礼拝堂」は、柵のある別室内にあるようで、見られなかった。

 向かいにある国立宮殿は、巨大である。後で入場観光するのだが、南端まで行っても、当方のデジカメでは、全貌は撮れなかった。

 09:00になったので、テンプロ・マヨールに一番乗りする。入場料はM$90、クレジットカードOKだった。200uの正方形の敷地に、神殿の廃墟がある。15C、アステカ帝国の都テノチティトランの中央神殿である。

 入場すると、すぐに動物の彫刻のようなものがあらわれた。英語による説明版はあるのだが、イマイチ理解できず。おそらく、蛇の神=アステカのケツアルコルトルだろう。

 遺跡を半周し、博物館に入る。模型が置いてあり、元は4段のピラミッドだったことがわかる。解説板は、スペイン語が大半で、ポイントのところだけ英語表記があった。有料ガイドテープもあるが、日本語はない。

 最大の目玉である女神の石板は、重さ12tもある。牛や足の彫刻が散りばめられているが、用途は不明。

 最上階からは、遺跡の全景を望むことができた。これだけでも、入場した価値がある。一周55分だった。

 外に出ると、南側に10人ほどの行列ができている。警護に当たっている軍人に確認すると、10:00から受け付ける、予定してた国立宮殿見学ツアーのものだった。すぐに、最後尾に並ぶ。入口は北東側にあるのだが、10:00までは閉鎖されていて入れない。

 パスポートを預け、受付を済ませる。「地球の歩き方」には、さらに、M$200のデポジットが必要とあったが、今はなくなっていた。

 ツアーは10:30からで、それまでは別室で待つ。客の大半が、アメリカ人のようだ。隣りに坐っていた高齢の御婦人が、声をかけてきた。

「日本人ではありませんか?」

「はい。」

「先ほど、しゃがんでからスッと立ったので、日本人だとわかりました。」

 地面に置いたカバンから、パスポートを取り出したのだが、ウンコ座りが、日本人の証明とは。

「7年間、東京に住んでいました。私は、小学校の教師で、隣りの夫は、銀行に勤めていました。かなり昔の話で、日本語はすっかり忘れてしまいました。」

「私も、東京から来ました。」

 彼女は、日本での思い出などを話していたが、そのうち、回りのアメリカ人に対し、熊野古道が最高だ、と勧めだした。クロネコヤマト宅急便は、次の宿に荷物を送ってくれるので、とても便利だ、と強調している。

 皆、スマホで検索し始めた。私に、熊野古道のスペルを聞いてくる。

 今や、京都や富士山じゃないのだな。

「メキシコには、何日滞在しますか?」

「3Night 4Daysです。」

「その後はどちらへ?」

「ダラス経由でフィラデルフィアに行きます。」

「え、私たち、フィラデルフィアに住んでいます。」

 こんな偶然があるとは。フィラデルフィアは小さな町だと謙遜していたが、東京と比べたら、そりゃそうだろう。

 1h15分のツアーは、英語で解説が行われた。ほとんど理解できなかったが、雰囲気だけは何とか。

 まずは、1階から、ペガサスの噴水のある中庭を眺める。メキシコ国旗が、風になびいていた。

 2階に上り、フレスコ画を一つ一つ見ていく。南側の壁以外、テラスを一周している。17Cに描かれたものだ。

 まず、東壁から、ボールゲームをしている壁画などの説明を受ける。

 北側の壁画「メキシコの歴史」は、大作である。右端にはケツアルコルトルがいて、中央は戦いの図だ。上部には、モレロスというメキシコの英雄が描かれている。

 西壁は、現代のメキシコを描いているようだ。最後に、ドーム内を覗いて、ツアーは終了した。先ほどの御夫妻に、「ボンボヤージュ」と声をかけ、後にする。

 ここで、念のため、両替をしておく。これまで、クレジットカードが使えないケースが多かったからだ。ソカロ周辺には、10軒ほどの両替店が密集している。持参した30米ドルをM$に替える。突然のストや事故に備えて、空港までのタクシー代(メキシコ市の場合M$250)を残しておくのが、旅の鉄則だ。

 なお、昨日、ホテル近くのCity Bankで両替しようとしたが、ダメだった。窓口では英語が通じず、差し出したドル札は突き返された。

 これから、国立人類学博物館に行くのだが、ちょっと疲れたので、いったんホテルに戻る。昼食休憩&小昼寝後、14:30試合再開。

 この旅何度目かのHidalgoで、メトロバス7緑に乗り換える。なお、この時、ちょっとした出来事があった。

 私が、メトロバスの席に座ると、運転手が飛んできて、

「お前はスペイン人か!?」

 と、ものすごい剣幕である。

 私が、呆然として、ゆっくり首を横に振ると、前方に立っていた若い男性が、

「Lady's Sheet!」

 たしかに、空間全体がピンク色になっている。急いで、席を立つ。

「ピンクポール?」

 と、私が目の前の柱を指差すと、その若者は、

「Si.」

 車両の後ろ半分が、女性専用になっている。前半分は、混んでいて立っている人もいる。若い女性もかなり坐っているので、痴漢対策でもなさそうだ。彼女らは、スカスカの後部に移ることはない。目の前に老人が立っていても、席を譲ることもない。

 ちょっと脱線するが、スペイン語には、男性名詞/女性名詞の区別があり、動詞の活用も違ってくる。男性/女性に規則性はなく、全て覚えるしかない。スペイン語の発音は、日本語のローマ字読みでいいので、それほど難しくはないが、名詞だけはどうしようもない。

 さて、女性が大切にされているということか? それとも、差別されていると見るべきか?

 それにしても、私がスペイン人でないことは明らかだ(だから英語で罵倒してきたのだろう)。メキシコ人には、いまだに、スペイン人に対する遺恨が残っているということか。

 実は、前々日、メキシコに足を踏み入れた際、6年前に訪れたジャカルタの街に似ているな、と感じた。歩道を占拠している露店群、隔離されたバスシステム、慢性渋滞など、一々そっくりだ。

 インドネシアも、西欧列強に植民地支配された歴史を持つ。街の雰囲気も似てくるのか。

 閑話休題。メトロバス7緑は、レフォルマ通りを走る。メキシコシティの目抜き通りである。通過するロータリー毎に銅像が立っている。

 15:20Antropologiaで下車し、目の前の国立人類学博物館に入場する。18:00閉館まで、じっくりと見学するつもりだ。入場料はM$90、クレジットカードOKだった。

 メキシコ各地の遺跡の出土品のうち、重要なものは、全てここに集められている。

 第1室から第4室の先住民文化をざっと回り、最初の見ものが、第5室テオティワカンである。ケツアルコルトル神殿の実物大レプリカが聳え、その先に、雨神チャルティトュリクエ像がある。昨日訪れた、月のピラミッドの前に立っていたものだ。高さ3mほどの四角柱である。

 第6室トルテカでは、入口にカカシュトラの壁画があった。彩色が見事に残っている。2面あって、一つには動物の顔が描かれている。もう一枚は、槍を持った戦士のようだ。

 部屋中央には、トウーラ遺跡の戦士像が鎮座している。高さ4.6mあり、やはり動物の顔とか槍などがあしらわれている。

 第7室アステカの最大の目玉は、太陽の石アステカ・カレンダーだ。直径3.6mの巨大円盤である。中央の太陽の回りに4つの四角があり、さらに、その外側が20の区画に分けられている。1年は18ヶ月で、20日×18+空5日=365日としていたようだ。

 その隣のコアトリクエ像は、首と手が4つずつあり、ちょっと不気味だ。アステカ人が崇拝した母神であり、死神である。

 1h経った。ここで半分くらいか。外は、まさに、バケツをひっくり返したような豪雨となっている。昨日も、また、一昨日もそうだったが、夕方になると夕立があるようだ。朝からの排気ガスが、上空で核となって雨雲を作り、この時間に雨を降らせるのか。

 第8室オアハカでは、モンテ・アルパン遺跡の「踊る人」のレリーフが見ものだ。6つの区画に分けられ、上2つは、足を開いている。下4つは、手をこねているような仕草だ。どちらも、踊っているようには見えない。

 第9室メキシコ湾岸は、オルメカの巨大人頭像が目玉だ。長さ2mほどの、オルメカヘッドである。柵があったので、横からも撮る。

 第10室マヤには、チチェン・イッチャ遺跡のチャックモール像がある。お腹の台には、生贄の人間の心臓を載せたという。無表情の顔と相まって、ちょっと怖い。

 地下への階段を降りると、パレンケの復元王墓があり、パカル王のヒスイ仮面を遠望することができる。7Cに活躍した王で、当時としては異例の80歳まで生きたという。

 その後、王妃の墓も、隣の神殿から発見されている。「赤の女王」と呼ばれ、全身を辰砂で覆われていたという。

 第11室西部と第12室北部をざっと見て、ちょうど2h経過した。2階にも、民族学のフロアがあるのだが、もう「足が棒」状態。スルーして帰途につく。

 メトロバスは、優先レーンを走るのだが、それでもラッシュアワーは渋滞する。

 夕食は、ホテル近くで見つけた日本料理店でとる。チャーシュー麺、納豆巻/かっぱ巻き、オレンジジュースで3200円。

 意外にも、旨い。醤油味のスープに、チャーシューてんこ盛りで、海苔も、メンマも、日本と変わらない。寿司も、同様。ただし、ワサビだけは粉っぽかった。

 なお、クレジットカードOKで、チップは、会計端末に表示される、10%/15%/20%の中から選ぶようになっていた。もちろん、10%をタップする。今日の万歩計は、8000(ただし、宮殿や博物館ではスマホを預けていたので、+5000は見ておいた方がいい)。

 令和5年5月13日(土)6日目。メキシコは4日目最終日。今日も快晴だ。夕方のフライトまで、市南部の史跡を巡る。

 07:50メトロバス3鶯に乗り、Etiopiaでメトロバス2茶に、さらにNueyoleonでメトロバス1赤に乗り換える。

 1h後、Dr.Galvesで下車。南へ15分歩いて、世界遺産メキシコ国立自治大学に到着。中央図書館に、世界最大の壁画がある。1954年の作品だ。

 北面は、中央に鷲が描かれ、その周りには人がいる。鷲は、アステカでは神聖視されている。

 西面は、ペナントのような紋章がある。

 南面は、家のような建物の左右に、円が描かれている。

 東面は、楕円が3つ重なった意匠が目に付く。

 なぜ、世界遺産?

 20世紀半ばのメキシコ革命の精神を表現しているから?

 南側の本館には、シケイロス立体壁画もある。向かい合う鷲が描かれている。

 キャンパスの南側に出て、バス道路を15分歩く。CUIバス停から、メトロバス1赤に乗り、Villa Olimpicaで下車。北へ3分歩き、09:50クイクイルコ遺跡Cuicuilcoに到着。入場無料である。

 入口にあった地図に従い、東へ3分歩くと、Gran Basementと表記されたピラミッドに至る。紀元前6c〜2c、溶岩原の上に築かれたものだ。

 登れるようなので、頂上まで行ってみる。360度の眺望を一人占め、と思ったら、オバちゃんが一人いた。

 ミニ博物館もあって、土器や黒曜石などが展示されている。やはり、黒曜石の矢じりは、日本のものと同じだった。

 最後に、博物館の前から再度、ピラミッドの全景を撮る。

 11:30ホテルに戻り、昼食。枕銭として、余った硬貨30数M$をベッドサイドに置き(本来、紙幣以外は失礼に当たるのだが、「Sorry. Only coin.」の手書きメモも添えて)、13:00チェックアウトし、メトロバスで空港に向かう。

 途中、優先レーンがない2車線道路を通ったため、渋滞し、San Lazaroまで1hかかった。ここで、空港線のメトロバスに乗り換える。M$24が別に付加されたが、やはりプリペイドカードは使い切れず。まあ、残M$2なので、良しとしましょう。

 空港で、余った現金M$500を米ドルに逆両替する。各博物館や日本料理店でクレジットカードが使えたため、結果的に途中の両替は不要だった。

 これより、アメリカン航空でポルトガルに向かうのだが、チェックインして荷物を預ける際、「ダラスで受け取れ。」と言われた。ダラス、フィラデルフィアとも、24h以内のトランジットなので、リスボンまで送ってもらえると思っていた。

 だが、間にローカル線を挟むとダメ、とのこと。1泊分の着替えだけ持って、身軽に行動できると考えていたが、ガッカリ。

 17:05MEXターミナル1から、AA2351-319に乗り込む。この時、搭乗口で、当方だけストップがかけられた。「万歳をしろ」という。セキュリティチェックは、先ほど済ませたのに。

 両手のひらを、リトマス試験紙のようなものでなぞられた。それを機械に読み込ませている。

 新型コロナウィルス?

 次に、「靴を脱げ」と言う。底を丹念に調べている。

 そうか。麻薬か!

 メキシコから米国に行く日本人個人は珍しいので、疑われたか。やれやれ。

 2h54分のフライトで、20:59DFWターミナルD着(時差1h)の予定が、1h遅れ。この旅で、10本の路線に乗ったが、On Timeじゃなかったのは、メキシコ発の当便だけだった。

 想定してなかった荷物の受け取りに、さらに30分要し、空港を出たのは22:30。すぐに、ホテルに送迎依頼の電話をする。

 ところが、スマホがつながらない。画面にホテル名が表示され、「通話中」のメッセージが表示されるのに、しばらくして「通話終了」となってしまう。海外でスマホを使うのは初めてだが、事前に、ちゃんと国際ローミングの設定をしておいたのに。

 市外局番を外してかけ直しても、ダメ。仕方がない。公衆電話を使うか。

 ところが、あたりを見回しても、そんなものは見当たらない。きょうび、米国有数のハブ空港でも、公衆電話は置いてないのか。

 困った。同じ便の乗客は、次々と迎えの車に乗り込み、今や、空港はガランとしている。

 仕方がない。アメリカン航空のスタッフに相談するか。幸い、チェックインカウンターには、係員が数名いた。そのうちの一人の黒人女性に、事情を話す。

 すると、彼女は、遠くの柱を指差した。無料のおもてなし電話があるので、それを使え、と言う。たしかに、黒い電話がある。

 だが、やはり、つながらない。少し離れたところにも一台あったので、リトライする。だが、発信音が鳴ったり鳴らなかったり。壊れているようだ。

 もう一度カウンターに戻ったら、既に無人だった。さすがに、この時間に出発する便はないので、全員引き揚げたようだ。

 やむを得ない。タクシーで行こう。空港に一番近いホテルを予約したのだが、送迎に10分かかる。テキサスの10分は、10kmはあるだろう。1万円くらい取られるかもしれない。それでも、空港で一夜を明かすよりはマシだ。

 だが、タクシー乗り場に、タクシーは停まっていなかった。待ってる人もいない。時刻は、23時になった。

 10分ほど待ったが、タクシーは来る気配がない。Uberばかりが、目の前を通り過ぎる。

 きょうび、米国では、タクシーも流行らないのか。当方は、Uberを使ったことはない。今からアプリをダウンロードし、使い方を英語でマスターするのは無理だ。

 万策尽きた?

 10mほど離れた所で、白人と黒人の2人の若者が、さっきからダベっているのには気付いていた。

 どうしよう。ヘタに絡まれて、金品をせびられたりしたら嫌だな、と思っていたが、背に腹は代えられない。彼らに声をかけよう。

 白人の若者は、自分のスマホを取り出し、ホテルに電話してくれた。すぐにつながり、当方がシャトルバスを依頼すると、OKの返事。だが、待ち合わせ場所の説明が、早口で聞き取れない。若者にスマホを戻し、代わりに確認してもらった。

 ホテル送迎用スペースは、空港の端の、かなり離れた場所にあった。だが、もう一人の黒人の若者が、一緒に付いてきてくれた。20分後、無事、シャトルバスがやってきた。

 「地獄に仏」とは、このことだ。インドでも、似たようなことがあったっけ。その時は、老タクシー運転手に助けてもらったのだった。

 日付が変わる前に、何とかホテルにチェックイン。翌日の送迎を04:30に予約し、バタンキュー。ホテルは、朝食付20000円だが、朝食は07:00からだったので、無効。それでも、3hは眠れたし、シャワーも浴びることができた。今日の万歩計は、10000。

 なお、帰国してから、国際ローミングについて、携帯電話会社に確認したところ、宿泊予約サイトの確認画面にあらわれた電話番号を、直にタップするのはダメで、日本国内と同じように、スマホ附属の通話アプリから、国番号(米国は1)を付してかければよい、とのことだった。

 令和5年5月14日(日)7日目、フィラデルフィアに向け、06:40AA453-321に乗り込む。事前に、チキンサンドと牛乳2000円を買っておいた。国内線なので、食事は出ない。

 3h14分のフライト中、ずっと昨日のことを思い返していた。そして、次の命題を考え続けた。

「自分は、なぜ旅をするのか?」

 実は、初っ端のロサンゼルス便の機内で、次のような出来事があった。

 隣りの席に、日本人のオバちゃん2人が座っていて、軽く会話を交わしたのだが、私が、遺跡を追いかけて世界一周すると言うと、

「言葉は大丈夫なのですか?」

「しゃべれません。英単語を羅列することぐらいはできますが。ボディランゲージが基本です。」

「お一人でですか?」

「はい。」

「それって、楽しいですか?」

「・・・」

 私は、絶句した。思いもかけないレスポンスが返ってきたからだ。二人は、JTBのパックツアー参加者だった。若い男子も数人、お仲間のようで、その時は、

「その野郎どもに、今の言葉、そのままお返しします 。」

 と、心の中で思った。

 だが、オバちゃんのストレートな一言に、その後、考えさせられることになった。

 私は、リタイアして以来、毎年、FIT(Free Independent Traveler)として、ヨーロッパやアジアを旅してきた。

 当然、個人として、様々なトラブルと向き合わなければならない。それが、「楽しいのか?」という問いだ。

 海外では、自分の力のみで対処できることは限られている。誰かの助けを借りなければ、立ち行かない。

 そうか・・・

 英語の「travel」は、フランス語では「travail」(トラバーユ)に当たり、「仕事」「苦役」を意味する。さらに、古代ローマで、犯罪者を縛り付ける道具の名前だった「トリバウム」(ラテン語で拷問の意味)が、語源とも考えられる。

 つまり、私は、「人に頼る修行」をしているのではないのか?

 直近の小説にも書いた通り、私は、誰かに頼ることが苦手だった。頼らなかったし、頼れなかった。

 自分が苦しい時、どうして、親に頼らなかったのだろう?

 また、両親の経済的困難に、なぜ、本家に支援を求めなかったのだろう? 本家は、莫大な相続遺産を一人占めして、腐るほど金を持っているのに。

 今までの忖度人生を180度ひっくり返すために、自分は、困難な旅を続けているのではないのか?

 「修行」なので、純粋に楽しいかと問われれば、「?」となる。そのことを、オバちゃんは、直感的に捉えたのだろう。実に、本質を突いた一言だったのだ。

 そのうち、涙が止まらなくなった。

 10:54PHLターミナルAに到着。時差は、1h。ポルトガルへの夜行便まで、市内見物をする。フィラデルフィアは、人口158万人、米国第五位の大都市だ(一昨日の御夫妻の言には違い)。例年の日出05:47、日没20:06、最低12℃、最高22℃である。今日も快晴だ。

 11:11SEPTAという郊外鉄道6.75$で、北東10kmの市中心部に向かう、のだが、来ない。平日は30分毎、土日は1h毎の運行である。

 1h後の12:11、やっと電車がやってきた。一本、間引かれたようだ。よくあることなのか、待ってる間にイラついてる人もいない。オバちゃんたちは、おしゃべりに夢中だ。

 時速60kmほどで、チンタラ走る。車両は、相当古く、アナウンス設備もない。人が、到着駅名を叫び、検札もこなしている。運賃も、極めて高い。

 12:40Jeffersonで下車。第三代米国大統領の名前を、駅名に冠しているのだろう。

 地下街を東へ10分ほど歩き、インディペンデンス観光案内所に向かう。世界遺産フィラデルフィア独立記念館の無料ツアー整理券をもらうためだ。

 だが、「Sold Out」とのこと。今日は日曜日なので、やはりそうか。その代わり、同じ敷地内にあるCongress Hallにはチケットなしで入れる、との貴重な情報を得る。

 向かいの大統領の家は、地下に遺構が残っていた。建物の基礎の一部のようだ。

 その南側に、世界遺産フィラデルフィア独立記念館がある。入場は叶わないので、正面に回り、外観を撮る。

 東へ5分ほど森の中を歩くと、カーペンターズホールがあらわれた。18Cの最初の連邦議会である。だが、修理中のため、入場不可。こちらも正面に回り、外観を撮る。

 独立記念館に戻り、荷物検査を受けてから、14:00からのCongress Hall見学ツアーに参加する。例によって、英語による説明はほとんど聞き取れなかったが、雰囲気だけは吸収する。

 一階の議会は、半円形に100席ほどが並んでいる。

 二階にはテラスがあり、その向かいの部屋の壁には、マリーアントワネットの肖像画が掛けられていた。本物だろうか?

 ツアーは、20分ほどだった。西隣りの国会議事堂を一瞥し、最後に、もう一度世界遺産の全景を撮ってから、北側のリバティベルセンタに向かう。

 ここには、長い行列ができていた。20分ほど並び、荷物検査を受けた後、入場。

 自由の鐘が、お目当てである。自由・民主主義の象徴だが、展示されているのは、当初のものではない。何代目かで、何度も新しいものに交換されている。

 駅に戻る途中、地下街のフードコートに、中華屋があった。夕飯には少し早いが、迷わず入る。チャーハン+おかず2品で1700円。量は、日本の2倍くらいあったが、完食。

 この後、フィラデルフィア美術館(シニア$23←$25)に行き、ゴッホのひまわりや印象派の絵画を見る予定だったが、往きに電車が間引かれたことが引っ掛かる。美術館はパスし、早目に空港に向かうことにした。ひまわりは、東京でも見られるし。

 16:50Jefferson発で、17:17Airport Terminal A着、の予定が、5分遅れ。空港行きは、遅れこそすれ、間引くことはないか。

 チェックインは、国内線と一緒のため、大行列。セキュリティでは30分以上並ばされた。今日の万歩計は、5000。

 21:20AA258-789に乗り込む。大型機だが、満席だった。米国からポルトガルへ飛ぶ唯一の便なので、混むのだろう。この旅の予約でも、この路線がネックだった。4月から6月まで、しらみつぶしに当たったが、席が取れるのは、2日しかなかった。ここを押さえてから、前後の計画を立てていった。

 6h45分のフライトだが、CAが、男女とも全員老人だったのにはビックリした。2回の食事を給仕するのも、ヨタヨタやっとこさである。日本ではあり得ないことだ。

 3hほど眠れたが、その後、隣席の若者が声をかけてきた。ポルトガル人学生で、コンピュータサイエンスを専攻しているという。と言っても、基礎研究ではなく、アプリケーションプログラムのようだ。

 1年ほどロンドンに留学したということで、英語をしゃべりたくてしょうがない、という風情だった。京都に行きたいとか、愛猫のスマホ写真を見せてきたりとか。だが、こちらはまだ眠いので、ほどほどに付き合う。

 令和5年5月15日(月)8日目、09:05LISターミナル1着、の予定が、30分早着。時差は、5hである。入国審査は長蛇の列で、1h10分かかった。

 リスボンは、人口50万(首都圏240万人)、例年の日出06:24、日没20:41、最低14℃、最高21℃である。ポルトガルでは、市中心部に2泊する。

 地下鉄駅で、プリペイドカードViva Viagem0.5ユーロ+メトロ24h券6.6ユーロを買う。自販機は、クレジットカードOKだったが、読まれたかどうか反応がない。

 再度操作を繰り返す。と、取り出し口に、切符が2枚あるのに気付いた。クレジットカードは通っていたのだ。今日の分はいいとして、明日はシントラまで行く予定なので、国鉄CPにも乗れる一日券10.7ユーロを買うつもりだった。仕方がない。国鉄は、別途、往復4.8ユーロを買おう。

 なお、為替レートは、1ユーロ153円(直前の大黒屋での買値)である。

 空港駅でメトロ赤線に乗り、Saldanhaで黄線に乗り換え、Picoasで下車。10:00過ぎにホテルに到着。4☆素泊2泊23,000円である。また、日本並みの物価に戻った。チェックインは14:30〜なので、荷物を預け、近場のリスボン旧市街を散策する。

 今日も快晴である。湿度も低く、実にさわやかだ。まずは、メトロ青線でRestauredoresに出て、ケーブルカーGloria線に乗る。24h券でOKだ。

 頂上出口のアルカンタラ展望台からは、真東に、サン・ジョルジェ城が遠望できる。紀元前のローマ時代に建てられ、その後、拡張が重ねられてきたものだ。

 南に少し下ったところにあるサン・ロケ教会は、天正遣欧使節も訪れたという、大きな教会である。

 さらに、南東に5分ほど下ると、カルモ教会がある。1755年のリスボン大地震で倒壊し、今も修理中である。

 その横を抜け、Santa Justa Elevatorを下りる。高さ45mある。ここも、24h券でOK。サン・ジョルジェ城は、さらに間近に見えた。

 Balxa Chiadoから、メトロ青線でホテルに戻る。ちょうど、チェックインの14:30になった。早く寝たい。

 ところが、なかなか部屋が決まらない。フロントには、2人の女性がいたが、ともに不機嫌である。

「何か問題でも?」

「ノープロブレム。」

 だが、2人とも溜め息の連続だ。どっかに何度も電話して、やっと決まった。

 部屋に入ると、お茶のティーバッグが、一つ置いてある。ポットもケトルもない。フロントに戻り、

「どうやってお湯をゲットするのか?」と、尋ねる。

 すると、若い方の女性が、ビールグラスを出してきて、

「これにお湯を入れるので、後で返しに来い。」と、ほざく。

「ケトル Please!」

 私が声を荒げると、また、どこかに電話した。どうも、ハウスキーパーと話しているようだ。

「隣りの部屋のケトルを移せ。」

 と命じている。しかも、英語で。私がいる目の前で。

 そうか。ポンコツのハウスキーパー(たぶん英語しか話せない)に対し、フロントのオネーチャンたちは、腹を立てていたのか。その証拠に、翌日は、部屋にコップが置いてなかった。

 それにしても、お客に苛立ちを見せるとは、とんだ四つ星だ。例によって、日本人も見下しているし。

 浴槽に体を沈め、夜行の疲れを癒す。下着を洗濯し、NHKワールドの相撲中継を見てから、19:30に就寝。今日の万歩計は、11000。

 令和5年5月16日(火)9日目、05:30起床。何と、10hも寝た。今日は、メーンイベントの世界遺産リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔を見てから、シントラに行く。

 07:15出発。メトロ青線Baixia-Chiadで緑線に乗り換え、Cais do Sodereで下車。開いていたスーパーマーケットで、ピザとコロッケ500円を買い、朝食とする。

 市電15番に乗り、08:40Mosteiro Jeronimosで下車。軌道は、バスと共用である。市電は15分おきだが、バスは頻発している。停車する停留所は、市電の方が少ないようだ。

 途中、南側に、巨大な橋が見えた。4月25日橋である。命名の由来は、1974年の民主革命によるとのことだが、当方不勉強のため、詳細不明。どうも、それ以前は、ポルトガルは軍事独裁政権だったようだ。

 市電の車内では、アナウンスや停留所の表示はないが、目の前に巨大なジェロニモス修道院が姿を現すので、下車時の問題はない。

 修道院は09:30オープンなので、先に、発見のモニュメントを見ておく。南に5分、地下道をくぐると、潮の香りがしてきた。

 1960年、エンリケ航海王子500回忌に建てられたものだ。

 裏側にも回る。この時間は人が少なく、人物無しの全景が撮れた。さすがに、日本人観光客の姿もチラホラ。メキシコやフィラデルフィアでは、一人の日本人にも出会わなかったが。

 まだ時間があるので、修道院の西門から順に見ていく。中央門はチケット売場になっていて、南門が入場門だ。

 09:15中央門に戻る。一番乗りだ。入場口の方は、もう行列ができている。

 09:30になったが、ドアから出てきた係員が、「発売は10:00から」と言う。後ろに並んでいた人たちは、一斉に溜め息をつく。

 一人のオバちゃんが、スマホを手に、「インターネットでも予約できるわよ。」と、皆に教えている。

 そうなのだが、65歳以上と学生は、半額の5ユーロになる。インターネットで買えるのは、10ユーロの正規料金のチケットのみだ。

 どうしよう。時間を取るか、5ユーロを取るか。

 もうすでに15分並んでしまっている。なので、結局、後者を選択した。だが、10:00には、入場の列は4倍に伸び、1h30分も並ばされるハメになった。

 16世紀の回廊を、2F南側から眺める。反対側に回って、北側からも。

 1Fに下り、東側から、そして、南側からも。もう、声が出ない。

 回廊内の一つの部屋には、ポルトガルでは有名だという詩人の墓があった。また、他にも、工人の部屋というのがあり、フレスコ画が、壁を一周していた。

 修道院を出場し、もう一つの、サンタ・マリア教会の列に並ぶ。こちらは短く、15分後に入場。ちょうど、12:00になった。

 カモンイスの石棺を右手に見て、内陣の奥まで進み、椅子に腰掛ける。十字架のイエスと聖母マリアに、こうべを垂れる。

 反対側にあるヴァスコ・ダ・ガマの石棺を見て、出場。最後にもう一度、ジェロニモス修道院の全景と行列を撮って、後にする。列の長さは、この時間も、ほとんど変わっていなかった。

 屋台で、イチゴ一山とペットボトルの水(各1ユーロ)を買い、もう一つの世界遺産ベレンの塔Torre de Belemに向かう。

 市電15番に10分ほど乗り、Largo da Princesaで下車。南へ5分歩いて、到着。

 まずは、カフェテリアで、イベリコ豚の生ハムサンドイッチ750円の昼食をとる。以前、スペインのセヴィージャで食べたものと比べると、塩分が少な目で、まろやかだ。

 ベレンの塔入場口の橋の手前にも、やはり長い列ができていた。30分は並ぶだろう。今は、14時。一番暑い時間だ。

 遮るものとてない炎天下。どうしよう。

 ギブアップかな。当初は、シントラにも足を伸ばす予定だったが、ここから2hはかかるので、それも無理。

 引き揚げることにしよう。結果的に、昨日、市内のみ有効のメトロ24h券を、誤って2枚買ってしまったことが、吉と出た。

 最後に、西側から、もう一枚撮る。16世紀に建てられた要塞で、川船に対する税関の役割を担っていた。堡塁のテラスには、砲台も据えられていたようだ。

 市電の停留所に戻る途中、濃紫の街路樹が、ひときわ目を引いた。ジャカランダという名前の木で、植民地のブラジルから持ってきたものだという。昨日、旧市街でも見かけたが、その色に、初めはびっくりした。

 市電15番で、市中心のフィゲイラ広場に戻るのだが、Cais do Sodere止まりだったので、さらにバスに乗り換える。

 勝利のアーチと官庁舎に囲まれた、コルメシオ広場を周回して、15:00フィゲイラ広場に到着。もうひと踏ん張り、最後にカテドラルを見てから、ホテルに戻ろう。

 737系統のバスに乗り、Seで下車。バスは、10分毎に走っている。カテドラルは、12Cの建造だ。周囲の道が狭く、全景は撮れないので、正面のみカメラに収める。

 737バスは、さらに、Casteioサン・ジョルジェ城まで登るのだが、昨日遠望しているので、パスしよう。

 16:00ホテルに戻る。夕食は、ホテルの近くで見つけたRAMEN屋に入る。野菜味噌ラーメンとコカ・コーラで2000円。

 ここも、旨かった。ラーメンのスープは、シイタケのダシだが、これもありだろう。私は、海外から帰国すると、真っ先に味噌ラーメンを食べるのが常だった。今や、その必要性も薄れたようだ。世界中、いたるところで食べられる。

 店内には、髭ダンディズムの曲「プリテンダー」が流れている。中国人による経営のようだが、老若男女の地元客で繁盛しており、家族連れも多い。皆、箸の真ん中を持っているのは、ちょっと笑える。日本人の幼児のようだ。今日の万歩計は、11000。

 令和5年5月17日(水)10日目、日出06:24とともに、ホテルをチェックアウト。始発に乗り、空港に向かう。今日は、イベリア航空と新幹線を乗り継いで、バルセロナまで行く。

 07:00AEROPORTに到着し、チェックイン。朝一番だが、手続きに30分かかり、さらにセキュリティでも15分並ばされた。イベリア航空の搭乗口は、空港の一番端だったが、動く歩道もない。荷物を預けておいてよかった。

 09:00LISターミナル1発IB3111-319に乗り込み、マドリードに向かう。満席で、例によって、座席は狭い。1h25分のフライトだが、シェンゲン協定で国内線扱いのため、もちろん何も出ない。飲物も有料だ。

 11:25MADターミナル4着。時差は1h。マドリードは、人口322万人、スペインの首都だ。

 荷物がなかなか出てこない。スペインに入ったことを実感する。

 12:01RENFE近郊線Lines C1/C10(450円)は、10分遅れで出発。相変わらず、国電はチンタラ走る。

 12:50Atocha着。これより、14:15新幹線でバルセロナに向かう。時間に余裕があれば、未見のプラド美術館を覗くつもりだったが、断念する。北1kmにあるのだが、遅れが重なった上、「行列の国スペイン」では、チケットを買うにも時間がかかりそうなので。

 14:15Madrid - Puerta de Atocha発OUIGO ESP6741に乗り込む。事前に、インターネットで、チケット2000円を買っておいた。2階建8両編成で、一つの車両は短い。

 新幹線版LCCなので、リクライニングシートも、車内サービスもない。だが、日本で言えば、東京−新大阪間が、この価格だ。線路開放が進んでいるヨーロッパならではだが、日本もそうならないかな。

 時速250kmくらいで走るが、やはり揺れる。景色も、相変わらず単調だ。車内マナーも、前回と同様。座席で電話しているし、着信音も大きい。前の座席で、子供がゲームをしているが、その効果音が鳴り響く。なのに、親は注意しない。

 バルセロナの少し手前で、スピードが上がった。300kmくらい出ているか。

 16:45Barcelona Sants着、の予定が、5分早着。バルセロナは、人口165万人、例年の日出06:31、日没21:05、最低14℃、最高20℃である。

 今日は、駅近くのホテル3☆素泊15000円に泊まる。物価は、日本より少し高い。その上、宿泊税は670円も取られた。

 日没まで市内観光をするのだが、隣りに中華屋があったので、まずは腹ごしらえをする。チャーハン、餃子、コーラで、2100円。量は、2人分あった。半分は持ち帰り、翌日の朝食とする。

 18:50試合開始。翌朝空港に戻るので、「地球の歩き方」にあったメトロ24h券10.5ユーロを買うつもりだった。ところが、自販機には、48h券/72h券しかない。一日券はあるが、当日市内のみ有効のようなので、結局、1回券2.4ユーロを買う。クレジットカードOKだが、ちょっと高い。

 まずは、旧市街に向かう。Santsから青5号に乗り、Verdaguerで黄4号に乗り換え、Jaume1で下車。北西に2分歩いて、カテドラルに到着。

 デカい。全貌は撮れないので、正面のみ。入口で、皆引き返しているので、入場不可かな。1448年に完成した、ゴシック建築だ。

 次に、北700mにある、世界遺産バルセロナのカタルーニャ音楽堂に向かう。

 だが、辿り着けない。途中、たまたま、観光客の日本人夫妻に出会ったのだが、場所が違う、と指摘された。「地球の歩き方」の地図を持参していたのだが、方位が45度ズレていたのに気付かなかった。上が北、という思い込みから、90度方向を間違えていた。

 今度は、念のため、スマホのグーグルマップを開き、道案内ナビを起動する。

「目的地に着きました。」という音声アナウンスが出たが、あたりに、それらしきものが見当たらない。10分ほど、行ったり来たりする。

 と、目の前に、全面シートに覆われた建物があるのに気が付いた。中はまったく見えない。

 これか。修理中なのか。事前検索には引っ掛からなかった。裏側まで回ってみたが、シートは厳重だった。

 1905年完成のモデルニスモ建築で、ガウディのライバルであるモンタネールが手掛けたという。残念!

 この後、カタルーニャ美術館(65歳以上無料←12ユーロ)に寄る予定だったが、閉館20:00なので、パスする。12Cのカタルーニャロマネスク絵画に関しては、世界有数のコレクションを誇るということだ。

 本日のメーンイベント、サグラダ・ファミリア聖堂に向かう。青5号2.4ユーロに乗り、Sagrada Familiaで下車すると、目の前にあらわれる。世界遺産「アントニ・ガウディの作品群」の中心的建物だ。

 東側のガリディ広場から、「生誕のファサード」を見上げる。

 デカい。異形だ。様々な彫刻が張り付いている。

 小児リューマチで学校にも通えず、自宅療養を強いられていたガウディだが、その後、成人して建築家になった。彼は、この教会に、どのような思いを込めたのだろう?

 20:00からは入場もできるのだが、事前に、インターネットでチケットの予約は取れなかった。ちなみに、日本語音声ガイド+塔入場込で、66歳以上31ユーロ←38ユーロである。

 受胎告知などの、中央の彫刻を撮ってから、今度は西側に回り、「受難のファサード」を見る。

 クレーンが何本か立ち並び、今も工事が続けられている。100年前に生きたガウディは、この建物が完成することなど、求めてはいなかったのではなかろうか(という気がしてくる)。

 十字架のイエスなどの彫刻を、同じくアップで撮る。ちょうど、日没の21時になった。ライトアップが21:30からあるのだが、もういいだろう。引き揚げよう。

 なお、世界遺産アントニ・ガウディの作品群としては、他に、カサ・ミラ、カサ・バトリョ、グエル邸、カサ・ビエンス、サン・パウ病院がある。いずれも市内にあり、メトロで行ける。

 青5号2.4ユーロで、Santsに戻る。途中、小学生の男子に席を譲られた。ちょっと前には、20歳くらいの女性からも。その時は断ったが、子供の好意には応えることにした。この旅で席を譲られるのは、初めてのことだ。バルセロナの将来は明るいぞ。

 令和5年5月18日(木)11日目、05:00始発のメトロ5.5ユーロで、空港に向かう。意外にも満席で、学生が多い。今日は、イベリア航空を乗り継いで、ギリシアのアテネまで行く。

 Collblanc駅で、オレンジ9号T1行に乗り換える。プラットフォームは、地下6階にあるのだが、空港行の表示がない。あたりをキョロキョロ見回していると、オバちゃんが、「上下線共用なので、行先表示が切り替わる。」と、英語で教えてくれた。

 なお、車内放送で、T1の1は、「ウノ」ではなく、「ウー」とアナウンスされた。カタルーニャ語は、スペイン語と読みが異なるようだ。数年前、カタルーニャ州知事が独立宣言をする、という一悶着があったことを思い出した。

 06:00空港着。荷物は、機内持込となった。マドリード、アテネ、ドーハともに、24h以内のトランジットなので、東京まで運んでもらえると期待していた。だが、航空会社が途中で替わると、ダメなようだ。文字通りの「One World」にはなっていない。アテネまで預けるという手はあるものの、荷物が出てくるまでの待時間が読めない。何せ、「テキトーな」お国柄同士のやり取りだから。

 08:00BCNターミナル1発IB3005-32Aに乗り、09:25MADターミナル4着。10:35 IB3150-320アテネ便に乗り継ぐ。

 3h40分のフライトだが、何も出ないことはわかっているので、イベリコ豚生ハムサンドイッチと牛乳1100円を買って乗り込む。スペインのイベリコ豚は、やはり、塩っぱかった。ポルトガルの方が、断然いい。

 なお、ポルトガルやスペインでは、搭乗順序が、前の席のグループからになっていた。日本では、逆に、後ろの席の乗客から搭乗する。その方が、渋滞せず、スムーズだからだ。ここは、階級重視の社会ということか。

 15:15ATH着。時差は1h。アテネは、人口307万人、例年の日出06:12、日没20:30、最低16℃、最高25℃である。

 15:40X95バス5.5ユーロ(キャッシュのみ)で、今宵の宿のある、市中心部のSytagma広場に向かう。メトロもあるが、10ユーロ(往復18ユーロ)と高い。所要時間は、どちらも約1hだ。

 途中まで高速道路を走るが、シートベルトはない。市内の一般道は、中心部に向かうにつれ、渋滞が激しくなった。

 1hほど経ったところで、運転手が、

「全員降りろ。Today is Difficult Day!」

 と、英語で叫ぶ。

 途中で降ろされるとは、トホホ。いきなり、グレコの洗礼を受ける。

 スマホを取り出し、グーグルマップを開く。一緒に下りた中国人の若者も、同じ動作。

「そうなるよね。」

 と、私がつぶやくと、

「ここはどこなんでしょうか?」

 と、日本語が返ってきた。中国人ではなかった。

 同志社大学2回生で、関空から着いたばかりだという。初めての海外旅行で、とても不安そうだ。

「どうして、打ち切っちゃたのでしょうか?」

「渋滞で、運転を放棄したんでしょ。よくあることだよ。」

「あ、なるほど。」

 近くに、メトロの駅があったので、一緒に向かう。窓口で確認すると、シンタグマの一つ東側の駅だった。1回券1.2ユーロを買う。

 彼は、アクロポリスの近くに宿を取っていて、明日見学すると言っていたので、今日は無料だということを教えてあげると、大いに感謝された。後の再会を約束する。

 17:00ホテル3☆朝食付11000円にチェックインする。また、日本並みの物価に戻った。

 夕食を取ってから、南1kmにある、世界遺産アテネのアクロポリスに向かう。本日5月18日は、全世界的に「国際博物館の日」で、入場料は無料←30ユーロである。20:00迄開いている。

 北側の風の神の塔から登っていく。BC1世紀に、天文学者が建てたものという。

 チケット売場で無料券をもらい、入場する。人数把握のために、チケットを発行しているのだろう。

 すぐ右手、イロド・アティコス音楽堂を見下ろす。紀元2Cのものだ。5000席ある。

 プロピレア(前門)から、神殿域に入る。

 門左手のアグリッパの台座は、元は騎馬像が乗っていたのだが、今は台座だけ。

 門右手のアテナ・ニケ神殿は、BC424に完成した、小さな神殿だ。勝利の女神ニケがどこへも行けないように、翼を切り落として祀った、という伝承がある。

 丘の上に出ると、パルテノン神殿が目に飛び込んできた。BC432に完成したもので、46本の柱が残っている。一部、修理中のようだ。

 左手のエレクティオンは、BC408年に完成した王の館だが、その後焼失した。

 その前には、アテナ古神殿跡・祭壇跡が広がる。BC6世紀に建造された神殿は、BC480年、ペルシャ軍によって破壊された。

 東側に回り、再度パルテノン神殿を撮る。

 ここには、BC27年に建てられた女神ロマと皇帝アウグストゥスの神殿跡と、BC6世紀のゼウス・ポリエウスの聖域がある。ともに、現存する遺構はない。

 東端の展望台に登ると、アテネ市街が一望のもとだ。振り返り、三度目のパルテノン神殿を撮る。

 南側を回って帰途につく。途中、ディオニソス劇場を見下ろす。ギリシャ最古で、15000人を収容したという。

 さらに、エウメネスの柱廊を見下ろしながら、丘を降りる。結局、同志社大生には会えなかった。広いし、これだけ多くの見学者がいたら、仕方ないだろう。この後、北700mにある古代アゴラに向かう。

 途中、ローマン・アゴラの前を通る。BC1C〜AD2Cと新しい。その先のハドリアヌスの図書館も、2Cのものだ。どちらも、今日は入場無料なのだが、外から全貌が望めるので、入場はせず。

 アトロスの柱廊(古代アゴラ博物館)が見えてくると、古代アゴラに到着。BC450年の市場である。こちらも、本日は入場無料。

 ゼウス・エリトリオスの柱廊から右手に折れ、まずは、ヘファイストアウ神殿に向かう。パルテノン神殿とほぼ同時期の建築で、ギリシャ国内で最も原形を残している。

 ここからは、さっき登ったアクロポリスの全景が望める。

 西側に回り、再度ファイストアウ神殿を撮る。パルテノン神殿より、こちらの方が好きかも。

 丘を降りる際、古代アゴラの全景を撮る。めっちゃ広い。

 下り切った所には、トロスという円形の建物跡があった。評議員の詰め所で、BC480年に建造されたものだ。

 中央柱廊の前を抜けると、メトロンに至る。BC2世紀の公文書保管庫である。

 その隣のプーレウテリオンは、議事堂である。500人の評議員が司っていた。

 東側のアグロッパの音楽堂は、BC15年に建造された2階建の音楽堂だが、その後焼失した。巨人像3体のみが残っている。

 出口に向かうと、突然、笛が鳴り響いた。時刻は、19:45。出場を促す、閉館15分前の笛だった。

 800m歩いて、ホテルに戻る。途中、ミトロポレオス大聖堂を見る。1855年に建てられたものだ。その隣のアギオス・エレフテリオス教会は、12Cのものである。

 日没の20:30ちょうど、ホテルに帰着。

 令和5年5月19日(金)11日目、07:00朝食。コンチネンタルではなかったので、種類が豊富だった。久しぶりに、ゆったりとした時間を過ごす。今日は、午後の便で、ドーハ経由東京に帰る。それまでは、近場を散策し、みやげを買う。

 シンタグマ駅のすぐ東側、国会議事堂の前に、無名戦士の墓がある。1823年のトルコからの独立戦争で犠牲になった人たちのものだ。ちょうど、衛兵がパフォーマンスをしており、中国人ツアー客数十人が見物していた。

 南に広がる国立庭園の中を10分ほど歩き、ハドリアノス門に向かう。2Cのもので、高さは18mある。

 その向かいのゼウス神殿も、2Cのものだ。15本の柱が残っている(元は104本)が、修理中のようだったので、入場はせず。

 ホテルに戻る途中、道路脇に、ちょっとした遺跡があった。2Cのもののようだが、英語での説明書きがなく、詳細不明。

 昨日見付けたスーパーマーケットで、オリーブオイルとチョコレートのみやげを買い、ホテルに戻る。10:00チェックアウト。

 10:10バスX95で、早目に空港に向かう。だが、渋滞は無く、11:10空港着。荷物を預け、14:00ATH発QR204-359に乗り込む。ドーハまでは4h25分のフライトだが、カタール航空は、飲物サービスがあった。

 なお、座席の画面に表示された飛行ルートによれば、エジプトのシナイ半島まで南下して、少し遠回りをした。おそらく、イスラエル上空を避けているのだろう。

 18:25DOH着。時差は0hである。ドーハは、人口238万人、例年の日出04:47、日没18:14、最低29℃、最高38℃である。成田行きの夜行便まで時間があるので、市内見物をする。なお、入国の際、顔写真と指紋を取られた。

 10米$を、28カタールリアルに両替する。為替レートは、二段階両替のため、1QR50円くらいか。入国すると、たちまち汗がにじみ出る暑さ。

 109/747番バスで、市中心のAl Ghanim Bus Stationに行くのだが、バス乗り場は閑散としている。757系統のバスが1台だけ停まっていたので、運転手に尋ねる。

 すると、英語で、

「Al Ghanim Bus Station is closed.Metro is working!」

 そうか、地下鉄が開通したのか。去年、サッカーワールドカップがあったからな。「地球の歩き方」は、新型コロナウィルスのため、この4年ほどは、どの国のガイドブックも改訂していない。情報が古いのだ。

 空港に戻り、メトロの標識を探すが、見当たらない。キョロキョロ見回していると、一人のビジネスマン風の中年男性が、英語で声をかけてきた。ちょうどメトロ駅に向かうので、御一緒してくれると言う。悪い人ではなさそうなので、ご厚意に甘える。

 ヨルダンから仕事で来ているとのこと。私が、「アンマン」とつぶやくと、「YES YES」と言って喜んだ。来年、東京出張の予定もあるとのこと。東京の人口を尋ねられたので、「13million、首都圏は36。」と答えると、ビックリしていた。

 地下鉄駅へは、陸橋を二つ渡るので、10分くらい歩く。駅にも係員がいて、バトンタッチされた。ヨルダン人ビジネスマンには礼を言う。

 駅員は、目的地までの行き方を、路線図をもとに英語で説明してくれる。さらに、自販機で一日券6QRを買う操作まで、代わりにやってくれた。アラブの国は初めてだが、どこもこうなのか。

 まずは、ムシュリブ博物館に向かう。今日金曜日は祝日で、21:00迄開いている。4つの展示館があるので、まず、Company HouseとJassim Houseを見る。石油関連の展示だった。

 次に、Radwani Houseという、暮らしに関する展示館に入る。1920年代に建てられた、ドーハ初の建物とのこと。住居跡の遺構もあり、「カタールにも考古学あり。」と、英語の解説板では胸を張っていた。

 残りのJelmond Houseは、奴隷に関する展示、ということなのでパスする。

 博物館をあとにし、徒歩5分ほどのドーハフォートに向かう。ドーハ最古の城塞で、対英国用に築かれたものだ。入場19:00迄なので、外観のみ撮る。

 最後に、スーク・ワキーフという市場を抜けて、地下鉄駅に戻る。中は迷路のようだ。飲食店や土産物屋は、人でごった返している。親子連れも多い。昼間は暑いので、皆、夜になってから行動するのだろう。

 21:00を過ぎた。全日程終了。空港に戻る。今日の万歩計は、12000。

 なお、地下鉄は、こちらが降りる前に乗って来る。インドと同じだ。音楽もガンガンかけてるし。ドーハは、高層ビルが立ち並ぶ近代都市だが、民度は?

 令和5年5月20日(土)12日目、02:05DOH発QR806-351に乗り込む。10h30分のフライト中、食事は2回出た。

 18:35成田ターミナル2着。時差は6h。待ち時間0の入国審査の後、荷物を受け取り、19:17京成アクセス特急に乗り、20:21蔵前着。

 あっという間の12日間だった。いつかまた、JALマイルを貯めて、世界一周の「修行」をしたいな。この次は、距離が短く、マイルが少なくて済む、北寄りを回るかな。カナダ、アイルランド、スウェーデン、ロシアなどは、未訪問だし。早く平和な世の中にしなければ。

  以上

※備忘録:持参した方がよかったもの

 室内履きサンダル、割り箸、洗濯バサミ、靴ベラ、日焼け止め、はちみつ飴、乾燥納豆、二穴の海外用電源プラグ、英語表示のホテル予約画面。

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