ガイド】日本の史跡を巡る27 箕輪城・茅野遺跡耳飾り館 久田巻三

 平成5年11月22日(月)の日経新聞朝刊に、「縄文の里にようこそ」という見出しで、群馬県榛東村にある茅野遺跡の耳飾り館の賑わいぶりが紹介されていた。さっそく、104で電話番号を調べて問い合わせてみると、ちょうど開館1周年記念特別展示をやっているとのこと。明日は勤労感謝の日だ。しめしめ。
 赤羽8時50分発の快速アーバン号に乗って、高崎で降りる。行きがけの駄賃に、まず箕輪城に向かった。前から行ってみたいと思っていた国指定史跡だ。
 10時35分発の箕郷(みさと)行きバスに乗って30分、終点1つ手前の本町で降りる。そこから、小学校に続くゆるやかな坂を15分ほど登っていくと、大手尾根口と書かれた城への登り口に到着。ちょっと分かりにくいが、降り際に、バスの運転手がわざわざ地図まで書いて説明してくれた。
 うっそうとした杉木立の中を、左手眼下に空堀などを眺めながら登ること10分で、二の丸に到る。手前には、郭馬出しと呼ばれる小スペースがあった。囲いの中に兵が隠れていて、敵が来たときに、一気に討って出るというわけだ。
 二の丸・本丸とそれ以外の郭とは、大堀切と土橋によって仕切られている。深さ10m以上もある空堀の上を、わずかに細い土橋が架かっている。このような城を、一城別郭の城と言うらしい。片方が落城しても、もう片方で戦闘続行できる。戦国初期の城の特徴だ。
 案内板に従って、本丸の縁を迂回し、北端一番奥まで行ってから、本丸に登る。本丸跡は、今は桑畑になっていて、昔を偲ぶよすがは何もない。広さは、隣の御前郭も合わせると、かなりのものである。サッカー場とまではいかないが、その半分位はあるだろう。いざという時は、数千の兵を収容できたのではないか。
 説明が遅れたが、箕輪城は、戦国時代初期に西上野で勢力を誇った長野氏の居城である。関東平野の北端の榛名山の南麓にあり、、平野と山の境目に築かれた、いわゆる丘城である。二の丸に立つと、関東平野が一望のもとに見渡せる。かすかに、太田の金山城(これも国指定史跡)も望め、きっと支城ネットワークが形成されていたに違いない。
 長野氏は、終始一貫、山内上杉氏に属して、各地を転戦した。だが、時代の波にあらがうことはできず、結局、1561年になって、甲斐の武田信玄に滅ぼされてしまった。落ち目の山氏内に対する、愚直ともいえるほどの忠誠ぶりは、戦国の世にあっては、はなはだ貴重だ。
 その後、箕輪城は、滝川一益、北条氏邦と、城主を代えた。徳川の世になってからは、井伊直政12万石の本城となったが、高崎城ができてからは、まもなく廃城となった。
 帰りは、搦手口より下り、東明屋というバス停から、伊香保温泉行きバスに乗って、耳飾り館に向かった。
 実は、館に前日電話でアクセス方法を尋ねたところ、「バスの便はないので、新前橋駅からタクシーで来てくれ。」と言われた。地図を見ると、往復で1万円はかかりそうだ。
 冗談じゃない。しつこく最寄りのバス停を聞き出すと、榛東村役場から徒歩40分ということであった。(実際は、村役場の一つ先の倉海渡が最寄りのバス停)
 しかし、この40分がしんどかった。かなりの上り坂である。冬とは言え、澄んだ空気を突き抜けてくる直射日光を浴びて、全身から汗が吹き出した。
 入場料500円也を払って中に入ると、なかなかの盛況である。各展示室に説明員が付いて、大勢の来館者に対して熱心に解説をしてくれていた。耳飾り館は、茅野遺跡で577点という大量の土製耳飾りが出土したことから、それを収蔵するテーマ館として、1年前にオープンしたものである。
 出土した耳飾りは国の重要文化財に指定されている。直径3cmから9cmの円形で、中には見事な透かし彫りを施したものもあった。吊るすような紐は付いてないことから、直接耳たぶに穴を空けて埋め込んだものと思われる。
 それにしても、対になるものが一つもないのはどういうわけだろうか。まだ未発掘の耳飾りが2000点ほど土中に眠っていると推定されているので、その中にペアがあるのか。それとも、何か呪術的な意味があって、同じものを作っていないのか。
 それともう一つ謎がある。縄文時代にこれだけ盛んであった耳飾りが、弥生時代になると全く姿を消してしまうのである。単に、習慣を異にする民族に入れ替わっただけなのか。それとも、何か別の理由があるのか。弥生は、環濠集落からも分かるように、戦争の時代である。おしゃれなどに気を使っている余裕はなかったのであろうか。
 この耳飾り館には、世界各国から収集された耳飾りも展示されている。もちろん、世界初の耳飾り専門館である。こうしたユニークな試みは、もっとなされていいと思う。この1年で、すでに5万人もの人がここを訪れたというのだから。
 ついでに、耳飾り館から徒歩15分ほどの茅野遺跡に寄ってみた。先日(11月19日)、国の史跡に指定されたばかりのほやほやである。
 だが、残念なことに、今は埋め戻されて、その上を牛がたむろしているばかりであった。やはり、発掘時に見ておかなければどうしようもない。こうした遺跡発掘時の現地説明会等のホットな情報は、どうすれば得られるのであろうか。知っている人がいたら、是非教えて頂きたい。
 帰りは、前橋行きのバスで群馬総社に出た。ここは、古墳銀座として有名なところである。駅近くには二子山古墳があったので、寄ってみる。ちょっと得した気分だ。6世紀末築造、全長90mの前方後円墳で、昭和2年国の史跡に指定されている。
 今回は、交通の便が非常に悪いにもかかわらず、割と効率的かつ安価に回れたと思う。ただし、情報は重要である。効率的に入手する方法はないかな。
       以上

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