平成14年5月2日、奈良国立博物館と東大寺で開催された「東大寺のすべて」展を見たついでに、1泊2日で奈良市内と飛鳥を回ってきました。なお、国宝執金剛神立像の秘仏開帳は、「東大寺のすべて」展の見聞レポートを参照してください。
国宝執金剛神立像の秘仏開帳が行われた国宝三月堂を出て、国宝正倉院に向かう。大仏殿の後ろ側の道を行くと、左手に大湯屋があらわれる。続けて、右手には講堂跡の礎石があった。
正倉院は、思っていた以上に大きな建物であった。また、校倉造りの木の組み方も、とても美しかった。月曜から金曜の平日に、外観を見ることができる。
国宝の転害門を出て、バスで般若寺に向かう。春の特別寺宝展をやっている。
国宝の楼門は、小ぶりだが、均整の取れた美しい形をしている。
境内に入ると、すぐに十三重の石宝塔が目に飛び込んできた。高さ14mもある大きなもので、日本の代表的石塔である。重要文化財に指定されている。
十三重塔の隣には、重要文化財の笠塔婆が2本立っている。高さ4.8mで、ともに梵字が書かれている。
春の特別展では、十三重塔に納入されている、重要文化財の秘仏薬師如来像と水晶五輪舎利塔を見ることができる。薬師如来像は、手に乗るくらいの小さなものだが、全身に金箔が残っている。水晶五輪舎利塔も、高さ数cmのミニサイズで、4点ほどが並んでいた。
最後に、重要文化財の経蔵を見てから、般若寺を後にした。
近鉄奈良駅に戻り、法華寺に行くバスに乗り換える。佐保路にある3つの寺を一気に回る。
法華寺は、光明皇后御願の日本総国分尼寺である。東大寺が、聖武天皇御願の日本総国分寺であるのに対応している。
庭園、客殿、慈光殿の特別公開ということだが、入場料1000円はちょっとボリ過ぎ。
客殿の縁側に座り、名勝の庭園を眺める。アヤメかカキツバタか分からないが、紺色の花が、一面に咲き誇っている。
慈光殿は宝物殿なのだが、特に指定の文化財はなかった。国宝の木造十一面観音立像と絹本着色阿弥陀三尊の公開は、別の期間のため、見ることはできなかった。
海龍王寺は、法華寺から徒歩5分ほどである。お目当ては、日本最古最小の国宝五重小塔である。高さは4mほどで、西金堂の中に収められている。デジタルカメラでは、塔全体を撮ることはできなかった。
塔を収めている西金堂自体も、重要文化財である。
佐保路最後は、不退寺である。バスに乗って不退寺口で降り、北に向かって200mほど歩くと、重要文化財の南門が現れる。
本堂(これも重要文化財)に上がり、聖観音菩薩立像と五大明王像(ともに重要文化財)を拝してから、秘宝特別展の在原業平画像に向かう。
掛け軸になっていて、でっぷりとした感じの在原業平が座っている。なぜか、右手で頭をかいてる。不退寺は、別名業平寺とも呼ばれている。
最後に、重要文化財の多宝塔を見学した。名前と違って、一層しかない。住職が嘆いていた。もともとは二層で、屋根も檜皮葺きだったのだが、今は瓦葺きの一層になっている。室生寺の五重塔は見事再建がなったのに、こちらには国の援助がない、と。
近鉄奈良駅に戻ると、16時半であった。最後一踏ん張りして、興福寺を巡る。
興福寺といえば五重塔だが、実は三重塔もあって、こちらも国宝に指定されている。鎌倉時代のものだが、優美な感じがする。
北円堂も国宝で、八角の形がミステリアスな感じをかもし出す。実は、今日は、内部の仏像が特別公開される日なのだが、時間が16時までであった。事前調査不足!
本日はこれにて終了。近鉄で橿原神宮前まで行き、駅前のホテルに泊まる。
平成14年5月3日、今日は、飛鳥の地を回る。ホテルに荷物を預け、まずは、特別史跡キトラ古墳に向かう。近鉄壷阪山駅から、徒歩25分ぐらいであった。ちょっと道が複雑なので、近鉄が出している飛鳥のパンフレットを持参した。
キトラ古墳は、発掘調査中のため、グリーンのシートがかけられていた。直径14m、高さ3mほどの小さな古墳である。
ここから、四神像と天文図が見つかった。ファイバースコープで内部を撮った写真が、カラーで新聞を飾ったのは記憶に新しい。彩色の壁画が見つかったのは、高松塚以来である。
実は、一昨年、新たに3つの特別史跡が指定されたため、全件制覇が崩れてしまっていた。青森の三内丸山遺跡と壱岐の原ノ辻遺跡は既に訪れたが、このキトラ古墳は未見だった。今日、再び完全性を回復した。
帰りは、於美阿志神社を経由して、飛鳥駅に出た。於美阿志神社は、国指定史跡桧隈寺跡の上に建てられた神社である。本堂、講堂、塔等の基壇の上には、一面草が生い茂っていた。なお、境内右手の石造十三重塔は、平安時代のものである。
ホテルをチェックアウトして、バスで酒船石遺跡に向かう。亀型石造物が発見されて話題となったところである。
万葉文化館でバスを降りると、目の前が遺跡であった。300円の入場料を取るとは驚いたが、遺跡はきれいに整備されていた。
階段状の石組みの一番底に、亀型石はあった。ここで、水を用いた何らかの祭祀が行われたらしい。
国指定史跡酒船石は、右手の階段を2分ほど登ったところにある。途中、に出土した石垣の一部が見られるところがあった。四角い石を丁寧に積んである。
酒船石は、長さ5.5m、幅2.3m、高さ1mの大きな石で、表面に縦横斜めに溝が彫られている。昔、ここで酒を搾ったからその名が付いたと言われているのだが、実際は、先ほどの亀型石とセットで、水の祭祀に使われたらしい。
次に、20分ほど歩いて、特別史跡石舞台古墳に行く。
途中、国指定史跡伝板葺宮跡があったので寄ってみる。石の広場や井戸が復元されている。最近の研究では、実はここが天武天皇の飛鳥浄御原宮だった、という説が有力になっている。
石舞台は、多くの見学者で混んでいた。飛鳥第一の観光地なのだろう。レストランや土産物店が並んでいる。
何度見てもデカイ。使われている石の総重量は2300トンという。回りは一辺55mの周溝に囲まれている。当時の権力者であった蘇我馬子の墓といわれているが、どうであろうか。
羨道から中に入る。やはり広い。奥壁と天井石の間に隙間があって、光が射し込んでいる。それにしても、いったいどうやって造ったのであろうか。
桜井駅行きのバスに乗り、安倍文殊院で降りる。最後に、特別史跡文殊院西古墳を見る。以前、定期観光バスで一度訪れたことがある。
文殊院西古墳の石材は、石舞台と違って、きれいに直方体に切り揃えてあった。屋根もアーチ型になっていて、ちょっと変な表現かもしれないが、優美な墓である。
文殊院には、東古墳というのもあって、県指定史跡になっている。こちらの石積みはバラバラである。
バスで桜井駅に出て、近鉄特急と新幹線で東京に戻った。初夏のような陽気で大いに汗をかいたが、充実した二日間であった。