ガイド】日本の史跡を巡る95 奈良の寺社特別公開&飛鳥 久田巻三

 平成14年5月2日、「東大寺のすべて」展を見たついでに、奈良市内の寺院の特別展と飛鳥を回ってきました。

 国宝の三月堂を出て、大仏殿の後ろ側の道を、大湯屋を左手に、また、講堂跡の礎石を右に見ながら国宝の正倉院を目指す。

 正倉院は予想以上に大きな建物であった。そして校倉造りの木の組み方が美しかった。月曜から金曜の平日に外観を見ることができる。

 国宝の転害門を出て、バスで般若寺に向かう。春の特別寺宝展をやっているのだ。

 いきなり国宝の楼門があらわれた。小振りだが、均整の取れた形は美しい。

 境内に入ると、すぐに十三重の石宝塔が目に飛び込んできた。高さ14mもある大きなもので、日本の代表的石塔である。重要文化財に指定されている。

 十三重塔の隣には重要文化財の笠塔婆が2本立っている。高さ4.8mで、ともに梵字が書かれている。

 春の特別展では、十三重塔に納入されている重要文化財の秘仏薬師如来像と水晶五輪舎利塔を見ることができる。薬師如来像は手に乗るくらいの小さなものだが、全身に金が残っている。水晶五輪舎利塔も高さ数cmのミニだが、4点ほど並んでいた。

 最後に重要文化財の経蔵を見てから般若寺を後にした。

 近鉄奈良駅に戻り、法華寺に行くバスに乗り換える。佐保路の3つの寺を一気に回ってしまうつもりだ。

 法華寺は、日本総国分尼寺として光明皇后御願の寺である。(東大寺が聖武天皇御願の日本総国分寺であるのに対して)

 庭園、客殿、慈光殿の特別公開ということだが、入場料千円はちょっとぼりすぎじゃないの。

 客殿の縁側に座り、名勝の庭園を眺める。アヤメかカキツバタか分からないが、紺色の花が一面咲き誇っている。

 慈光殿は、宝物殿なのだが、特に指定の文化財はなかった。国宝の木造十一面観音立像と絹本着色阿弥陀三尊の公開は、別の期間のため、見ることはできなかった(次回は十月二十五日から十一月十日)。

 海龍王寺へは法華寺から徒歩5分ほどである。お目当ては日本最古最少の国宝五重小塔であろう。高さは4mほどで西金堂の中に収められている。デジタルカメラでは塔全体を撮ることはできなかった。

 塔を収めている西金堂自体も重要文化財である。

 佐保路最後は、不退寺である。バスに乗って不退寺口で降り、北に向かって200mほど歩くと、重要文化財の南門が現れる。

 本堂(これも重要文化財)に上がり、聖観音菩薩立像と五大明王像(ともに重要文化財)を拝してから、秘宝特別展の在原業平画像に向かう。

 掛け軸になっていて、でっぷりとした感じの在原業平が座っている。なぜか右手で頭をかいてる。不退寺は、別名業平寺とも言われる。

 最後に重要文化財の多宝塔を見学した。名前と違って一層しかない。住職が嘆いていた。もともとは二層で屋根も檜皮葺きだったのだが、今は瓦葺きの一層になっている。室生寺の五重塔は、見事再建なったのに、こちらは国の援助がない。というような内容でした。

 近鉄奈良駅に戻ると16時半であった。最後の一踏ん張りで興福寺を巡ろう。

 興福寺といえば五重塔だが、実は三重塔もあってこちらの方も国宝に指定されている。鎌倉時代のものだが、優美な感じがする。

 北円堂も国宝で、八角の形がミステリアスな感じをかもし出す。実は、今日は内部の仏像が特別公開される日なのだが、時間が16時までであった。あー、残念。

 本日はこれにて終了。近鉄で橿原神宮前まで行き、駅前のホテルに泊まる。明日は飛鳥の地を回る。

 5月3日、朝8時に出て、特別史跡キトラ古墳に向かう。近鉄壷阪山駅から徒歩25分ぐらいであった。ちょっと道が複雑なので、近鉄が出している飛鳥のパンフレットを持参した方がいい。

 キトラ古墳は発掘調査中のため、グリーンのシートがかけられていた。直径14m、高さ3mほどの小さな古墳である。だが、ここから四神像と天文図が見つかったのである。彩色の壁画が見つかったのは高松塚以来である。ファイバースコープで内部を撮った写真がカラーで新聞を飾ったのは記憶に新しい。

 それにしても、あー、うれしい。

 実は、一昨年にあらたに3つの特別史跡が指定されたため、私の特別史跡完全制覇がくずれてしまっていたのだ。青森の三内丸山遺跡と壱岐の原ノ辻遺跡は既に訪れていたのだが、このキトラ古墳は行ったことがなかった。今日再び完全性を回復した。

 帰りは於美阿志神社に寄って飛鳥駅に出た。於美阿志神社は、国指定史跡桧隈寺跡の上に建てられた神社である。本堂、講堂、塔等の基壇の上に草が生い茂っていた。なお、境内右手の石造十三重塔は、平安時代のものである。

 ホテルをチェックアウトして、バスで酒船石遺跡に向かう。亀型石造物が発見されて話題となったところである。

 万葉文化館でバスを降りると、目の前が遺跡であった。300円の入場料を取られるとは驚いたが、遺跡はきれいに整備されていた。

 階段状の石組みの一番底に亀型石はあった。ここで水を用いた何らかの祭祀が行われたらしい。

 国指定史跡酒船石は、右手の階段を2〜3分登ったところにある。途中に出土した石垣の一部が見られるところがあった。四角い石を丁寧に積んである。

 酒船石は、長さ5.5m、幅2.3m、高さ1mの大きな石で、表面に縦横斜めに溝が彫られている。昔ここで酒を搾ったからその名が付いたと言われているのだが、実際は先ほどの亀型石とセットで、水の祭祀に使われたらしい。

 ここから20分くらい歩いて特別史跡石舞台古墳に行く。

 途中、国指定史跡伝板葺宮跡があったので寄ってみる。石の広場や井戸が復元されている。最近の研究で、実はここが天武天皇の飛鳥浄御原宮だったという説が有力になっている。

 石舞台は、多くの見学者で混んでいた。飛鳥第一の観光地なのだろう。レストランや土産物店が並んでいる。

 しかし、何度見てもデカイ。使われている石の総重量が2300トンという。回りは一辺55mの周溝にに囲まれている。当時の権力者であった蘇我馬子の墓といわれているが、どうであろうか。

 羨道から中に入る。やはり広い。奥壁と天井石の間に隙間があって光が射し込んでいる。それにしても、いったいどうやって造ったのであろうか。

 石舞台から桜井駅行きのバスに乗り、安倍文殊院で降りる。特別史跡文殊院西古墳を見るためである。前に定期観光バスで一度訪れたことがある。

 文殊院西古墳の石材は、石舞台と違って、きれいに直方体に切りそろえてあった。屋根もアーチ型になっていて、ちょっと変な表現かもしれないが、優美な墓である。

 文殊院には東古墳というのもあって、県指定の史跡になっている。こちらの方は、石積みはバラバラである。

 バスで桜井駅に出て、近鉄特急と新幹線で東京に戻った。初夏のような陽気だったので、大いに汗をかいたが、充実した二日間であった。 以上

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