平成25年2月27日から一泊二日で、特別名勝36件のうち最後まで未見として残っていた、和歌山県の瀞八丁に行ってきました。
というのも、熊野交通のホームページで、「復興1周年記念−瀞峡ウォータージェット船半額キャンペーン」なるものを見つけてしまったからだ。2月末までの期間限定である。
特別名勝については、一昨年秋に35件目の三段峡に行ってから、全件制覇までリーチがかかっていた。マイルも貯まっていることだし、ここらでやっつけてしまおう。
平成25年2月27日11:20羽田発JALに、シュウマイ弁当を買って乗り込む。
12:40南紀白浜空港着。東京からずっと雨雲の上を飛んでいたが、白浜上空で雲が切れた。一転、こちらはいい天気だ。
レンタカーを借り、いざ出発。今日は、田辺市に散在する史跡を網羅してから、紀伊半島を南下し、勝浦温泉に泊まる。明日は、瀞八丁を見てから、昼過ぎに空港に戻り、東京に帰る。
まずは、空港のすぐ北にある鳥巣半島の泥岩岩脈に向かう。天然記念物である。カーナビには、民宿ひろはた0739−25−0352を入力する。
液状化した泥岩層が吹き出して固まったものだ。幾筋も、海に向かって並んでいる。500本以上あるそうだ。干潮の時だけ、約1.5kmにわたって見られる。
実は、出発日を今日に決めたのは、干潮の時間が12:49だったからである。ちょうどいい日が他になかった。気象庁のホームページで、全国各地の干潮・満潮の時刻が調べられるのだが、便利な世の中になったものだ。
快晴ではあるが、風が強い。通過したばかりの低気圧に、西風が吹き込んでいるのだろう。ゴーグルを持参するのを忘れたのは、大きなミスだった。後々、大いに後悔することになる。
沖合の田辺湾内には、神島(かしま)が浮かんでいる。天然記念物である。上陸禁止なので、ここから眺めるしかない。暖地性の植物が繁茂している。保護活動に奔走していた南方熊楠が、この地を行幸した昭和天皇を案内したところだ。
これより北上し、磯間岩陰遺跡に向かう。国指定史跡である。カーナビには、ガーデンホテルハナヨ0736−26−0874を入れる。
田辺市内に入ると、渋滞にはまってしまった。空港があるくらいだから、意外に大きな町なのだろう(帰ってから調べたら、和歌山県下第二の人口を擁する都市でした)。
5kmの道のりを30分以上もかかって、やっと着いた。ところが、肝心の遺跡の場所がわからない。ホテルの北100mの東側にあるはずなのだが。
車を停めて、歩いて探し回る。10分ほどウロウロして、ようやく入口の小さな標識を見つけた。民家の間の、人一人がやっと通れるくらいの細道を奥に進むとあらわれた。
磯間岩陰遺跡は、幅23m、奥行き5mの海蝕洞窟である。石室8基と火葬跡5か所が発見されたというが、今は落下した砂に埋もれていて、識別できなかった。
続けて、市西部にある高山寺貝塚に向かう。国指定史跡である。高山寺0739−22−0274は、カーナビに入っていた。
駐車場脇の石段を登ると、多宝塔があらわれる。落ち着いた感じのシックな姿で、市の観光パンフレットにも使われている。
貝塚は、西の台地上にあったのだが、今は埋め戻されて、石碑のみが立っている。縄文時代早期の貝塚という。境内には、梅が咲き誇っていた。紀州は梅の産地だ。
市東部にある三栖廃寺塔跡(みす)に向かう。国指定史跡である。カーナビには、住所「田辺市下三栖を入れる。途中の道路に標識があり、迷うことはなかった。
9m四方の瓦積みの基壇が復元されている。白鳳時代(8世紀頃)創建という大変古い寺院で、法隆寺様式の伽藍を有するそうだ。
基壇上には、礎石が並んでいるが、元々あったものなのだろうか。
中央の塔の心礎は本物のようだ。直径60cmの真円があいていて、水が溜まっていた。
これより反転し、紀伊半島の西岸を南下する。この時点で、予定より1時間近い遅れになっている。
国道42号を富田川に沿ってしばらく進む。富田川は、オオウナギ生息地の北限ということで、天然記念物に指定されている。
30分ほど走り、周参見駅入口の次の信号を右折すると、堤防で行き止まった。その向こうに、稲積島暖地性植物群落(いなづみじま)が見える。天然記念物である。
周参見湾に浮かぶ周囲1kmの小島で、白い岩肌の上に、南国の木々が生い茂っている。上陸には許可が必要なので、写真だけ撮って戻る。
さらに20分ほど南下すると、江須崎暖地性植物群落に至る。天然記念物である。エビとカニの水族館0739−58−8007に駐車場があり、そこから遊歩道が延びている。
5分ほど歩くと、突然視界が開けた。周囲3kmの小島が、眼下に見える。繁茂した木々は、やはり、黒潮洗う南国という感じだ。
入口に鳥居が見える。江須崎明神(春日神社)が島内に鎮座しているという。古来より、神として崇められていたのだろう。
橋で陸続きのようだが、下りてからまた戻ってくるのは大変そうだし、時間も押しているので、遠望だけに留める。
国道42号から県道39号に入り、古座川の一枚岩に向かう。天然記念物である。カーナビには、観光物産センター07357−8−0244を入力する。すれ違い困難な箇所が所々にあったが、対向車はなかった。
古座川の一枚岩は、高さ150m、幅800mという、まぎれもない一枚岩だ。ブラタモリでやっていたが、巨大カルデラの壁の痕跡ということだ。コバルト色の古座川とマッチして、圧倒的迫力である。
さらに山奥に入り、ボタン岩を経由して、高池の虫喰岩に向かう。天然記念物である。カーナビには入っていなかったが、古座川町役場前を北へ左折すれば、県道沿いにある。
流紋岩質凝灰岩が風水食を受けて、虫食い状態となったということだ。高さは60mあり、先ほどのボタン岩の親分といえる。
県道を紀伊半島東岸まで突き出て、再び国道42号に戻り、下里古墳(しもさと)に向かう。国指定史跡である。
下里の信号を右折して300m、下里駅の北200mにある、はずなのだが、あらわれない。その場所には、広い墓地があるだけだ。全長約50mの前方後円墳で、周囲に溝や葺石を伴うので、すぐわかると思っていたのだが。
さんざん探し回ったが、探し出せなかった。ついに、日没の17:50になってしまった。諦めて、今宵の宿である勝浦温泉に向かう。
当初の予定では、那智大滝にも行くつもりだったが、断念するしかない。あと30分もあれば見られたのに。初っ端の田辺市内でのロスが大きかった。
那智大滝は、名古屋であった友人の結婚式の帰りに足をのばしている。その時、体が打ち震えるほどの感動を覚えたことは、今でも、まざまざと甦る。熊野信仰の原点が大滝にあることは、国宝那智滝図からもよくわかる。都の貴族が、この日本版曼荼羅を常にそばに置いて、礼拝したというのだから。
ちょっと脱線するが、私の人生の中で、体で感じた超絶の景色が、ここを含めて3つある。
最初は、高校1年生の時に、篭坂峠から見た富士山だ。無謀にも自転車で富士山に登ろうと、横浜から朝一番で近所のダチとともに出かけたのだが、近づくにつれて登りがきつくなり、峠を登り切ったところで、ついにギブアップと相成った。
その瞬間、目に飛び込んできた巨大なフォルムに、茫然自失して立ちすくんだのを覚えている。
あと一つは、20代半ばに見た、乗鞍岳の紅葉だ。秋の高山祭の帰りに、乗鞍スカイライン(現在は自家用車通行禁止)で、標高3000mの乗鞍岳の頂上に登ったことがある。帰りは、一般道で松本に下りたのだが、その途中での景色のことである。
上下左右前後360度、山が燃えているのだ。街中で見る紅葉とは、まったく色が違った。
歳を取ると、感動する力が衰えるのか、それ以降はそんな経験はない。
さて、閑話休題。翌日分のカーナビを入力してから、ホテルにチェックインする。
部屋の窓を開けると、すぐ海で、手が届きそうな近さだ。波静かな勝浦湾を囲むように、巨大なホテルが建ち並んでいる。温泉は、38度の塩化物泉である。ぬるめが好きな自分にはちょうどいい。今日の万歩計は7000歩、走行距離は132kmだった。
平成25年2月28日(木)07:30、宿を出発。今日は、紀伊半島東岸を北上して、新宮市、熊野市の史跡を網羅してから、西にとって返す。メーンイベントの瀞八丁を船で遊覧した後、半島を横断して、また白浜に戻る。その後、バスで白浜の名所を巡ってから、夕方のJALで東京に帰る。
那智勝浦新宮道路(8.9km)という、地元有力政治家の力を如実に示す無料高速道路を通り、新宮市に向かう。
新宮城跡附水野家墓所は、市南部にある。国指定史跡である。新宮高校073−522−8101の向かいの細い道を入ると、すぐに駐車場があった。
5分ほど登ると、うっそうとした林の中に、初代〜十代の墓石が林立していた。高さは、どれも2mくらいだ。
水野家は、紀州徳川家の付家老ではあるが、城持ち大名並の扱いを受けている。このような例は、江戸時代で他に2つあるという(それが何かの説明書きはなかった。一つは、加賀藩だと思うが)。
市内中央にある新宮藺沢浮島植物群落(いのそ)0735−21−0474に向かう。天然記念物である。開場は9:00〜なので、外観だけ写真に撮る。寒暖両性の植物の混生群落ということだ。
国指定史跡新宮城跡は、カーナビには丹鶴城公園で入っていた。石垣だけが残っている。大手口から写真だけ撮って先に進む。
熊野速玉神社のナギ0735−22−2533も見ておこう。天然記念物である。
こんもりと繁っている。高さは20mあり、ナギとしては日本一である。樹齢は約800年という。平重盛の手植えと伝わるが、史実かどうか。
熊野速玉神社は、先述したように以前訪れているし、宝物館では国宝の古神宝類も見ている。なので、参拝だけして、熊野市に向かう。
世界遺産を構成している七里御浜(しちりみはま)を経由する予定だったが、カーナビが山側の道を選択したことに気付かなかった。これが運の尽き。
なんと、途中で通行止めとなっていた。道路工事のようだ。さらに内陸に大きく迂回しなければならず、30分近いロスとなった。
再度国道42号に戻り、熊野市南部の花の窟に向かう。世界遺産である。
高さ45mの岩が御神体である。白い岩肌がむき出しになっていて、荒々しさを感じる。日本書紀にも記されている日本最古の神社という。日本人の信仰の原点ということだろう。
さらに北上すると、まもなく獅子岩があらわれる。熊野の鬼ケ城附獅子巖として、天然記念物及び名勝に指定されている。もちろん、世界遺産も構成している。
その名の通り、ライオンが大きく口を開けているように見える。高さ25m、周囲210mの奇岩で、地盤の隆起と海蝕現象によって生まれたという。
続けて、鬼ケ城に向かう。名勝である。鬼ヶ城トンネルを出てすぐに右折すると、観光センタの駐車場がある。そこからは遊歩道を歩く。
大きな岩がいくつも海に突き出している。征夷大将軍坂上田村麻呂による鬼退治伝説の地だが、関係はないようだ。荒々しい地形が、命名の由来なのだろう。
これより取って返す。帰りの車窓から、七里御浜(しちりみはま)が一望できた。弓なりに22km続く、日本一長い砂礫海岸である。巡礼道として世界遺産になっているので、写真を撮りたかったが、後続車が接近しており、駐車する路肩もなかったので、そのまま通り過ぎるほかはなかった。
熊野市より、国道311号に入り、紀伊山地に突入する。途中にある赤木城跡は後回しにし、ジェット船の乗船場である小川口に急ぐ。09:55〜14:55の間、1時間毎の出発なので、こちらを優先する。
カーナビには、住所「三重県熊野市紀和町小川口」を入力する。311号の瀞大橋手前の北側の河原が、乗り場である。
駐車場には、出航5分前に到着した。ギリギリセーフ。係員が一人立っていて、携帯で船に連絡してくれた。定員48人に、10名ほどが乗っていた。
ジェット船の発着場所は、以前は、下流にある志古のドライブインだったのだが、最近になって、途中の小川口からも乗れるようになった。料金は、志古往復3340円、小川口往復2200円である。それが、冒頭でも述べたように、2月末までは半額になる。
さて、熊野川の流れはゆるやかだが、途中の大瀬という場所だけは波立っており、船はしぶきを上げて疾走する。
瀞八丁の入口である下瀞に近づくと、船の屋根がスライドして開いた。これで、両岸の山のてっぺんまで見られる。
風が気持ちいい。今日の新宮市の最高気温は15度の予想で、2月とは思えない暖かさだ。寒いと風に当たるのはつらいので、今日はラッキーだ。
だが、問題が一つある。杉花粉だ。東京では何ともなかったのだが、こちらに来て発症したようだ。今日も「非常に多い」という予報で、ゴーグルを忘れたことを悔やむ。マスクだけでは片手落ちなのだ。昨夜も、鼻が詰まって、よく眠れなかった。
船は15分で下瀞に到着。ここからの1.2kmが、瀞八丁として、特別名勝及び天然記念物に指定されている。
右に左に、奇岩怪石が連続してあらわれる。まず左岸にあるのが、夫婦岩という2本の巨岩だ。
亀岩は、よく見れば、頭と胴体に分かれている。
屏風岩は、まさに屏風を広げたように、白い岩がそそり立っている。
寒泉窟は、縦に細長い洞窟で、夏でも冷気が漂っているという。
今度は、右岸にとさか岩があらわれる。たしかに、緑をのせた頂上が、鶏のとさかに似ている。
大きく右にカーブを切ると、コーナーに大黒岩がある。このあたりが、水深24mと最も深いところである。水も緑色が濃い。
約5分間のエクスタシーの後、田戸の船着き場に到着した。ここで20分間のトイレ休憩である。
あらためて、のぼって来た方を振り返る。すごい峡谷であることがよくわかる。
上陸地点は奈良県側になる。和歌山、三重、奈良の県境にある瀞八丁は、まさに秘境だ。特別名勝全件制覇のオーラスを飾るのにふさわしい。
船は、さらに上流の上瀞に向かう。
すぐ先の望月岩の手前のつり橋には、流木が引っ掛かっていた。高さ20mくらいの所だ。
一昨年の集中豪雨の猛威が、想像を絶するものだったことがよくわかる。志古のドライブインも壊滅した。しかし、奇跡的に船だけは全て残ったという。この度、再開にこぎ着けられて本当によかった。
ライオンが大きく口を開けたような獅子岩を見てから、船はUターンする。
上瀞遊覧の方は、わずか2分ぐらいだった。この先の上流は浅瀬になっていて、船は進めないようだ。母子の滝を見た後は、一気に小川口に戻った。
船長に礼を言って下船する。これで、特別名勝全36件コンプリート。中学の夏休みに、友達4人で高松の栗林公園を訪れたのが、1件目。以来、営々と積み重ねてきて、ついに今日という日を迎えることができた。もう感慨無量!
さて、来た道を少し戻り、赤木城跡及び田平子峠刑場跡に向かう。国指定史跡である。カーナビには、「熊野市紀和町赤木」を入力する。道路に案内表示があって、迷うことはなかった。
駐車場からは、もう城壁が見えている。登っていくと、横長の本丸の城壁が全貌をあらわした。
大手門から本丸の中に入る。内側からは、門の石垣の中の構造がよくわかる。この城は、築城当時の状態が残っているという。戦国期の数少ない遺構である。
本丸の広さは、テニスコート2面分くらいだ。わりと小さな山城である。
赤木城は、豊臣秀長の家臣であった藤堂高虎が築城したものだ。なんで、こんな辺鄙な山奥に城を構えたのだろう。ここは、伊勢、紀伊、大和の国境である。秀吉の弟として大納言にまで出世した秀長だが、敵対勢力に備えるために、境目の城を築き、警戒を怠らなかったと思われる。
国指定史跡片割れの田平子峠刑場跡がわからなかったので、駐車場にいた地元の人に尋ねてみた。城から西へ2kmほど行って、突き当たり右側のところにあると教えてくれた。
そこには、田平子峠の石碑があったが、史跡ではなさそうだ。さっきの人の言に従えば、峠脇の広場が刑場跡のようだ。
これより、一気に空港に戻る。距離は90km、所要2時間を予定している。
すぐ近くの丸山千枚田を写真に収める。1340枚と、数としては日本最大ということだが、見られたのはほんの一部だけだ。
このあとはノンストップで、311号をひたすら西に走る。本宮町までの20kmほどは、狭隘な山道が続くが、その先は快適に飛ばせた。
当初計画では、途中にある熊野本宮大社や、川湯温泉の仙人風呂(12月〜2月末日の期間限定)にも立ち寄る予定だったが、朝の通行止めのロスで、時間が無くなった。
熊野本宮大社は、前述の結婚式の際、国鉄バスで回った記憶がある。たしか、南紀ワイド周遊券が有効だったはずだ。途中にあった湯の峰温泉の風情も覚えている。つぼ湯は、温泉としては唯一の世界遺産である。750円を支払えば、今でも入浴できるということだ。
13:30白浜空港に到着。2日間の総走行距離は300km、燃費はリッター20kmだった。アイドリングストップ車の本領発揮だ。
このあとの半日、白浜町内の史跡名勝天然記念物をバスで回る。1日フリー券1000円を、空港2階の福亀堂売店で購入する。
13:48空港発の市内循環バスで、13:54三段壁下車。徒歩1分で、海に突き出した黄土色の絶壁が見えた。往きに、着陸直前の飛行機からも見たものだ。
14:08発の熊野古道特急バスに乗る予定だったが、フリ−切符では乗れないと、往きの運転手に言われて、一本前の14:00発のバスに急ぐ。
14:01千畳口で下車。西に300m歩いて、千畳敷に至る。円月島(高嶋)及び千畳敷として、名勝に指定されている。砂岩が浸食されて、皿が何枚も積み重なったようになっている。
レストハウスで軽い昼食をとった後、14:31発で、14:41白浜桟橋乗り換え、14:50発で14:55江津良で下車。白浜の化石漣痕を見る。天然記念物である。
干潮の時刻を少し過ぎた頃で、砂浜の東側に続く磯場に、漣痕をしっかりと見ることができた。遠浅の海底にできた波の跡が、模様となって砂の上に残ったものだ。
青い海、心地よい風。もう最高の気分。でも、ちょっと鼻がムズムズして、目がかゆいのが難点だ。
15:20発で白浜桟橋乗り換え、15:41白浜BCに到着。北へ200m歩いて、白浜の泥岩岩脈を見る。天然記念物である。数十脈が、御船足湯の傍に見て取れる。1500年前の地震によって、突き上げられたものだ。
さらに権現崎の方へ西に200mほど歩くと、堤防に突き当たるが、そこからは円月島をちょうど真横に望むことができる。中央にポッカリ穴の空いた島は、白浜のシンボルとして、ポスターにもよく使われている。先述した名勝の片割れである。
帰る途中に足湯があったが、入っていた地元の人に誘われて、自分も浸かってみる。ちょっと熱めだ。四方山話のついでに、これから行く予定の崎の湯のことを聞いてみた。日本三古湯の一つだ。
答えはネガティブなものだった。この時期は、寒くて入れたものではないという。もっといい内風呂が他にあると、いくつか紹介してくださった。
16:01白浜BC発で、16:04白良浜で下車。夏は海水浴場として大変賑わう。海外から白砂を輸入して撒いている、という人口浜ではあるが、海岸添いにはホテルが林立している。
16:12発で、16:15湯崎で下車。300m南に歩くと、崎の湯の露天風呂があった。無人だが、自動販売機が置いてある。料金は400円也。
先ほどの地元の人の言で、入ろうかどうしようか迷ったが、横に回って見てみると、確かに吹きさらしである。湯船から海までは約10mしかない。一人の男性が入っていたが、やはり寒そうにしていた。
万葉の昔から唯一残っている湯壷で、日本書紀にも記載がある。斉明、持統の両女帝も沐浴したという。町指定の史跡ではあるが、入るのは諦めて、文化財として鑑賞するにとどめよう。
16:49発で、17:05白浜駅着。明光バスの売店で、みやげを1割引で買う。フリー切符の余得だ。そのフリー切符だが、元値の2倍以上乗った。本数も1時間に3〜4本走っているので、まったく不便はない。
17:23白浜駅発で、17:35空港着。夕食後、18:30JAL1386で、19:30羽田着、の予定が10分遅れ。
今日の万歩計は12000歩。半日でもレンタカーを使わないと、結構歩く。
今回の旅は、当初2泊3日で計画していたのだが、急用が入って1泊2日に圧縮した。そのため、渋滞や通行止め等のアクシデントで、すでに訪れた場所の再訪は断念せざるを得なかった。計画にのりしろがないのは、やはりリスクがある。
まあ、それも致し方なしか。人生、思い通りに行くことは稀だ。ここで浮いた旅費で、また別の史跡巡りに出かけよう。
以上