毎日富士宮市のホームページをチェックしていたが、ついに特別天然記念物の下馬ザクラが満開になったので、翌平成26年4月15日、日帰りで見に行ってきました。また、ついでに静岡県側の世界遺産を回ってきました。
08:36東京発東海道線普通で、10:48三島着。レンタカーを借りて、いざ出発。今日は、静岡県側の構成遺産を網羅して、また三島に戻る。
まず、市内の柿田川に向かう。天然記念物である。2011年に指定されたばかりだ。
駐車場から第二展望台まで徒歩5分である。富士山の湧水による短い川だが、清流に直接触れることはできないようだ。眼下には、直径10mほどの湧出口があり、水面を盛り上げている。
次は、休場遺跡を目指す。国指定史跡である。カーナビには、沼津市宮本・足高を入力したが出ない。新沼津CCの北端にあるのだが、特定できなかった。細石刃、石囲炉が出土したというが、今は埋め戻されている。パスしよう。
興国寺城跡もカーナビに入っていなかった。国指定史跡である。北条早雲の城なので、こちらは外せない。カーナビには、沼津市根古屋を入力し、あとは近くを探そう。と思っていたら、道路に、「整備計画」の大きな立て看板があらわれた。
郭は3つあり、南北に連続して並んでいる。三の丸は、県道によって東西に分断されていた。二の丸は、草ツ原になっていて、そこから、本丸の土塁が見渡せる。高さ20mはあるだろう。八重桜が満開だ。
本丸に登ってみる。たいへん狭い。テニスコート一面分もない。5m四方ほどに礎石が並んでいたが、これは本物だろうか。「天守台」の標柱が立っていたが、少なくとも、天守はなかったのは間違いない。何らかの建物跡か?
ここからは、駿河湾まで一望のもとである。早雲は、ここを拠点に、さらに伊豆、相模にまで触手を伸ばした。戦国大名のさきがけである。
西に向かい、浅間古墳を目指す。国指定史跡である。やはりカーナビには入っていなかったが、住所「富士市増川」を入力して行ってみると、小さな案内表示があった。東名高速をまたいで北側にある。全長98mもある前方後円墳で、後円部上に神社があった。
さらに西進し、一つ目の世界遺産である富士山本宮浅間大社に向かう。富士市から富士宮市にかけての道路は、信号が多く、時間がかかった。
まずは、本殿に参拝する。重要文化財である。横から見ると、背の高い独特の造りだとわかる。
本殿横の湧玉池は、特別天然記念物である。富士山の湧水が豊かだ。富士講による登山の前にみそぎをした場所もあった。ここも世界遺産である。
富士山は、文化遺産としての登録である。実は、以前、自然遺産としての登録を目指したことがあるのだが、不法投棄ゴミの問題で却下された。今回の登録は、一言でいえば、「信仰の山」としての宗教的側面が主である。そのため、神社や富士講関連の遺跡がメインになっている。
これより北上し、大石寺五重塔0544-58-0800に向かう。重要文化財である。
途中、天然記念物万野風穴にも立ち寄る予定であったが、道路に標識はなかった。崩落の危険があり、入洞禁止なので、一般には知らせてないのだろう。
大石寺は広すぎて、五重塔の場所がわからなかった。カーナビには、いくつもの堂宇が表示され、見つけ出せない。正門の守衛の方に聞いて、やっと門徒用駐車場の近くと判明した。高さは34mもあり、スリムな塔だ。江戸後期の建築である。
千居遺跡(せんご)は、同じカーナビ場面のすぐ北にあった。国指定史跡である。草野球場ほどの広さの遺跡は、全体がフェンスで囲われており、しかも門に鍵がかかっていて中には入れなかった。縄文時代中〜後期の配石遺構が6つ出土した、と解説板にあった。確かに、露出した環状の石群が見える。
本日のメーンイベント、狩宿の下馬ザクラに向かう。すぐ北1kmほどにある。桜としては、唯一の特別天然記念物に指定されている(サクラ株としては、大島サクラがあるが)。
葉が赤く、白い花とよくマッチする。日本最古級のヤマザクラであるが、意外に小ぶりであった。解説板によると、元は枝ぶりが22m×16mもある巨大な木であったのだが、度重なる台風で折れてしまったとのことだ。特別天然記念物に指定された昭和27年当時は、きっと今よりも大きかったのだろう。
富士山が目前に迫っている。黄色の菜の花からは、むせるような匂いがただよってくる。そうだ。3つ一緒に撮れないか。裏に回り込むと、絶好のアングルがあった。
続けて、3つ目の世界遺産、白糸ノ滝に向かう。すぐ北にある。名勝・天然記念物かつ日本の滝百選である。
駐車場からすぐの所に、音止めの滝がある。高さは25mあり、なかなかのものだ。
3分ほど歩くと、白糸ノ滝を眼下に遠望できる所に出た。幾筋もの滝が流れ落ちている。富士山からの地下水が、溶岩の割れ目から滲み出したものだ。
滝の真下までは、かなり下らないといけない。うーん、どうしよう。
20代の頃、訪れたことがあるので、今日はパスしよう。
さらに6kmほど北上し、4つ目の世界遺産である人穴富士講遺跡に向かう。国指定史跡でもある。カーナビには、富士宮市人穴206を入力する。
富士講の創始者である、角行の籠った溶岩洞穴が、眼下に口を開けている。危険なので、入洞禁止になっている。
富士講は、江戸後期になって、身禄が、幕府の政治を批判して断食死するに及び、爆発的に広がった。幕府は、しばしば禁令を出したが、収まることはなく、明治に至っても盛んであった。宗教は、既存権力への反抗の側面を持つこともある。一向一揆しかり、キリシタン一揆しかりだ。
だが、大正デモクラシーの時代を迎え、民衆に権力が移り始めると、急速に衰えてしまった。今、富士山は、レジャーの山になっている。
洞穴の前には、200基もの碑塔群があった。ここは、角行の入滅地で、いわば聖地である。これらの碑は、彼の死後、信者たちが建立したものだ。やはり、立ち入り禁止になっている。
ここで反転し、帰路につく。途中、5つ目の世界遺産、山宮浅間神社を目指す。カーナビには、
富士宮市山宮740を入力する。「目的地に着きました」のアナウンスにもかかわらず、あたりには何もない。道路に標識も出てない。諦めて次に行こうとしたところ、立て看板が目に入り、行きつくことができた。
先述した通り、今回は文化遺産としての登録なので、無名の神社が突如脚光を浴びることになった。そのため、カーナビはもちろん、道路標識も追いついていないのだろう。
社殿はなく、横長の塀のようなものが立っているだけだ。富士山自体が御神体ということなのだろう。富士山信仰の最も古い形である。
6つ目の世界遺産、村山浅間神社も、全く同じパターンだった。カーナビには、富士宮市村山1151を入力するも出ない。道路標識もない。諦めかけると、手書きの立て看板があらわれた。ごく普通の神社といった感じだ。
7つ目の世界遺産、須山浅間神社(裾野市須山722)は、散歩中の人に聞いて、駐車場までたどり着けた。ところが、神社自体の場所がわからない。あたりには、祝世界遺産の幟が乱立している。そのため、かえって神社の場所が特定できない。
ここまで来たら、諦められない。民家を何軒か尋ねて、何とか場所を教えてもらった。
真新しい神社である。建て替えられて間もない感じだ。やはり普通の神社である。ここを起点に、世界遺産構成資産である、須山口登山道が延びているのだが、演習場に取り込まれて、今は使用不能となっている。
さらに東にある、冨士浅間神社(須走浅間神社)にも行きたかったが、ちょっと離れており、時間もなくなってきたので、断念する。
静岡側の構成遺産としては、あと、三保の松原がある。中学生の時に、近所の友達と泳ぎに行ったっけ。ボート遊びに散財し、帰りの電車賃が足りなくなって焦ったことを覚えている。
レンタカーを三島駅で返却し、17:29普通に乗り込む。途中の熱海駅で、デラックスこゆるぎ弁当950円を買う。名前とは裏腹に、質より量で、ありふれた食材ばかりであった。ちなみに、こゆるぎとは、相模湾西部の穏やかな海のことである。
19:40東京着。今日は、14000歩。車の割りにはよく歩いた。走行距離は、降りる際にチェックを忘れた。たぶん、120kmくらいだろう。
後日、テレビで知ったのだが、日本三大桜に、北本の石戸蒲ザクラとこの下馬桜を加えて、日本五大桜というらしい。来年は、そのうち唯一未見の石戸蒲ザクラを狙いますか。
以上