ガイド】日本の史跡を巡る228 増上寺 久田巻三

 平成30年3月17日、東京の桜開花宣言につられ、出かけました。今朝の新聞のテレビ欄を見ると、アド街で芝が取り上げられていて、「百年ぶり国宝級お宝」の文字が躍っている。混む前に片付けてしまいましょう。

 都営地下鉄芝公園駅を北へ歩いてすぐ、旧台徳院霊廟惣門が現れる。重要文化財である。台徳院とは、二代将軍秀忠の法名である。ここに巨大な霊廟があったのだが、戦災で焼失した。残っていれば、間違いなく国宝だ。この惣門は、霊廟建物群の中で、数少ない焼け残りである。

 現物は失われたが、模型が英国博覧会に出品され、英王室に寄贈された。その後行方不明になっていたが、王室コレクション倉庫で発見され、百年ぶりに日本に里帰りした。冒頭のテレビ欄の裏事情だ。だが、国宝級というのはあくまでも現物であり、模型が国宝に値するかは???だ。ちょっとミスリーディングな見出しなのだが、マスコミの常か。

 北隣の三解脱門をくぐる。重要文化財である。元和8(1622)年に再建されたものだ。

 三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱?してから境内に入る。

 わー。枝垂桜が満開である。本堂と東京タワーをバックに1枚撮る。

 1000円を支払って宝物館に入ると、受付のオバハンに、13:30から霊廟のボランティアガイドがあるから、先にそっちを見ろと言われた。

 徳川将軍家墓所には、30人ほどが集まった。明治期の増上寺の寺域を示した解説板の前で、幕末メインに30分程の説明があった。特に目新しい情報はなかったが、明治期は現在の3倍の広さがあり、江戸時代にはさらにその5倍あったというから驚きだ。東京タワーはもちろん、飯倉、神谷町までもが含まれる。

 将軍の宝塔は、秀忠のほか、計6基ある。他に和宮のものと、合祀墓がある。和宮の宝塔は青銅製で、一番大きかった。明治政府の思惑があるのだろう。合祀墓は、将軍の子女以外は、後継ぎを産んだ側室5名のみが入ることを許された。

 最後に、鋳抜門に触れて、パワーをもらう。現在プリンスホテルのある北の墓域から移築されたものだ。青銅製だったので、空襲で唯一焼け残った。港区の文化財に指定されている。裏側には、昇り龍と下り龍の彫刻が、また、表側には葵の紋が多数あしらわれている。

 宝物展示室に入る。お目当ての台徳院殿霊廟模型が、中央に配置されている。1/10スケールで、本殿・相の間・拝殿・中門・透塀が忠実に再現されている。解説板には、「エリザベス女王Uより貸与」と書いてあった。

 本殿内部が別に取り出されている。実にカラフルで、日光東照宮を彷彿とさせる。というより、そのモデルになったものだ。

 もう一度後部の本殿から全体を撮る。

 宝物展示室には、このほか、狩野一信の五百羅漢図などが展示されていた。幕末の絵師だ。

 帰りは、東京タワーを経由して、神谷町から日比谷線で銀座に出た。 

 ところで、開花宣言とは何ぞや。ソメイヨシノの基準木を指標にしているが、桜はソメイヨシノだけではない。もっと早く咲くのもあれば、遅い種もある。ソメイヨシノしか目に入らないのは下品である。この辺の主張は、北関東「日本の史跡を巡る172 桜川のサクラ」を参照してください。

  以上

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