ガイド】日本の史跡を巡る291 京滋阪奈 久田巻三

令和61020() から23日で、大津市歴史博物館の特別展を見るついでに、滋賀、京都、大阪、奈良の史跡を回ってきました。

今回は、いつもの一筆書き切符ではなく、往復割引切符を利用した。3割引の大人の休日切符は、運賃割引の重複は不可だが、往復1割引だけはOKだ。新幹線特急券代を含め、約19000円だった。

令和61020()07:33東京発ひかりに乗り、09:47米原着。乗換階段が近い6両目に移動し、09:50新快速に駆け込む。

10:29石山で下車。本日宿泊する駅前ホテルに荷物を預ける。本日の予想最高気温は22℃と、絶好の天気。

この旅の予定であるが、今日は、大津市歴史博物館の特別展1期を見た後、京阪石山本線沿線の史跡を巡る。明日は、京都、大阪の城に登る。明後日、朝一番で特別展2期を見た後、奈良の史跡を回ってから、午後の新幹線で東京に帰る。

昼食後、京阪石山駅の案内所で、びわ湖1日観光フリーパス700円(現金のみ)を買う。京阪石山本線と京津線が乗り放題だ。

12:02京阪石山本線に乗り、12:19大津市役所前で下車。10分毎に走っている。

西南に5分歩いて、大津市歴史博物館に到着。「石山寺展」を見る。詳細は、見聞レポート参照のこと。

13:49北行に乗り、13:57穴太(あのう)で下車。近江神宮駅から先は、20分毎の運行に減る。南東へ300m歩き、穴太廃寺に向かう。国指定史跡である。

ところが、見つけられない。事前に、文化庁のホームページで、バイパスの手前あたりと目星を付けておいたのだが。

ジョギング中の地元のオッサン2人組に尋ねる。だが、知らないという。さっとスマホを取り出し、すぐに遺跡の写真を見つけ出してくれた。

目の前の広域避難所の景色と同じだ。埋め戻されてしまったのか。大津宮関連遺跡なのだが、残念。

14:33南行で取って返し、14:47島ノ関で下車。南→西500m大津別院本堂に向かう。重要文化財である。慶安2(1649)、江戸時代前期の築だ。

背面の書院も、重要文化財で、寛文10(1670) の築だ。隣りの山科には、蓮如が建てた本願寺があって、今も遺構が残っている(日本の史跡を巡る190修学院離宮&北摂津周遊を参照のこと)。ここら大津一帯も、浄土真宗の勢力が強いのだろう。

15:07南行に乗り、15:11錦で下車。東500m和田神社本殿に向かう。重要文化財である。鎌倉後期のもので、正面に唐破風があるのは珍しい。屋根の檜皮は、苔むしていて、いい雰囲気だ。

膳所城下を南へ400m歩き、膳所神社表門に向かう。重要文化財である。明暦元年(1655)築で、もと膳所城の城門だったものだ。膳所城は、今は公園として整備されており、途中、模擬天守も遠望できた。

15:32膳所本町から1駅乗り、15:34中ノ庄で下車。東300m篠津神社表門に向かう。重要文化財である。これも、膳所城城門だったものだ。

なお、西700mにある国指定史跡茶臼山古墳・小茶臼山古墳は、家屋が建て込んでいて、遠望は叶わなかった。前者は、全長122mの前方後円墳ということだ。

15:55南行で、16:05唐橋前で下車。瀬田の唐橋を見る。意外と小さな橋だった。この後、東1.5qにある近江国府跡まで足を延ばす予定だったが、余力なし。

16:21北行で取って返し、16:24京阪石山着。ホテルにチェックインする。本日の万歩計は、15000。夕食は、近くのインドネシア料理店で、ミーゴレンをいただいた。なお、フリーパスは、元値700円の2倍ほど乗った。

令和61021()2日目、06:30朝食。博物館は、本日休館のため、1日を関西の城巡りに充てる。予想最高気温25℃と、また夏に戻った。

07:26JR快速で、07:42京都乗り換え、07:46普通で、07:52桂川で下車。遅れていた07:50ヤサカバス190円(現金のみ)に乗り、07:55物集女(もずめ)で下車。

西→南300m物集女城跡に向かう。今年624日に答申されたばかりで、今後、国指定史跡に昇格予定である。

小さな公園に、解説版があった。中世土豪の城跡ということだ。城主(すみません。名前をメモし忘れました。)は、信長に逆らったため、家臣の細川藤孝に誘殺されたとある。

背後に回ると、70m四方の城郭があらわれた。かすかに、土塁の痕跡も認められる。典型的な中世城館だ。「私有地のため立入禁止」の札があり、侵入は断念する。

08:10バスで桂川に戻り、08:18普通で、08:34高槻下車。芥川城跡に向かう。国指定史跡である。

北口に降りたが、「市営バスのフリーパスは、南口の案内所で買え。」と運転手に言われた。1日券630円(現金のみ)を購入し、また、北口に戻る。

09:02駅北発市営バス(220円均一)に乗り、09:17塚脇で下車。30分毎に出ている。

北側に、芥川城跡が望める。バス停向かいの細道を、「妙力寺」、「摂津峡」の看板を頼りに、1.7q登る。

10分で、最初の分岐地点に到着。「左は大手道で、急である。右は塚脇道で、楽である。」とは、そこで休憩していた、老齢の男性の言。草刈りボランティアで、毎日登城しているという。アドバイスを参考に、往路は塚脇道を行き、復路は大手道を下ることにする。

10分で、また分岐があらわれ、左の山道に入る。さらに、急な登りを10分行くと、本丸の土塁が姿をあらわした。バス停から、ちょうど30分かかった。途中、一人の若者に抜かれたが、歳にはあらがえないということ。聞けば、彼は、千葉から来たという。

本丸は、標高183mの山頂に築かれ、テニスコート2面ほどの広さがある。入口には、三好長慶を祭る、小さな祠があった。信長に先立つ、最初の天下人という評価が、昨今定着している。

ここからは、摂津の平野が一望のもとである。真南には、飯盛城も望める。こちらも、長慶の河内支配の拠点である。何年か前、四条畷駅前から遠望したが、いつか登城したいと思っている。

帰りの大手道を下ること5分で、石垣があらわれた。野面積みだが、残っているのは、ここだけのようだ。30分でバス停に到着。

10:47バスで、11:08高槻に戻る。11:24JR普通で1駅、11:26富田(とんだ)下車。昼食後、11:55バス72系統に乗り、12:01今城塚古墳前で下車。

今城塚古墳は、国指定史跡である。以前、時間がなく、バス車窓からの遠望に留めたので、今日は登る。

埴輪が復元されている周堤に上り、広い濠を渡って、古墳に入る。内部は、樹木で鬱蒼としていた。継体天皇の陵墓であることは、確定的なのだが、宮内庁は認めていないので、誰でも登ることができる。

東端の後円部まで行き、全貌を写真に収めてから、バス停に戻る。

12:31バスで取って返し、12:58JR富田着。循環路線だったので、帰りは分譲地を経由し、時間がかかった。なお、フリーパスは、220円×4本乗ったので、△250円だった。

さて、万歩計は10000を超えたが、どうしよう。まだ陽は高いので、もう一踏ん張りするか。大阪城に向かう。

13:06普通で、13:27大阪乗り換え、13:34環状線外回りで、13:44大阪城公園下車。

北側から反時計回りに外堀5qを一周し、重要文化財13件を網羅する。すべて、江戸期のもので、秀吉時代のものは残ってない。特別史跡大阪城跡は、過去に何度か訪れているが、天守がメインだったので、今回は、じっくり回る。

 北側の青屋門から外堀を渡り、城内に入る。西に歩き、復元天守が良く見える所で、全貌を撮る。

 北側にある@焔硝蔵は、門が閉ざされていて近づけなかった。屋根の上部だけ撮る。

 西北の京橋口から一旦城外に出て、外堀沿いに南に行くと、A乾櫓が見えてきた。

 さらに5分ほど南下すると、B千貫櫓と多聞櫓があらわれる。C塀(多聞櫓北方塀)を撮ってから、D大手門に向かう。

 E塀(大手門北方塀)とF塀(大手門南方塀)を見てから、大手門をくぐる。再び城内に入ると、G多聞櫓が目の前に立ちはだかった。防御のかなめだ。

 南西端のH六番櫓を見てから、I桜門をくぐり、本丸域に入る。天守右手にあるJ金蔵と、正面のK金明水井戸屋形を撮る。後者は、有料エリア内にあるが、入場券売場は、外国人で長蛇の列。屋根の上部だけ撮って、引き返す。

 最後に、南側のL一番櫓を見て、森ノ宮駅に出た。一周1.5hの攻城だった。

遅い昼食(というか、早い夕食)をとり、15:25内回りで、15:36大阪乗り換え、15:45新快速で、16:29石山に戻った。本日の万歩計は、17000だが、with山城。よく頑張りました。

令和61022()3日目最終日、06:30朝食。博物館開館の09:00まで少し時間があるので、初日にGive Upした近隣の史跡を回ることにする。

瀬田川大橋を渡り、小さな川沿いを南東に1.5qほど行くと、近江国府跡に至る。国指定史跡である。サッカー場ほどの広さがある。

築地塀が復元されているほか、建物跡がいくつか木柱で示されていた。24m×13m基壇も復元されていたが、外枠が木製という珍しいものだったようだ。

西に400m戻り、建部神社に参拝する。境内右手の石燈籠は、重要文化財である。文永7(1270)、鎌倉時代の作品だ。

また、本殿裏手には、菊花石もあった。以前、岐阜を旅した際、特別天然記念物根尾谷の菊花石を訪れようとしたが、深山にあり、断念したことがある。

神社の入口鳥居の南200mには、国指定史跡堂ノ上遺跡があるのだが、道路に標識がなく、確認できなかった。小高い丘がそうなのかもしれない。

帰りは、瀬田の唐橋を経て、ホテルに戻った。一周6000歩、1h10分の早朝散策だった。この後の予定だが、特別展2期を見てから、奈良の元興寺と宇治の萬福寺に寄り、午後の新幹線で東京に帰る。

08:33京阪240(Suica)で、08:50大津市役所前下車。09:00大津市歴史博物館に入場し、2期を見る。詳細は、見聞レポート参照のこと。

09:37大津京から、JR湖西線に乗り、09:47京都乗り換え、10:07快速で、10:51奈良着。10:56桜井線に乗り換え、10:59京終(きょうばて)で下車。荷物を待合室に置き、北800mにある元興寺を往復する。世界遺産、かつ国宝&国指定史跡である。

途中、北500mに、藤岡家住宅があった。重要文化財である。江戸中期の商家だ。ここら一帯は、「ならまち」として、古い民家が立ち並んでいる。

北西に200m行くと、元興寺小塔院跡があった。国指定史跡である。百万塔を収めた塔があったのだが、今は何も残っていない。

200m元興寺塔跡も、石碑があるだけで、遺構は何もなかった。国指定史跡である。

100mで、元興寺に到着。重要文化財元興寺極楽坊東門をくぐり、500(現金のみ)を払って入場する。数十年ぶり、2度目の訪問だが、デジタル写真がないことから、再訪した。

国宝元興寺極楽坊本堂が、目の前にあらわれる。鎌倉後期、寛元2年(1244)の再建である。内部拝観も可だ。元興寺は、南都七大寺の一つとして、かつて隆盛を誇ったのだが、今は、100m四方ほどの敷地にとどまる。

国宝元興寺極楽坊禅室は、本堂の背後に連なっている。こちらは、鎌倉前期の築だ。内部拝観は不可である。

 宝物館に入り、国宝元興寺極楽坊五重小塔に再会する。奈良時代に作られた、十分の一模型である。

 2階に登り、重要文化財木造阿弥陀如来坐像を見下ろす。国宝五重小塔も、もう一度見ておこう。

 最後に、再度、国宝元興寺極楽坊本堂を斜めから撮って、駅に戻る。

12:02桜井線で取って返し、12:05奈良乗り換え、12:07快速で、12:34宇治乗り換え、12:37普通で、12:40黄檗(おうばく)下車。東5分の萬福寺に向かう。

半世紀ほど前、精進料理付き定期観光バスで訪問済みだが、本旅出発2日前の1018日、萬福寺大雄宝殿・法堂・天王殿が国宝に答申されたので、急遽立ち寄ることにした。国宝3棟のほか、重要文化財20件を有する。いずれも、江戸中期、寛文年間(1661-73)の築だ。

南側の@三門をくぐり、500(現金のみ)を払って入場する。すぐに正面に、国宝天王殿があらわれる。国宝3棟が、一直線に中心線に立ち、両側左右対称に重要文化財の諸堂が配置されている。

 右手のA鐘楼、B伽藍堂、C斎堂を見て、国宝大雄宝殿に向かう。なお、斎堂背後のD大庫裏は見えなかった。

 大雄宝殿は、寺の中心的建物で、デカい。なお、萬福寺は、江戸時代初期、隠元によって開創された黄檗宗寺院である。黄檗宗は、臨済宗、曹洞宗とともに、三大禅宗の一つだ。

最奥の国宝法堂は、左右に、E東方丈とF西方丈を従えている。背後のG威徳殿は、非公開となっていて見えなかった。

 西側に移り、H祠堂、I禅堂、J祖師堂、K鼓楼を順に見る。さらに、回廊を渡り、萬福寺松隠堂エリアに入る。

 L寿蔵の前を抜けると、M開山堂に至る。こちらも大きい。なお、背後のN舎利殿は見えなかった。

回廊を通り、O侍真寮、P庫裏、Q客殿の前を進む。R通玄門を抜けると、入口受付のある三門に帰着。S総門から出場し、駅に戻った。

13:25普通で、13:43京都着。みやげの八つ橋を買い、14:08ひかりで、16:42東京着。本日の万歩計は、20000。限界値をはるかにオーバーした。

さて、来月、特別展の残りを見るため、また出張らなければならない。因果な趣味を持ってしまったものだ。

なお、往復切符の余得で、別途、国分寺・小金井を回ってきましたので、下記リンクもどうぞ。

東山道武蔵路跡・鈴木遺跡・江戸東京たてもの園

  以上

ホームへ戻る