はじめに

●イメージと実像は大違い

 勝海舟が「氷川清話」の中で、二宮尊徳について次のように述べている。

「いたって正直な人だったよ。だいたいあんな時勢にはあんな人物がたくさんできるものだ。時勢が人を作る例は、おれは確かに見たよ」

 めったに人を誉めることの無かった勝海舟が、二宮尊徳についてだけは格別の評価をしている。幕末という時代が生んだ偉大な人物の一人として扱っているのである。

 だが、二宮尊徳、この誰もが知っているであろうビッグネームについて、我々現代人はどのようなイメージを思い浮かべるであろうか?

 たいていの人は、おそらく以下のようなものではなかろうか。

 @柴を背に負って歩きながら読書にふけっている小柄な人

 A額に汗して田畑を耕している努力の人

 B清廉潔白で無欲な人

 Cどんな辛いことも我慢できる忍耐の人

 しかし、これらは事実とかなり異なっているようである。というのも、彼の伝記をよく読んでみると、巷間のイメージとは違った以下のような実態が浮かび上がってくるからである。

 上記の@〜Cに対応させてみると次のようになる。

 @二宮尊徳は身長にして6尺、現在で言えば180cm以上もあり、当時としは巨漢の部類に入る。

 A二宮尊徳は少年期の一時期を除き、ほとんど耕作をしていない。田は所有しているが、みな小作に出し、自ら鍬鋤を持つことは無かった。

 B二宮尊徳は慈善家ではない。彼は、今で言うところの信用組合を日本で初めて作るなど、私的基金による金融業を事業として行い、その資金で各地の荒地を復興している。

 C二宮尊徳はどちらかというと頑固な性格であった。時にそれが災いして、上司とそりが合わずに、現代で言うところの出社拒否症に陥ることもあった。また、晩年には胃潰瘍を患ったりもしており、ストレスに強かったとは必ずしも言えない。

 

●国家の陰謀

 このようにダイナミックで人間くさい二宮尊徳が、なぜ刻苦勉励の象徴として、各地の小学校の片隅に銅像になって祭られることとなってしまったのであろうか?

 それは、ひとえに戦前の教育にあるのだと思う。二宮尊徳は、江戸時代の幕藩体制という与えられた制約条件の中で、自分の責任でできることを最大限に行った人である。封建制のもとでは彼自身本当の権限は持っていない。藩主や幕府に命令されて動く一つの駒に過ぎない。

 その点では巨大な会社組織に生きる現代のビジネスマンと同じであり、その枠組みの中で彼自身がコントロール可能なことを成し遂げて評価されたのだ。決して時の政治権力に文句を言ったり、革命を説いたりはしなかった。

 彼の誤ったイメージが形成されてしまったもう一つの理由として、彼の出自も大きく影響しているだろう。彼は、有力な武家の出ではない。単なる一介の百姓から武士に取り立てられたのだ。それが、ひとかどの人物になったということで、貧乏人の子供の努力目標としてこれ以上のものはなかったのであろう。

 こうした点が、天皇を頂点とする中央集権国家を目指す明治政府にとっては、極めて都合がよかったのである。そのため、二宮尊徳の類まれな創造性や先進性は切り捨てられ、主君への忠義や勤勉といった側面だけがクローズアップされてしまったというわけである。

 GHQのインボーデン少佐は、戦時中に刻苦勉励の象徴となっていた二宮金次郎について、軍国主義的だとして否定するどころか、意外にも逆に以下のように述べて誉め称えている。

「二宮尊徳翁は、日本のアブラハム・リンカーンである。自由と民主主義を日本で初めて実践した人物である」

 表面だけをとらえて利用しようとした日本の軍国政府よりも、外国人の方が実際をよく分っており、評価も的確である。

 

●科学的経営管理

 そこで今、こうしたバイアスや先入観を取り除いて、純粋に事実だけを追って、彼の生きざまを描いてみたいと思う。

 彼がやったことは、一言で言えば、関東周辺十一ヶ国に及ぶ、荒廃した農村の復興である。今日で言えば、傾いた会社を次々に立て直していったといったところであろうか。

 それを、彼は「尊徳仕法」という独特の標準化された手法により、実現したのである。「尊徳仕法」とは、データに基づき、目標値を立て、実行計画を遂行していくという管理手法である。それは今日のQC(QUARITY CONTROL=品質管理)手法にも通じるものである。

 戦後、日本が飛躍的な経済成長を遂げた背景に、製造業におけるQCの盛んな導入があったのは間違いない。農業=製造業であった江戸時代において、既に二宮尊徳はこのような科学的経営管理法を考案し、そして実践していたのである。

 尊徳の手法を現代の品質管理経営と照らし合わせながら見てみると次のようになる。

・方針管理経営:管理項目、すなわち目標値を、誰にも納得のいく具体的な数値で表した。

・上流工程重視:企画や設計など、農村復興のための上流工程を重視した。

・現場第一主義:自らの足で回村するなど、現場を見ることを大事にした。

・フラット組織:名主などの中間管理職に代表されるピラミッド組織を通さずに、直接プロジェクトメンバ(つまり農民)一人一人を個別掌握した。

・コミュニケーション重視:比喩を駆使して分かりやすいコミュニケーションに努めた。

・モラール向上:表彰制度等、やる気を起こさせること、すなわち動機付けを常に考えた。

・標準化:仕法をドキュメント(文書)化し、弟子たちに伝えて横展開を図った。

 

●現代ビジネスマンも学びたい尊徳の生き方

 封建制度というがんじがらめの仕組みの中で、最大限の成果を上げた彼のこのようなマネジメント手法は、今日の「会社」という制約条件の中で懸命に生きている現代のビジネスマンやプロジェクトリーダにとっても、大いに参考になるところがあると思う。

 そこで、以下に本書で描きたい二宮尊徳像を整理しておくこととする。

  ・二宮尊徳は世界で初めてQCを実践した人である。

  ・二宮尊徳は日本で初めての銀行経営者である。

  ・二宮尊徳は再建の神様である。

  ・二宮尊徳は優秀なプロジェクトリーダである。

  ・二宮尊徳は有能な経営コンサルタントである。

  ・二宮尊徳は多くの著作を残した作家である。

  ・二宮尊徳は偉大なる思想家である。

  ・そして、二宮尊徳は一人の人間である。