第一章 本能寺

 

(1)持碁

「白・黒ともにあっぱれ見事な打ち回しじゃ。双方死力を尽くして持碁とはな。是非もう一番見せてもらうとしよう」

 信長はそう言って、寂光寺本因坊と名人鹿塩利賢の名勝負を誉め称えた。持碁というのは、囲碁では非常に珍しい引き分けのことである。

 時は天正十年(1582年)六月二日、場所は京都本能寺の一室である。

 既に丑の刻(午前2時)を回っていたが、大勢の見物人は再び熱戦を観ようと、誰一人として帰ろうとする者はいなかった。

 ちょうどその頃である。信長を襲う魔の手は、丹波から山城への入口である老ノ坂を越えて、京都に迫ろうとしていた。

 そして、たちまちに鴨川西岸に到達するや、隊列を整えて一気に川を渡り、本能寺に迫った。

 明智光秀が本能寺の包囲を完了したのは、寅の刻(午前4時)を少し過ぎた頃であった。夜明けまでにはまだ半刻(1時間)ほど間があり、まさに静寂と暗黒の支配する時間である。

 彼にはもう何の迷いもなかった。この十日間、考えに考えた末の結論であった。

〈なぜ反逆を企てなければならなかったのか?〉

 それは光秀自身にもよく解らなかった。とにかくこの何ヵ月もの間、すべてが空しく、無性にけだるいばかりであった。何を考えても、何の答も見い出せなかった。

〈信長様に仕えて二十余年、ただ一つ親方様に気に入られようとガムシャラに働いてきた。それなのに、この度の御命令は何たることか。秀吉の中国攻めの応援など出来ようものか。何ゆえに、精一杯勤めた徳川家康殿の接待役を途中で解任され、こともあろうに秀吉ごときの旗下に付かねばならぬのか。これ以上の屈辱があろうか〉

〈自分は常に出世街道の先頭を走ってきた。やることなすことが全て信長様のおぼえめでたく、とうとうここまで昇りつめてきた。ところがどうだ。最近は秀吉の後塵を拝することばかりではないか〉

 順風満帆の人生を送ってきた人間にとって、多少の挫折であっても、自らに認めさせることはできなかった。ひとたび歯車が狂い出すと、何とかしなければと気持ちが焦るばかりでどうにもならなかった。

 信長から秀吉応援の命を受けて、仕方なしに居城の丹波亀山城で戦支度を整えていた彼のもとへ、思いがけない知らせが舞い込んだ。

それは、信長が近々入京するというものである。

 眠られぬ夜が続いて、ほとんど働かない頭が、この時だけは冷水を浴びたように冴え渡った。

〈そうだ。信長様さえいなければ、この重苦しい状態から抜け出すことができるではないか〉

 思わず膝をたたいた。

〈自分を苦しめているものをこの世から消し去ればよいのだ〉

 何だか急に目の前の視界が開けた気がした。

〈信長を討てば、すべてが解決する!〉

 疲れきった光秀の頭には、この大胆な思考を中止させるだけの理性がもはや残されていなかった。ただ信長を倒すことしか思いが廻らなかった。その他のことは全く考えの外であった。

〈しかし、勝てるであろうか?〉

 光秀は、兵力の試算を始めた。

〈一体全体信長は、馬廻り衆のうちの何人を京に引き連れて来るであろうか?〉

 光秀は、信長の股肱の顔を一人ずつ思い浮かべていった。

〈安土在番に半分を残すとして、二千人は下るまい。当然長男の信忠も同行させるであろう。当方は丹波一国の兵全軍を当てれば一万を越える〉

 成算が見えてきて、心が軽くなっていくのが自分でも分る。

〈とはいっても信長の馬廻り衆は選りすぐりの精兵ではないか〉

 また、すぐに不安がもたげてくる。

〈しかも、宿所の本能寺は、寺とはいえ、周りを堀に囲まれた要塞のようなものだ〉

 三日が過ぎた。ずっとただ一つのことを考え続けた。

〈一万対二千〉

しかし、結論は出なかった。

 仕方無しに、光秀は愛宕権現に参拝することにした。京都の西北に、愛宕山という標高千メートル足らずの山があるが、その山頂にあるのが、光秀崇敬の愛宕神社である。

 もはや決断を神の手にゆだねるしか方法が無かったのである。

 彼は、夕刻までに参拝を終え、夜は里村紹巴を招いて連歌の会を催した。

「時は今、あめが下しる五月哉」

 全部で百韻吟じられた連歌の冒頭、光秀が詠んだ発句である。

 実は光秀はこの句に並々ならぬ思いを込めていた。

「時」とはすなわち「土岐」の意味で、美濃土岐氏出身の自分のことを指している。また、「あめが下しる」とはもちろん「天下を取る」ということを言っているのである。

 翌朝、光秀はみそぎをした後、おみくじを引いた。

「大凶」

 目の前が真っ暗になった。そして全身が震えた。

 あまりの主君の狼狽ぶりに、家臣の斉藤利光がもう一度引くように勧めた。

 凶である。

光秀は、破り捨てるや、むさぼるように続けて三度目のおみくじを引いた。

 大吉であった。

 光秀は、大きく息を吸い込むや、何度も何度もうなずいた。ここで、自身の決意が揺らぐことがないように、あたかも後戻りしたくなる自分の気持ちに対して、活を入れるかのように。

 ・・・・

 そして今、光秀は本能寺を囲んでいる。信長方はまったく気付いていない。

「敵は本能寺にあり。皆の者、かかれ〜」

 光秀は、一斉攻撃の号令を発した。夜が明けたのである。卯の刻少し前(午前5時頃)であった。

一万の軍兵は鬨の声をあげ、四方より本能寺に乱入した。

 信長方は意外にも五十人の少勢であった。光秀にとって幸いなことに、二千と読んだ信長方の軍勢の見積りは大きく下回った。

 不意を突かれたこともあって、信長の近習達のうち二十数名がたちまちのうちに馬屋近くで討ち取られた。それでも残った小姓たちの奮戦はすさまじく、小半時ばかり明智軍を本堂に寄せ付けなかった。

 だが、所詮大軍には抗すべくもなく、まもなく庫裏に火がかかった。天を焦がす炎は、折からの西風に煽られて止まるところを知らなかった。

 戦闘はすぐに終った。光秀方の大勝利である。もはや敵するものはいなくなり、あとは火の弱まるのを待って、首実検を行うばかりである。

 光秀は、あまりのあっけない勝利にかえって不安を感じていた。焦る気持ちを抑えながら、眼前に並ぶ数十の首に眼を通した。

「何だ、信長の首が無いではないか。どうした、他にはおらぬか。もっとよく捜せ」

 おもわず声を荒げた光秀のもとに、明智秀満が息せききって駆け込んで来た。秀満は、光秀の娘婿である。

「信長が見つかりました。自決して果てております。どうぞこちらへ」

 そう言って、まだ灰煙の立ち昇る本堂の焼け跡に光秀を導いた。そこには三体の原形をとどめない炭のような物体がころがっていた。

「こちらでございます」

 秀満は、そのうちの一体を指さした。それは他の二体と異なり、立派な甲鎧を身に付けていた。頚動脈には長刀が突き刺さっている。その鎧は光秀にも見覚えがあった。南蛮渡来の、まさに信長の愛用品であった。

「エイエイオー、エイエイオー」

 将兵たちの勝鬨の声が一斉に沸き上がった。信長本人の顔を確認できない一抹の不安はあるものの、皆の喜ぶ様子を見ているうちに、いつしか光秀の気分も和らいで来た。

 と同時に、今まで経験したこともないような強い疲労感に襲われた。思えば、この数ヶ月間、ずっと欝々とした日々が続き、満足な眠りが得られることもなかった。

 おもわず地面に腰を下ろし、しばらく放心状態となった。

だが、それも長くは許されなかった。

「御注進、御注進」

 光秀は、慌ただしい使い番の声に、すぐに現実に引き戻されてしまった。

「織田信忠の軍勢約一千、こちらに向かって進軍しております」

「何、信忠が・・・」

「しかし、御安心下さい。我らただちに応戦し、敗走させてございます」

「そうか。それは上々。で、信忠はどうなった」

「はい。敵は二条城に向かった様子にございます」

 信長の嫡子信忠は、本能寺の北約一キロにある妙覚寺に宿を取っていた。早朝のこの騒ぎを聞いて信長の応援に駆けつけたが、時すでに遅く、本能寺は焼け落ちた後であった。安土へ逃げ帰ることももはや叶わぬと見て、明智光秀と一戦すべく堅固な二条城に立て籠ったのである。

 光秀は、兵一千と聞いてただちに全軍を率いて二条城に向かった。

 信忠の軍勢は実際には五百であったが、本能寺で信長が討たれたことが知れ渡ると、逃亡者が続出し、実際に二条城に入ったのは二百余りであった。

 もちろん勝負はすぐに決着した。信忠の死は、犬死以外の何物でもなかった。

 その日、明智軍は京都に留まり、束の間の休息を得た。そして翌日、落ち武者狩りの兵を残して、全軍安土を目指すこととし、まずは途中にある自軍の支城である近江坂本城に向かった。

 

(2)蛍火

 京都西七条村の漁師吉蔵は、いつものように夜半に家を出て桂川に向かった。その日は百匹もの魚を納めなければならないため、いつもよりも早めに家を出ていた。川岸に着いたのはちょうど丑の刻(午前2時)頃であった。

 さっそく漁の準備をしようとして、投網をほどきながら、ふと対岸に目を遣ると、何やらおびただしい数の物体が蠢いているではないか。

その日はあいにくの新月であり、あたりは全くの暗闇であったが、確かにいつもとは違う異様な雰囲気であった。耳を澄ますと川のせせらぎに混ざって、かすかな地鳴りのようなざわめきも聞こえてくる。

 吉蔵は思わず後ずさりし、土手の葦の茂みに身を隠した。そして、息をひそめてしばらく様子をうかがった。

 すると、あちらこちらから光が点滅し始めたではないか。まるで蛍が飛んでいるようである。蛍の数はどんどんと増えていき、たちまちにして数百、いや数千に達した。

 これは軍勢だ。吉蔵は直感した。万にも及ぶ大軍が川に沿って展開しているのだ。

 彼はとっさに走りだしていた。行き先は、都の治安取締りの総元締めとも言うべき京都所司代である。彼は、この一大事を一刻も早く知らせようと駆け通し駆けたため、一里(4キロ)余りの道のりに四半刻(三十分)も要しなかった。

「お役人様、一大事でございます」

 京都所司代に着くと、吉蔵は門番に対して、たった今見たままありのままを息せき切って話し通した。

 しかし、門番たちはまったく相手にしなかった。こんな真夜中に一万もの軍勢が京都と目と鼻の先に迫っているということなど、にわかに信じることはできかった。

「蛍が飛ぶにはまだ早すぎる。おおかた狐にでも騙されたのであろう。早く立ち去れ」

 そう言って門番は吉蔵を追い返そうとした。

だが、吉蔵も諦めずに食い下がる。

「嘘ではございません。毎日あそこで漁をしておりますが、今日のようなことは初めてでございます。どうかお調べを」

 ちょうどそこへ、代官の村井貞勝が帰ってきた。彼は、本能寺において、信長の取り巻きの一人として例の囲碁を観戦していたのだが、明日の出陣の準備状況を視察するため、一局終ったところで早々に切上げてきたのである。

「こんな夜更けにいかが致した?」

「はい、実はこの者が怪訝な話を持って参りました」

 貞勝は、門番から事の次第を聞いて一瞬とまどいの色を見せた。だが、吉蔵の真剣な顔を見ているうちに、ちょっと捨てては置けないと思った。

 もし、吉蔵の言うことが本当であれば、これは一大事である。ただちに信長様に御報告せねばならない。しかし、門番の言う通り、この京都に一万の軍勢が存在すべき道理もなかった。いかに水軍の優秀な毛利でも、各所の船番所を抜いて京まで来襲することはありえまい。不確かな情報を親方様に伝えて、御不興を買うようなことがあってはそれこそ後が怖い。

 しばらく思案した後、彼はいかにも役人らしく次のように対処することにした。すなわち、これよりただちに本能寺に舞い戻って、もし信長様がまだ起きていれば事の次第をお耳に入れる。また、もう既に床に就いていたならこの話は聞かなかったことにする、というものである。

 村井貞勝が吉蔵を伴って本能寺へ急行すると、果して信長は、相変わらず上機嫌で囲碁を観戦していた。

 貞勝は、興を冷ますことを詫びた後、事の次第を信長に耳打ちした。

 話を聞き終わるか終らぬうちに、ほろ酔い加減の信長の顔は見る間に青ざめていった。

「すぐにその漁師に会おう」

 そう言って、座を外した。

 吉蔵の話を聞いて、信長は光秀の謀反を確信した。吉蔵が目撃したその場所は、まさしく丹波街道の京への入口である。

 ただ、それだけであれば、光秀が京都の信長に出陣の挨拶にやってきたとも考えられる。しかし、蛍火・・・。

 その言葉を聞いた時、その期待も虚しいものとなった。既に敵は鉄砲の火縄に火を付け、臨戦体制に入っているのだ。

 信長の頭はめまぐるしく回転した。胸は高なり、全身から汗がにじみ出た。とにかく時間がない。あと一刻もしないうちに敵が来襲するだろう。

〈何処へ逃げるか?〉

 安土に戻ることができれば、一安心である。しかし、途中には光秀の分国である近江の坂本城がある。当然安土への街道を押えていると見るべきであろう。

〈とすると、残るは南しかない。大坂はどうだ?〉

 三男の信孝ならびに尾張時代からの織田家の宿老である丹羽長秀が、四国の長曽我部征伐のために大坂に集結しているはずである。しかし、既に阿波に向け、渡海した後かもしれない。

 さらに悪いことに、大坂に至るには、光秀組下の大名である高山右近の所領高槻と、同じく中川清秀のいる茨木を通らなければならない。彼らが事前に光秀と示し合わせている可能性は十分にある。

〈いずれにしても極めて危険なことに変わりはない。だが、やはり光秀の属領である近江を通ることは避けるべきであろう。やはり南しかないな〉

 信長の心は決まった。あとは誰を従者とするかであるが、ことは隠密裡に運ばねばならない。もしすぐに光秀方に知れることになれば、光秀も当然必死の追跡を試みるであろうし、もちろんそれから逃れることはほとんど不可能と言わねばならない。

ここは味方をも欺いて、少しでも時間を稼ぐ必要がある。妙覚寺にいる信忠のことが脳裏に浮かんだが、もはや見捨てるほかに手立てはなかった。

「吉蔵とやら、きっと悪い夢でも見たのであろう。この京の都で、この信長に刃向かう者のいるはずがなかろう。貞勝、わしは興をそがれたぞ。今宵はこれまでにして休むこととする」

 信長は、できるかぎり平静を装い、そう言い残して寝所に向かった。時刻は丑寅(午前3時頃)を過ぎようとしていた。

第二章へ          ホームに戻る