インダス文明展平成12年9月3日、東京都美術館のインダス文明展と記念講演会に行って来ました。 本展監修者の近藤英夫教授の講演のテーマは、「河と文明」でした。ポイントはいくつかありました。 1.モヘンジョダロ、ハラッパーが発見されたのは1920年代だが、当時はネルーがインド独立運動に苦闘していた頃で、民族覚醒のシンボルとしての政治的意義があった。つまり、ギリシャローマの西欧文明の遙か数千年前に、世界に誇るべき文明がこの地にあったということで、決して自分たちは西欧人に劣った民族ではないということが独立運動とリンクした。 2.インダスの各都市は孤立していたわけではない。2000km離れたメソポタミア文明各都市との間で、バーレーンやアブダビなどの中東を介して交易が盛んであった。紅玉髄はその証拠。 3.強大な王権が存在しなかったのが、他の文明との違い。 4.BC2600年頃から始まったインダス文明は、BC1800頃突然都市が消滅した。しかし、人までいなくなった訳ではなく、農村は残った。アーリア人の侵入により滅びたという説は間違い。 展覧会の方は、かなりの混みようでした。主な見所は次のとおり。 1.プレインダス文明では、麦刈り用鎌、女性の土偶、動植物の描かれた土器、ラピスラズリの青く澄んだ玉、横縦高さが4:2:1のレンガなどが見所。 土偶は、日本の縄文ビーナスと同様に豊満なのが印象的。ただし、鼻が尖っているので顔は全く異なる。 土器は、南米的な赤っぽい感じで、菩提樹や牛などがいきいきと描かれている。 2.インダス文明の最大の見物は、パキスタン国宝の神官王であろう。髭と横長の目は、厳正さを感じさせる。三つ葉模様の衣服、額の玉は高い身分を表すという。 等比級数的に大きさの違う分銅、物差しも気になる。権力の「権」とは、度量衡のことを中国語では指す。 紅玉髄のネックレスは美しいの一言。白い模様も合っている。10cmの長さの紅玉髄に穴を通すのは高度な技術だったらしい。 牛・羊や幾何学模様の印章も数多い。交易品を詰めた壺の封泥に使用された。 遊び道具のサイコロは、目の配置も現代のものと全く同じ。 貝輪もあった。弥生文化と通じるものがある。 最後に、駄目押し。インダスには支配者の宮殿はなかった。平和を愛する交易の民ということ。これは琉球の生き方と重なった。 以上 |