豊島馬場遺跡

 平成12年9月10日、飛鳥山博物館で開催されたシンポジウム「豊島馬場遺跡を探る」に行って来ました。方形周溝墓の謎のかなりの部分が解き明かされたと思います。

(従来の思い込み、あらぬ期待)

・方形周溝墓には、周溝が全周しているものの他に、土橋として中央部分等が掘り残されているものがある。この中央土橋が少し幅が広がると、形の上では前方後方墳とそっくりになる。

・豊島馬場遺跡では、S字状口縁台付甕という濃尾平野の土器がたくさん出ている。邪馬台国に対抗した狗奴国は、尾張東海あたりに比定されているが、前方後方墳が盛んな地帯である。

・つまり、方形周溝墓の発展形が前方後方墳であり、狗奴国と関係があるのではないか。

(今回の謎解き)

・方形周溝墓は、全国的に見つかってきた。それは、日本列島改造計画の申し子とも言える。最近では韓国寛倉里遺跡でも見つかっている。最古は畿内、北九州。

・方形周溝墓には、柱穴が4ないし6あるものも多く発見されている。方形周溝墓は、墓と思い込んでこれまで発掘がされてきたが、中には「住居」だったものもあるのではないか。

・その根拠として、さらに次の点もある。

@人骨が発見がない。(酸性土壌の日本では滅多に残らないのは確かだが。)

A重なり合いがある。(墓だとしたら掘り返して作り直すことは考えられない。)

B土器の出土割合が他の住居遺跡と比率的に差がない。

・といってもまだまだ謎が解けていないことは多い。今後の研究に期待ということで、散会しました。  以上

 H4.12.20豊島馬場遺跡現地説明会へのリンク

ホームに戻る