土器の造形展記念講演会その2

 平成13年2月17日、「韓国及び中国の新石器土器と縄文土器」をテーマに東京国立博物館で講演会がありました。

 まず、任孝宰ソウル大学教授からは、近年、済洲島において、韓国としては初めて1万年前の新石器時代の遺跡が発見されたことが紹介された。高山里遺跡というのだが、アカホヤ火山灰層の下から土器が出土したことから、6800年以上前ということが分かった。その後、さらに炭素14による年代測定の結果、10400年前という数字が出たということである。

 次に、日韓の土器の比較であるが、韓国では20ヶ所から縄文土器が出土しているという。一方、日本からは九州で25ヶ所、本州でも30ヶ所から韓国の土器が出土しており、日韓に交流があったことを示唆されていた。縄文土器としては異質な曽畑式土器と、韓国に非常に多い櫛目文土器との類似性が、スライドでよく分かった。

 韓国というと、九州との関係がすぐ思い浮かぶが、実はそれだけではなさそうだ。青森の売場遺跡でも櫛目文土器が見付かっており、北東北や北海道とも交流があったことが考えられる。それというのも、対馬海流の一支流が津軽海峡まで達していることと関係があるのではないかという問題提起であった。日本最古の稲作遺構の風張遺跡も青森県にあり、今まで光が当てられていなかった海上の道があったのかもしれない。

 王巍中国社会科学院考古研究所副所長の講演も、縄文早期からの日中交流の可能性をアピールしておられた。中国東北地方から内モンゴルにかけての興隆窪文化地帯の円筒土器と、日本の青森、秋田あたりの縄文土器がそっくりである。形だけでなく、土器全面に文様が施されていること、文様が口縁部/そのすぐ下の横縞模様/その下の残りの模様と、三段構成になっているのも同じである。

 用意されていたスライドは、東北地方最大の都市瀋陽の新楽遺跡のものが多かった。新楽遺跡は、一度訪れたことがあるので、海外史跡紀行をご参照下さい。

 瀋陽遼陽紀行へ

 けつ状耳飾りという一ヶ所だけ切れ目の入っている装飾品?の分布も面白い。8000年前という同じ時期に、興隆窪文化地帯、沿海州のチョールト・ヴィヴォロタ遺跡、そして北海道の共栄B遺跡で同じ様なものが出ている。遠く離れた地を人々が交流し、それらを結ぶ北東アジア文化圏というようなものが存在していたのだろうか。今後の研究に期待がふくらむ。

 本展は、3月11日まで開催中です。

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