8.2何もかもが嫌になる

 50才を過ぎると、管理職に対しては、いわゆる「肩たたき」が始まる。子会社への転籍を迫られるのだ。後進に道を譲るということなのだが、もちろん、収入は7割ほどに減る。

 以前、まだ元気な頃のことだが、私も、子会社の取締役を兼務したことがある。だが、仕事は、まったく面白味のないものだった。本社の業務と比べると、スケールが圧倒的に小さいのだ。「肩たたき」は、プロ野球で言えば、2軍落ち宣告のようなものだろう。

 また、当社には、55才役職定年制というのもある。多くの大企業で採用されている制度だが、55才になると、部長や課長などの肩書がなくなるのだ。これも、趣旨は同じだろう。

 さて、病気の私に「肩たたき」はなかった。また、すでに肩書も無くなっていたので、役職定年も関係なかった。平社員なので、60才までは会社に居られる。

 だが、この頃になると、仕事もほとんど与えられなくなっていた。「早く辞めろ」という嫌がらせではないと思うが、鬱が継続している人間の面倒を見ている暇などなかったのだろう。上司の課長が代わったのだが、どういう対応をするかは、人次第ということだ。

 私は、また出勤できなくなった。朝、仕事場のビルの玄関をくぐる時、足が前に進まなくなったのだ。表題の通り、何もかもが嫌になり、「消えてしまいたい」という思いが、頭の中を占拠した。希死念慮は、鬱病の最も危険なサインである。通勤電車に乗る際も、一番前には並ばないようにした。発作的に飛び込んでしまわないように。

 私は、主治医に診断書を書いてもらい、1ヶ月の病気休暇をとった。そして、それは毎月更新され、ついに1年に及んだ。その頃にはかなり回復したが、それでも、会社に戻る気にはなれなかった。

 会社の制度では、さらに3年の病気休職が認められている。給料は半減するが、無税となるので、実入りは、そんなには減らない。主治医も、私の気持ちを察してくれたのであろう。引き続き、診断書を書いてくれた。この頃には、私も、60才の定年前に、このままフェードアウトしてもかまわないと思い始めていた。

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