第一章 大いなる遺産

(1)女真族

「ただ今、宋の国より戻りましてござりまする。忠盛殿はおられるか。一大事でございますぞ」

 京都六波羅にある平忠盛の屋敷に、備後の豪族である鞆宗俊が駆け込んできた。

 鞆氏は、瀬戸内きっての良港である鞆の浦を拠点に、備後から備中一帯の海域を支配している有力豪族である。平家の台頭を予感して、早くからその傘下に入っていた。

「これはこれは宗俊殿、よくぞおいでなすった。たしか、中国の寧波に交易に行っていたと聞いていたが」

 忠盛は、すぐに客間に応対に出た。

 年の頃は六十過ぎと、自分よりは二回りも年上であり、頭髪も総白髪ではあるが、真っ黒に日焼けした精悍な海の男に対し、忠盛はさっそく酒肴を勧めた。

「忠盛殿、北方の異民族が宋に攻め込みましたぞ。たちまち中国大陸の北半分を攻め取ってしまったということでござる」

 宗俊は、杯を一気に飲み干した。

「何と。異民族が宋に取って代わったと?」

 初めて耳にした大事件に、忠盛は驚いて聞き返した。

「左様でござる。金という新しい国を打ち立てたらしい」

「それはえらいことで。それで、宗俊殿も騒ぎに巻き込まれたのか?」

「ええ、寧波の港は、上へ下への大騒ぎでございました。何しろ山東方面から逃げてくる民がごまんとおりましてな。それに、揚子江を下ってくる大小の船で、とても交易どころではござりませなんだわ」

「それはそれは、とんだ災難で」

「さすがのわしも、ほうほうの体で、日本に舞い戻ってきたというわけでござる。いや、まいった、まいった。わっはっはっは」

「それにしても驚いた。いったい、強大な宋の国を下した異民族とは、いかなる部族なのじゃ」

 忠盛は、つまみの肴を勧めながら、なおも質問を続けた。

「わしも詳しくは存ぜぬのだが、女真族という部族らしい。なんでも、もともとは中国の東北部満州に居住しておったということで」

「北の夷狄ということか。それがどうして・・・」

「一人の勇将を得た。それで急に力を増し、契丹や高麗を服属させたのでござる。そして、ついには宋になだれ込んだものらしい」

「それで、宋の国は?」

「宋の皇帝は、都を捨てて南に逃げ延びました。今は抗州を新しい都にしているということでございます」

「左様か。しかし、満州の一部族が、どうして中国の北半分をそんなに簡単に征服することができたのであろうか」

 忠盛は、なおも疑問を鞆宗俊に投げかけた。

「さあ。何でも、金を建国した太宗という男がすごい奴らしい。国中の男は全て兵に取り立てて、強大な軍隊を作り上げたのでござる。もともと狩猟を生業とし、自主独立の気風を持つ遊牧民族じゃからな。これにより、一つにまとまったのでございましょう」

「しかし、それにしても大国の宋が敗れるとは・・・」

「いや、宋国の官僚と軍人たちは、以前から腐敗しきっておりました。それ故、抗するすべが無かったのでございましょう。宋国は、敗れるべくして敗れたと言えるのではございませぬか、忠盛殿」

 忠盛は、軽くうなずきながらも、さらに先のことを考えていた。

「女真族は、我が日本国に攻めて来ることはなかろうか?」

「うん・・・。さて・・・」

 宗俊も、そこまでは考えていなかったので、答えに詰まってしまった。

 忠盛は不安げである。

「宋国は通商を好み、戦は好まない国であった。だから、ずっと良好な関係を続けて来られたが」

「わははは、さすがは平家の頭領でございますな。拙者もそこまでは考えませなんだわ。しかし、よもや広い海を越えて、この日本までやってくることはございますまい」

 鞆宗俊は、酒と料理をきれいに平らげ、ひとしきり世も山話をしてから帰っていった。

 一人になった忠盛は、ごろりと横になり、天井を見つめながら、少し酔いの回った頭でぼんやりと考え事に沈んだ。

〈白河院や崇徳天皇、それに関白殿はこのことを御存知であろうか。鞆宗俊は寧波から帰ったばかりだと言っていた。とすれば、おそらく御存じないであろう〉

 忠盛は、朝廷から従五位の官位を賜っており、殿上人としての資格を有している。従って、時折内裏に出仕することもあった。

〈一刻も早く知らせた方がよいのではなかろうか。宗俊は、金が日本に攻めてくることはないと言っていた。だが、果たしてそうだろうか〉

 忠盛は、宗俊ほど楽天家ではない。

〈既に、金は高麗まで征服しているという。ということは、目と鼻の先の朝鮮半島にまで、金の勢力が迫っているということではないか〉

 不安はますます強くなっていった。

〈いずれにしても、まずは父上に相談してみよう〉

 そう決めた忠盛は、すぐに父正盛の屋敷に出向き、鞆宗俊から聞いたことの一部始終を話した。

 今年既に六十才を過ぎ、病気がちで床にふせっていた正盛が、この話を聞いて跳ね起きた。

「女真族とは刀伊(とい)のことであろう。刀伊は大変残虐な部族じゃ」

「父上はご存知でございましたか?」

「ああ。祖父から聞いたことがある。今から百年以上前、確か寛仁の頃だったと思うが、刀伊が九州筑紫の国に攻めて来たことがあった。その時は、したい放題の乱暴をはたらいたということじゃ」

「何ですって。日本が襲われたことがあるのですか?」

「そうだ。幸い、我らが御先祖様、平為賢の活躍で、何とか敵を撃退した。だから事なきを得たがの」

「わが平家も戦っているのでございますか。それでは、さすがの夷狄も退散するしかなかったということでございますな」

「まあ、そういうことになるな。しかし、今回は宋の国を倒したというから、その力は侮れまいぞ。忠盛よ、備えをせねばなるまい」

「はい。この日本国が、かつて異国に攻め込まれたとは知りませなんだ。さっそく朝廷にお知らせし、然るべき手を打って頂くよう献策致しましょう」

 忠盛は、早々に父の屋敷を辞し、内裏に向かった。

 だが途中、朱雀門の前までたどり着いたところで、ふと立ち止まり、思い直した。

〈せっかくの貴重な情報だ。急いで朝廷に奏上することもないだろう。その前に、百年前の刀伊入寇の件をもう少し詳しく調べてみよう〉

 そこで、まだ京都に滞在していた鞆宗俊に声をかけ、再び力を借りることにした。

「宗俊殿、お願いがござる。百年前に北九州一帯が女真族に襲われた事件を、是非調べて頂きたい。太宰府に行けば、おそらく記録が残っていると思うのですが」

「ほー、太宰府とな」

 忠盛の急な呼び出しに馳せ参じた宗俊は、キョトンとした顔をした。

「はい。是非に」

「しかし、わしも最近は太宰府にはトンと御無沙汰をしておりますからな。まともに相手をしてもらえますかどうか・・・」

「では、息子の清盛を私の名代として同行させましょう。さすれば、太宰帥も快く応対して下さると思いますが」

「いやいや、左様でござるか。そこまで申されるのなら、この宗俊、そのお役目お引き受け致しましょう。坊ちゃまに同行できますのなら、爺も楽しみでございます」

 清盛と一緒と聞いて、老人の顔がほころんだ。

 十才になったばかりの清盛は、往復の船の中でさまざまな問答を宗俊に仕掛けて、彼を辟易とさせた。例えば、いきなり次のような質問を投げかけるのである。

「私の父上は、いったいどのくらい偉いのじゃ、爺」

「それはもう、若様の父君は、大変な力を持っております。ですから、若様も父を見習って、学問や武芸に励まれますように」

 宗俊は適当にあしらおうとするが、清盛の追及は厳しい。

「この日本の国で、最も力を持っているのは誰なのじゃ。父上は、いったい何番目ぐらいか?」

 宗俊は仕方無しに答える。

「この国で一番偉いのは天皇様でございます。天皇様が日本六十六州すべてを治めておりまする」

「では、この国の隅々まで、皆、天皇様の命令を聞くのだな」

「はい。それぞれの国に国司を派遣しております。ですから、税も都に集めさせることができまする。天皇は、その富でまつりごとを行っているのでございます」

「では、この国の土地は全て天皇様のものなのだな」

「はい・・・。いや、そう言われますと、そういう訳でもございませぬ」

「何だ。はっきりせよ、爺」

「はいはい、若様。ちゃんとお話致しましょう。実は近頃、本来天皇様のものでありました土地を、私するものが現れてまいりました」

「それはいったい誰じゃ」

「公家や寺社どもでございます。新たに開墾した土地を、荘園として自分たちのものにするようになったのでございます。上皇様も、院領として自分の荘園を全国にたくさんお持ちになっておりまする」

「では、日本の国を皆で取り合いしているのだな」

「はい、まあ、そういうことになりますかな。今や、日本の国は虫食い状態となっておりまする。天皇様のお力も、天平の昔のようには唯一無二のものではなくなってしまったのでございます。上皇様、それから摂関家に代表される公家たち、さらには寺社どもで分け合っていると言ってもよろしゅうございましょう」

「ところで、わが平家には土地が無いのか?」

「そうですな。平家の土地というものはございませぬ。しかし、若の父上は、上皇様のお側にお仕えして、力を付けてきておりまする。今では、武家の中では、名門源氏を凌ぐお力を有しておられますぞ」

「何だ、平家が力を付けたと言っても、所詮は上皇や公家たちの家来にしか過ぎぬのか」

「あははは、左様でござります。武家は土地を持ちませぬからな。公家にお仕えするしかござりませぬ」

「それは口惜しや。公家や寺社の土地を、何とか武家のものにする手だてはないのか?」

「なかなかにすごいことを思いつかれますな。それは爺には考えつきませぬ。若様が大きゅうなったらできるかもしれませぬな。楽しみに待っておりまする。わっはっはっは」

 鞆宗俊と清盛は、一月もかからずに太宰府から戻ってきた。彼らが仕入れてきた情報によると、刀伊の入寇は忠盛の予想をはるかに越えて大規模なものであった。

 寛仁三年(一〇一九年)の三月から四月にかけて、五十隻の大船に分乗した二千五百人の女真人が、対馬、壱岐、さらには筑前の沿岸に上陸し、暴虐の限りを尽くしたのであった。

 牛馬犬などの家畜は全て斬食した。老人子供は殺害し、壮年男女は捕虜として連れ去った。記録によると、死者総数365人、捕虜は1289人にも及んだという。太宰帥藤原隆家の指揮のもとで奮戦した壱岐守藤原理忠も、この時に命を失っている。

 以上のような報告を宗俊から聞いて、忠盛は思案にくれた。

〈これは大変なことである。中国の北半分と朝鮮半島を手中にし、以前とは比べものにならないくらい強大になった金が、再び日本に攻めてきたらどうなるであろうか。今度は北九州だけでは済まされないであろう。もしかしたら、京の都にまで害が及ぶやもしれぬ〉

 忠盛は、事の重大さに身震いをした。

〈やはり、すぐに朝廷に知らせねば。しかし、ただ知らせるだけでは能がない。なにしろ、自分が真っ先に入手した貴重な情報なのだから〉

 忠盛は、深く息を吐いた。

〈さて、どうするか〉

 ここで忠盛は妙案を思いついた。それは、この事態を利用して、平氏の力を一気に伸ばす方策であった。


(2)海賊追捕使

 

 忠盛は、日頃懇意にしている参議の一条実良を介して、時の関白藤原忠道に拝謁した。

 さすがにこの時は、都にも宋の国の情報が入っていて、朝廷内には何とも言えない不安感がただよっていた。

 忠盛は、そうした空気を見越したかのように、関白の面前で堂々と献策をした。

「金の国の勢力を京の都に近づけてはなりませぬ。相手は北の夷狄、どんな残虐なことをするかも知れませぬ。実際に、寛仁の御代において、筑前や壱岐の国は大変な目に合っておりまする」

「なに、左様か。しかし、いかが致せばよろしいかのう」

 関白は不安げに忠盛に尋ねた。

「相手の力は強大でございます。おそらく、九州の地で防ぎ切るのは難しいと存じまする。そこで、是が非でも瀬戸内海で食い止めねばなりませぬ」

「ふむ。しかし、瀬戸内には海賊どもが跋扈しておると聞き及んでおるが」

「その通りでございます。でありますからこそ、瀬戸内を朝廷の支配下に置いておかねばなりませぬ。朝廷に逆らう逆賊を退治しておかないと、いつ彼らが金国になびくやも知れませぬ」

「なるほど。しかし、どうやって・・・」

「はい、そこでお願いでござります。是非ともこの私目に、海賊追捕のお役目を賜りとう存じます」

「なに、海賊追捕使と申すか」

「はい、是非ともに」

 実は、忠盛の父である平正盛も、かつて鳥羽上皇の命を受けて海賊追捕使に任じられたことがあった。当時山陰を荒し回っていて、朝廷に服することのなかった源義親の制圧を命じられたのである。

 正盛は、見事朝廷の期待に応え、海賊を討ち取ってみせた。もっとも、この時は京都を出発したと思ったら、あっという間に義親の首を掲げて凱旋してきたので、偽首ではないかと市中に噂が立ったものであったが。

 いずれにしても、源氏の勢力が衰えた今、日本を防衛するための軍事力を備えているのは平氏だけであった。

「わかった。それでは、そちの話を院につないでみよう」

 忠盛の願いについて、関白はその場で白河院への上奏を約束してくれた。

 忠盛の説得が関白を動かしたということになるが、それだけではない。事前の根回し、それに何といっても賄賂(わいろ)が効いたのである。

 ほどなくして、忠盛は、念願かなって山陽南海道海賊追捕使に任じられた。

 六波羅の屋敷に戻った忠盛は、さっそく主だった家臣たちとともに、戦の準備を始めた。

 さて、この時、日に日に慌ただしくなる邸内の様子を見て、焦燥感をつのらせていた一人の若者がいた。先日元服した清盛である。

 居ても立ってもいられないといった風の彼は、軍勢出発の前日になって、ついに父忠盛のもとに直談判に及んだ。

「父上、お願いでございます。悪者退治に、是非この清盛もお連れ下さい。私目も敵の首を取って御覧に入れまする。それに、先だっての太宰府行きで、船の行軍にも慣れておりまする」

 元服の儀式を済ませたばかりの意気盛んな若者の訴えに、忠盛は苦笑しながら口を開いた。

「お前はまだ若い。この先いくらでも腕を振るう場はあろう。この度はしっかりと父の留守を預かってくれ」

「しかし、私も悪者を懲らしめて、手柄を立てとうございます」

「ははは、父は悪者退治に参るのではないぞ。そもそも、この世には悪者とか、海賊とかいった区別はない。皆、一族郎等を守るために、必死で生きておるのじゃ。ただ、朝廷に従う者を善とし、逆らう者を賊としているだけだ」

「では、従うか従わないかはどのようにして見極めるのでございますか」

「それは、朝廷が課す税をおとなしく納めるかどうかだ。民を支配するとはそういうことだ」

「海賊は皆、税を私しているということですか?」

「そうだ。農民は天子様から土地を授かり、そこから得られた恵みの一部を税として、また天子様にお返ししている。ところが海の民は、同じように海から恵みを受けていながら、天子様には何もお返ししていない。彼らは一ヶ所に留まることがないので、なかなかに捉えにくいのだ」

「それをいいことに、税も納めずにのさばっているということでございますか」

「そういうことだ」

 世の中が単純な善悪で動いているのではないことを諭された清盛だが、なおもしつこく食い下がった。

「悪者退治ではないとすると、では父上に与えられた海賊追捕のお役目とは、いったい何をなさることなのですか?」

「それはな、海の民から税を徴収し、朝廷にお納めすることだ」

「それがうまくいけば、天子様からはご褒美がいただけるのですか?」

「もちろんだ。半分位は、我らががっぽりと頂戴する。納税を拒み、どうしても従わない相手とは、当然のことながら戦になる。今、朝廷に従順なのは、備前の難波氏と備後の鞆氏くらいだ。そのほかの備中、伊予、安芸、周防の豪族どもは、皆独立の気位が高い。前途多難な道行となろう。お前は、しっかりと京の都を守らねばならぬ。わかったな」

「は、はい」

「うむ。そして、よいか。父にもしものことがあれば、家督を継ぎ、平家の頭首となって一門を率いて行かねばならぬ。そのために、急いで元服をしたのだからな」

 父の覚悟の程と、自分の置かれている立場とを再認識させられて、清盛は、ただじっと忠盛の顔を見つめるばかりであった。

 精兵一千の大軍団を率いて京を出発した忠盛は、難波津から船に乗り込み、瀬戸内海を一路西に向かった。

 途中、播磨、備前は素通りして、一行はいきなり備後の鞆の浦に上陸した。この地の豪族鞆氏は、以前から平氏に従っており、ここを拠点に、近隣の敵を各個撃破するつもりである。

「宗俊殿、お久しゅうござる。息災でございましたか」

 忠盛は、すぐに鞆宗俊の屋敷を訪ねた。

「はい、忠盛殿もお元気そうで、何よりでございます」

「先年の太宰府行きは大儀でございましたな」

「いえいえ、清盛坊と一緒で楽しゅうございました」

「ところで、難波秀昭との手筈は・・・」

「はい、もちろんでございます。準備万端、抜かりはござりませぬ。妹尾氏も、おっつけ降参することでございましょう」

 忠盛は、鞆氏と同じく平氏に臣従していた備中の難波氏と組んで、東隣の妹尾氏を挟み撃ちにする算段であった。いわゆる遠交近攻策である。

 事態は、まさに忠盛の読み通りに進展した。まったく孤立した妹尾岳堂は、すぐに降伏を申し入れてきたのである。都から来た大軍団を目の当たりにしては、他にとるべき策もなかったのである。

「次は備後の額氏だな」

 忠盛と宗俊は、今回の妹尾氏攻略の成功を祝して、鞆の浦の絶景を眺めながら杯を重ねていた。

「はい。額義重も同じやり方で如何でございましょうか。遠くは交わり、近くを攻める」

「うむ。それでよい。備後など造作もないことであろう」

 東側の脅威がなくなったので、平家軍は、今度は西の強敵である備後の額氏に対することにした。

 鞆の浦より西の備後の沿岸には、額氏をはじめとして、忠盛の説得に応じようとしない有力な豪族どもが割拠していた。

 そこで忠盛は、一つ先の安芸の豪族沼田(ぬた)氏を懐柔し、味方につけることで打開を図ることにした。沼田氏は、後の戦国の世における小早川氏の前身であり、毛利の中国制覇の推進役となった一族である。

「さて、忠盛殿。沼田引き入れの条件は如何致しまするか」

 宗俊が、忠盛に酌をしながら尋ねた。

「うむ、そうだな。沼田道隆には芸予諸島の海域を安堵しよう。税の若干の目こぼしもせねばなるまい」

「はい。で、こちらは何を御所望で?」

「三原の港と、あとは尾道の港だ。税をたんまり頂こう」

 忠盛の考えは、単純明快なものであった。この地域の元々の支配権は沼田氏に認めるものの、物流の拠点である港だけは平家がしっかり押さえるという策である。

「では、この宗俊、これより安芸に出張ってまいりましょう」

「うむ。頼んだぞ」

 こうして、めでたく沼田氏は平氏の傘下に加わり、額義重攻めの先鋒を務めることとなった。

  それから十日も経たないうちに、事態はすぐに収束した。義重は一戦も交えずに、すぐに忠盛に人質を差し出し、和を請うてきたのである。

 忠盛は鞆の浦を全く動くことなく、瀬戸内平定の目的を達成してしまったことになる。

「宗俊よ、額は実にあっけなかったな。拍子抜けがしたぞ」

「はい。次々と近隣の豪族が忠盛様に服していく中、とても自分たちに勝ち目のないことを悟ったのでありましょう」

「うむ」

「義重は如何いたしますか」

「もちろん許す。額の水軍を平家に組み入れるのだ」

 こうして、忠盛は、ほとんど戦らしい戦をすることもなく、東は播磨から、西は安芸の国までを、またたく間に平定してしまったのである。忠盛は、上機嫌で杯を重ねていった。

「海賊追捕使という錦の御旗は絶大でございますな」

「そうだ。戦わずして勝つ、これに優るものはない」

「はい。忠盛様の知略には誰も敵いませぬ」

「しかし、わしはこれで満足したわけではないぞ。瀬戸内などは狭い狭い」

「はあ?・・・」

 宗俊は、目を見開いて、平家の頭領の顔をながめた。

 忠盛のさらなる向上心は、この後、平家に無限の宝をもたらす「打ち出のこづち」を手に入れさせることになるのである。


(3)神埼荘

 

「これより宋船に押し込むぞ。者ども抜かるな。我に続け」

「オー」

「清盛は、わしの側を離れるでないぞ」

 平忠盛は、今年十六才になる息子の清盛を伴い、沖合に停泊中の唐船に向かって、小舟を漕ぎだした。後に続く十数艘の船には、鎧甲で完全武装した彼の郎等、精鋭百名が乗っている。

 実は、一党はこれより、太宰府の役人が臨検中の貿易船を襲うのである。

 時は長承二年(一一三三年)、所は九州肥前の国、神埼にある波静かな港である。神埼荘は、忠盛が庇護を受けている鳥羽上皇の荘園であった。毎年春になると、決まってこの地に、宋の国からの貿易船が季節風に乗ってやってくるのである。

 忠盛は、この時三十七才、すでに父正盛から家督を継いでいた。今や平家の屋台骨を支える、押しも押されもせぬ頭領である。

先の山陽道南海道海賊追捕により、瀬戸内の覇権を確立しつつあった彼は、さらに九州の地にも橋頭堡を築こうと図った。そこで目を付けたのが、ここ院領の預り所の職である。預り所とは、院に変わって徴税の任に当たる、いわば後世の地頭職のようなものである。

「父上、大丈夫でしょうか。太宰府に盾突いて、後で朝廷からお叱りを受けるようなことはございませぬか」

 清盛が、不安げに父の顔を見上げた。

「ははは、心配は無用じゃ」

 もともと日宋貿易は、太宰府の役人が取り仕切る決まりになっていた。もちろん、そのことを忠盛も知らなかった訳ではなかった。ただ、既成のルールやしきたりに従順になっていることに自分自身我慢できず、一波乱起こさずにはいられなかったのである。

「父上、戦になりましょうか」

「いや、そうはなるまい。なに、ちょっと脅かすだけだからな」

「しかし、天慶の御代、藤原純友もこの地で乱を企てて、最後は磔になっておりまするが」

「らちもない。この期に及んで、情けないことを申すな。お前も武士であろう。少しは肝を据えよ」

「は、はい」

「公権力を傘に着た官吏の犬どもが、我らの庭先を我が者顔で歩き回っているのだぞ。黙って見過ごすくらいなら、わざわざ志願して九州くんだりまでやって来たりはせぬわ」

 そんな訳で、忠盛はこれより貿易交渉の現場に乗り込んで、一暴れしてやろうという腹積もりであった。

「異国の船は、さすがにデカイな。南海の荒波を乗り越えてやってきただけのことはある。皆の者、怖じ気づくではないぞ」

「オー」

 五百石はあろうかという巨船の回りを、忠盛たちは、十数艘の小船で取り巻いた。

「一斉に鎖梯子を投げかけよ」

 忠盛が最初の号令を発した。

「よし、取り付いてよじ登れ」

 忠盛は采配を振るい、一同を鼓舞する。そして、自らも後に続いて船に乗り込んだ。

「我こそは、南海道海賊追捕使、平忠盛である。ただ今より鳥羽院の命により、当船をあらためさせて頂く。宋人との貿易交渉は、全て当方で行うゆえ、宋人以外の方には、下船をお願いしとう存ずる」

 忠盛の大音声にたまげたのが、太宰府の役人たちである。すでにおおかたの積み荷の臨検が済み、日本からの輸出品との交換比率について、最終の詰めを行っていたところであった。

そこに、突然の武者の乱入である。

「こ、これは異なことを申される。古来より、異国との貿易は、全て朝廷の権限、すなわち、この太宰府のお役目でござる。その方たちは、な、なにを拠り所に、このような狼藉を働くか」

 ようやく、責任者とおぼしき一人の官吏が答えた。だが、その声は弱々しく、恐怖に震えていた。

「院宣でござる。ここ神埼の荘は、鳥羽上皇の御領地である。宋人の来航は、すなわち鳥羽院への御訪問であろう。とすれば、ここを預かるこの忠盛が、宋人のお相手をするのが筋でござろう」

 忠盛が、院宣を広げて高く掲げながらそう言い放つと、武者どもが一斉に刀を抜き、鬨の声を上げた。

 それを見た役人たちは震え上がり、悲鳴を上げて、次々と繋いであった小舟で逃げ去ってしまった。

「はっはっは。この院宣が偽物とも知らずに、愚かな者たちじゃ」

「そうじゃ、そうじゃ。わっはっは」

 忠盛の回りを取り巻いていた郎党どもも、一斉にはやし立てる。

「しばらくこの船に居座るぞ。ただし、宝物には手を付けるな」

 忠盛は得意満面である。

「あくまでも、鳥羽院に忠誠のしるしをお見せするのが狙いじゃ。本当に積み荷を横領してしまっては、院に御迷惑をおかけするからな。それから、宋人は歓待せよ。手厚くもてなすのだぞ」

 そう言い残して、忠盛は、船内の見回りを始めた。

船倉には、金銀はもちろんのこと、目も鮮やかな錦の織物、妖しい輝きを放っている青磁白磁が、山のように積まれていた。

これらを都で売り払えば、一体どれだけの利益になるのか、想像もできない。それに比べれば、荘園の預り所として収奪できる富など、たかがしれたものであった。

忠盛は、あらためて貿易の威力の凄まじさを、まざまざと見せつけられる思いであった。

 彼は、長男の清盛に向かって、真剣な顔で言った。

「よいか、清盛。日本の中だけを見ていては駄目だ。絶えず、海の向こうにも目を配るのだぞ。あちらには、この国を変えるだけの力が、それこそ無尽蔵に湧き出ているのだからな。その力の源を掌中にすれば、この世でできぬことなど何も無いわ」

 父の声を聞きながら、清盛は、じっと水平線を見つめた。そして真っ赤な夕日に向かって静かにうなずいた。

 

(注)平家の貿易拠点の遺跡発見

*** 平成六年十一月八日(火)朝日新聞朝刊の記事 ***

 ”平家の大陸貿易拠点? 青磁出土”

「佐賀県神埼町の枝ヶ里一本松遺跡で、平安から室町時代にかけて、中国南宋などから輸入したと見られる青磁や白磁片約三千点が出土した。博多、太宰府を除くと、国内ではこれほど大量の輸入青磁が見つかった例はなく、・・(中略)・・当時の文献には、同遺跡一帯は「神埼荘」と呼ばれ、平家が大陸と私貿易を行った根拠地だったとする記述があり、・・(中略)しかし、物的証拠はなく、学会では否定されてきた」


(4)奴僕国に満つ

 

「父上、お帰りなさいませ。朝廷のお許しはいただけましたでしょうか」

 清盛が、門まで走って、父を迎えに出た。

「おう。また、海賊追討使に任じられたぞ」

「はい、左様でございますか。この度は周防の平定でございますね」

「その通りだ」

「では、私もお連れ下さい。前回は留守居役でございましたから、今回こそは是非に」

「ははは、わかった、わかった。よかろう。だが、出番は無いかもしれぬぞ。おそらく戦にはならぬであろう」

 保延元年(一一三五年)、忠盛は、二度目の瀬戸内海賊追討使に任じられた。最後まで平氏に抵抗していた、周防の岩国氏を下すのが目的である。

 瀬戸内の大半を押さえた平家にとって、本州の西の端に孤立無援で立て籠もっている一豪族を下すのは、わけもないことであった。

この行軍には、十八才になった清盛も従ったが、活躍する機会はまったくなかった。

 京都六波羅の屋敷に戻った親子は、二人だけで祝勝の宴を催した。

「父上、この度はまったく拍子抜けいたしました」

「ははは、そうか。だが、清盛よ、敵の首を取るだけが戦ではないぞ。出世も我らにとっては大事な戦だ。位を上げていくことこそが肝要じゃ」

「はい。しかし、位は朝廷や公家が決めるもの。清盛にはどうしようもございませぬ」

「そうではない。わしは、武士として初めて内昇殿を許された。なぜだか、お前には分かるか?」

「それは、三十三間堂造営の功にございましょう」

「いや、それだけではない。わしは、常日頃から鳥羽院には贈り物を欠かしたことはないし、取り次ぎの公家たちにも万遍なく金をばらまいている」

「はい。瀬戸内から上がる富をつぎ込んで、もっと大きな魚を釣り上げているのでございますね」

「そうだ。お前は、十二才の元服の時には、もう既に従五位下左兵衛佐の位にあった。これも裏の仕掛けは同じことだ」

「は、はい。父上の手回しの良さ、清盛感じ入りまする」

「うむ。公家が全ての力を握っている世の中で、武家が頭を出すためには、世渡りが全てということだ」

「わかりました。わたくしも父上を見習いとう存じます」

「ああ、それがよい。お前ももうすぐ二十だ。出世競争もこれからが本番じゃ。ここは一つ、強力な後ろ盾が欲しいところだな。どうじゃ、清盛」

「はあ・・・。後ろ盾と申しますと・・・」

「わからぬか。嫁取りじゃ」

「はあ、その話でございますか・・・」

「再婚は早い方がよかろう。今度は、堂上平氏の姫君に狙いを付けるのだ」

 清盛は、すでに右近将監高階基章の娘と結婚し、長男重盛をもうけていた。だが、その直後に妻を亡くし、今は独り身であった。

 清盛は、父親の周旋により、平時子と再婚した。時子は、堂上平氏直系の名家の娘であり、恋愛で結ばれたというよりも、むしろ政略結婚に近いものだったろう。

 もともと桓武平氏には、二つの系統がある。一つは、正盛、忠盛、清盛と続く「武(もののふ)」の流れであり、もう一つが朝廷と強い結び付きを有する堂上平氏の「公(公家)」の流れである。

 今回の結婚で両者が結び付いたことは、清盛のその後の位階獲得にとって、大きな追い風になったことは言うまでもない。

清盛と時子は、夫婦仲はよかったようで、久安三年(一一四七年)には宗盛を、また、その後も知盛、重衡、徳子と、計三男一女をもうけている。

 さて、清盛は、その後も順調に出世の階段を登り続けた。そして、二十九才の時には、何と「安芸守」というポストを射止めている。この若さで一国を任されるとは、異例のスピード出世である。

 一方、忠盛も、この間に美作守、尾張守、播磨守を歴任し、さらに仁平元年(一一五一年)には刑部卿にまで登りつめた。

 だが、このように平家躍進の原動力となった忠盛も、自然の理には勝てず、仁平三年(一一五三年)、ついに没することと相なった。

享年五十七才であった。

 あまりに突然の父親の死に、清盛は茫然自失の状態に陥った。

盛大な葬儀が粛々と執り行われていく中、喪主の勤めもほとんど果たすことができず、部屋に引き籠もっては泣き続けるばかりであった。

 弔問の客が全て去った後、叔父の平信範が心配して訪ねてきた。そして、抜け殻のようになった清盛に、そっと声をかけた。

「突然の御不幸、お悔やみ申し上げまする」

「あー、おじき殿か」

「お気持ちはお察ししますが、そう肩をお落としにならぬように。生ある者、いつかは滅しまする」

「ああ」

「これからは清盛殿の時代でございますぞ」

「うん・・・。そうだな・・・」

「忠盛殿は偉大でございましたな。平家の力を大きゅうし、それをそのまま、そなたに引き継いでくださった」

 実際、忠盛が息子の清盛に残した遺産は莫大なものであった。六波羅に設けた校倉造りの倉庫には、金銀財宝を詰めた木箱が所狭しと積まれていた。

これらは、公権力、すなわち上皇の力を背景にして行った数回の海賊追捕によって得たものである。瀬戸内海の通行税の徴収権を確立したことから、平家はその大部分をピンハネすることができるようになったのである。

「おじきの言うとおりだ。しかし、いくら無限の金銀があろうと、父上がいなくなってしまえば終わりじゃ。どうして、この清盛一人でやっていくことができようか」

「いえいえ、大丈夫でございます。気弱になりまするな。忠盛殿の残したものは、金銀だけではございませぬぞ。それもさることながら、もっと大切なものがございます」

「金銀よりもか・・・。それはいったい・・・」

「はい。海の男達の組織でございますよ」

「ははあ、なるほど」

「忠盛殿は、各地の海賊や豪族たちを自らの家人にして、徴税に当たらせました。これで、税が平家の元に集まるようになりました」

「うむ。瀬戸内海各地の港には、平氏の息のかかった兵どもが、根を下ろしておるな」

 京都六波羅の平家屋敷にも、各地の豪族どもの差し出した子弟が、数百人ほど寝起きしていた。彼らは、都の平家一族を守備する、忠実なボディーガードのような役割も果たしていた。

「奴僕、国に満つというわけだな」

「そうでございます。今日の葬儀の警護を担ったのも、彼らたちではございませぬか」

「うむ。わしは一人ではないということか・・・」

 忠盛は、言ってみれば、今日の広域暴力団の親分的存在に近いだろう。彼が一声掛ければ、命を惜しまない荒くれ者たちが、全国に(といってもまだ瀬戸内海域にしか過ぎないが)ごまんといたのである。

 父忠盛の死により、清盛は三十六才で平家の頭領におさまった。この時、彼は大変な財産を引き継いでいたことになる。

 公家全盛の平安時代において、武士の身でありながら、後年太政大臣にまで上りつめ、ついには天下を手中にできたのも、決して清盛一人だけの力ではない。父忠盛、さらには祖父正盛の代から営々と築き上げられてきたシステムがあったればこそである。

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