第三章 追い落とし   

(1)誘いの隙

 

「源義朝が、朝廷に異議を申し立てたそうでございますぞ。どうも右馬権頭の官職が不服だったようで」

 叔父の平信範が、何の前触れもなく、六波羅の西八条殿にやって来た。宮中の噂話を清盛の耳に入れるためである。

「おじきは相変わらず耳が早いな。それで、なになに、義朝が吠えておるとな」

 清盛は読書の手を休め、信範の方に顔を向けた。

「はい。義朝は、この度の保元の乱で、獅子奮迅の働きを致しましたからな。源氏の頭領として、もう少し上の位を望んだのでございましょう」

「うむ。そうか」

「敵の本陣である白河北殿を陥落させたのは、義朝殿の手柄でありましょう」

「まあ、そうだな。しかるに、たかだか右馬権頭では不承知というわけか」

「はい。それに引き替え、清盛殿は、播磨守という大国の長に任じられました。まさに天と地ほどの差がございますからな」

「ふむ。戦で大手柄を立てたからといって、公家どもは評価などせぬわ」

「やはり、日頃の賄賂がこういう時にものを言うのですな」

「その通りじゃ。義朝は、単なる猪武者だから、この辺のまつりごとの機微がわからんのだろう」

「ごもっとも。それで、義朝があまりにもしつこくごねるので、朝廷は仕方なしに左馬頭に昇格させるようでございます」

「そうか。あまり大した違いはないな。たとえ左馬頭になっても不満は残るだろう。何しろ身内の犠牲が大きすぎる」

「ええ、左様でございますな。義朝殿は、崇徳方についた父の為義や、実弟の頼賢らを、自らの手で斬りました。それに、義弟の為朝をも伊豆大島に流しましたし。源氏方の勢力は大幅に削がれましたからな」

「そうだな。それに比べて、当方は叔父の平忠正を失っただけで、大した痛手もない。忠正には悪いが、源氏を弱めるための人柱になってもらったと思えば、少しは浮かばれよう」

 信範は、運ばれてきた茶を一口すすって、話題を変えた。

「ところで、またまた興福寺の僧兵どもが騒ぎ始めたようでございますぞ」

「なに、まことか。うるさい坊主どもじゃ」

「はい、まったく。おそらく寺領の検注に怒ってのことに相違ありませぬ」

「ははは、そうか。それならば上々というものじゃ」

 清盛が、思わず頬をゆるめた。

「何が、喜ばしいことがありましょうや」

 信範が、いぶかしげに尋ねる。

「ははは、分からぬか。荘園記録所復活の効き目が、そろそろ出てきたというわけじゃ。信西殿と押し進めて参った甲斐があったというものじゃ。こんなに早く手ごたえがあるとはな。ふふふふ」

 保元の乱の後、朝廷では、形の上では後白河天皇の新政が敷かれたのだが、実質的には、天皇の信任厚い藤原信西による側近政治の様相を呈していた。

 信西は、出自が堂上平氏の流れをくむので、当然清盛も体制側の一員に組み込まれることになった。ただし、清盛はあまり表には出ずに、努めて背後から政治をコントロールするようにしていた。

 例えば、荘園記録所復活もそのひとつである。これは、天皇の宣旨を帯していない荘園は、すべて国が没収するというものである。当然の事ながら、これは寺社の荘園を標的にしたものであった。

「寺社どもめ、慌てふためいている様が目に見えるようだ。何しろ、あいつらは全国各地に膨大な荘園を有しておるからな」

「その力を後ろ盾に、僧兵という名のならず者を多数抱えて、あなどれぬ勢力を誇っております」

「うむ、まったくだ」

これには、武家の筆頭たる平家といえども、対抗するだけの力はなかった。

「そう言えば、たしか久安の頃、清盛様が三十才の時でしたか、祇園社の郎等と喧嘩になったことがございましたな」

「そうそう、おじきも覚えておるか。たしかあの時は、わしもおとなしく贖銅の罪に服したのであった」

贖銅とは、今で言えば、罰金刑のようなものである。

「あの時はまだ、正面切って寺社勢力と対決するだけの力はございませんでした」

「そうだな」

「しかし、今は違いまする。保元の乱によって、寺社勢力は衰えました。この機をとらえて、一気に奴らを潰してしまいましょう」

「一気にか。それは難しかろう。まずは、この荘園記録所復活からだ」

「いやいや、他にもいろいろございましょう」

「と言うと?」

「はい。神人や悪僧の濫行禁止令を出しましょう。それから、大内裏造営という名目で、寺社荘園へあらたに税を課したらいかがしょう」

「なるほど、それはよい考えじゃ。ならば、造営に当たっては、平氏も寄付を致そう。さすれば、寺社側も正面切って文句が言えぬであろう」

「左様ですな。それならば、源氏方にも供出させましょう」

「あはは、それはよい。義朝の苦渋の顔が目に浮かぶわ」

「わははは、どうせ申し訳程度の寄付しかできますまい。これで、源平の力の差をまざまざと見せつけられまする」

「そうだな。あ、それで思い出した。お前には話しておらなかったが、わしはまもなく大和の知行国主にも任じられることになっておる」

「左様でございますか。それは、それは、おめでとうございます。では、ますます寺僧領の取り潰しが進めやすくなりまするな」

「うむ。いよいよ面白くなってきたな」

「大和の坊主どもも、きっと音を上げましょう。さて、どういう手を打ってくるか・・・」

「それは知れたことよ。必ずや、源氏に接近するであろう」

「そうでございますな。義朝の方も、今の信西殿のまつりごとには不満を持っておりまする」

「他にも、信西を快く思っておらぬ公家どもがあまたおる。ひょっとすると、また一波乱あるやもしれぬな」

「御意。殿、御用心を」

「うむ。ここはじっくりと思案をめぐらすこととするか」

 信範との話は思いのほか弾み、いつしか夜の闇が辺りを包み込んでいた。二人は、酒に切り替えて、さらに議論を続けた。

「よし、まずは熊野を取り込むぞ」

「ほほう、大和の寺社勢力との分断を図るのですな」

「そういうことだ。西の瀬戸内、九州は盤石だし、東の伊勢は元々平氏の地盤だ。問題は、その間の熊野だけだからな」

「左様でございますな。まずは、いつもの手で海の男達を囲いまするか」

「それがよかろう」

「では、取引の材料ですが・・・」

「うむ。中国、朝鮮からの交易品を扱わせてやろうと思うが。どうじゃ」

「それは思い切った土産を。東国へ持っていけば、莫大な利益が得られまするな」

「うむ。奴らもうずうずしておろう」

「その条件ならば、平氏になびくこと必定でございます。そうと決まれば、来年の正月は熊野詣ででございますな」

「おう、そうだな。今から楽しみじゃ。わははははは」

 南都と源氏を追い落とすための青写真が見えてきて、清盛は高笑いをした。


(2)平治の乱

 

「皆の者、一大事じゃ。ただちに行列を止めよ」

 清盛が大声を発した。

 これには一同驚いて、皆すぐに清盛の回りに集まってきた。

「よいか、よく聞け。たった今、六波羅からの知らせが届いた。藤原信頼と源義朝が謀反を起こしたらしい」

 突然の変報に、一同はざわめいた。

 平治元年(一一五九年)十二月十日、清盛は、熊野参詣の途中、紀伊の国は切部という所で、都からの急報を聞いた。

「これというのも、こんな時に熊野詣でを企てた、わしの思慮の浅さによるものだ。許してくれよ。これより西国に落ちのびて、再起を図ろうと思う。皆の者、付いてきてくれるか」

 清盛の問いかけに、一瞬、静寂があたりを包んだ。

「殿、何をおっしゃいますか。義朝ふぜいに何ができましょうや。一戦も交えずに、今からそのような弱気でどうするのですか」

 叔父の信範が、その静寂を破って、馬上から大音声を張り上げた。

「その通りでございます。六波羅には、まだ手付かずの味方の兵が残っておりまする。それに、古来、都を落ちて天下を取った者はございませぬ。速やかに六波羅に戻り、義朝を退治致しましょう」

 長男の重盛も、そう言って父を勇気付けた。

 一同の者も、口々に賛同の声を上げた。

「そうか、皆の者、すまない。では、皆の申すとおり、都を目指そう」

 清盛は泣き出さんばかりである。

 だが、これは演技であった。清盛は、もとより西国に落ちるつもりなどなかった。ただ、わざと気弱にみせて、一同の結束を図ったのである。

「皆の者、さっそく唐櫃を開けて武装せよ」

 清盛は、再び大声で命令を発した。

 荷車に積んで持参してきた荷物は、熊野神社参拝用の衣装を入れた箱と見せかけてはいたが、実は甲胄や弓矢がぎっしりと詰まっていた。

「それからおじき殿よ。ご苦労だが、今から田辺に走り、湛増殿に救援を頼んできてくれ。話は既についておる」

「相承知いたしました」

 清盛は、実はこの時、紀伊の海賊たちの糾合にも成功したのだった。

 熊野の別当、田辺の湛増率いる熊野水軍は、その強力な結束力を背景に、独立の気風が強く、なかなか平家の足下に組することがなかった。

だが、これまで、熊野詣での度に交渉を重ね、やっと平家との提携話が実を結んだところであった。

「田辺の湛増殿、ご到着」

 使い番の声に、清盛は飛び出していった。

「これはこれは、よくぞおいで下さった。この清盛、礼を申しますぞ」

「いや、清盛殿のお役に立てれば、本望。この湛増が参ったからにはご安心下され」

 清盛は、この危急存亡の折りに、熊野水軍に頼ることで、彼らと平家との一体感を醸成することに成功した。まさに、災い転じて福となしたことになる。

 熊野勢を加えて、五百騎近くに膨れ上がった平家一門は、すみやかに元来た道を引き返した。その後、堺、難波を経て、京の六波羅を目指した。

 さて、ちょうどその頃、京においては、藤原信頼と源義朝によるクーデターが着々と進んでいた。清盛のいない都では、源氏の勢力に対抗する軍事力は、もはや存在していなかったのである。

 やがて、後白河院は幽閉され、三条殿にも火がかけられた。

 保元の乱の後、したい放題に政治を牛耳っていた信西も襲われ、彼の邸も同じく焼き払われた。

信西自身は、その時は脱出には成功したものの、後になって宇治で捕えられ、その場で首を刎ねられてしまった。

 藤原信頼は有頂天であった。彼はすぐに論功行賞を行い、自ら大臣大将になるとともに、義朝にも播磨守の官職を与えた。

 だが、こうした楽観ムードに異を唱えたのが、鎌倉から急遽駆けつけた源義平である。

「信頼殿は、何を呑気に、位官の差配などしておられるのか。今こそ、平家の息の根を止める好機ですぞ」

 義平は、義朝の長男であるが、父とは違って大局を見る目があった。

義平にも位を与えようという藤原信頼に対して、彼は次のように答えた。

「恩賞などよりも、まずは我に兵を下され。しからば、阿倍野に駆け向かって、清盛を討ち取って参りましょう。我は、東国にて呼ばれたる悪源太にて、他に名は要りませぬ」

「まあまあ、そういきり立たれるな。これだから関東の武者は好かぬ。よろしいか。我らの勢力は、すでに都を支配しておる。何も案ずることはない」

「いや、平家の勢力は全く手付かずではござらぬか」

「そのことならば、心配無用じゃ。我らは、六波羅も押さえておる」

「それはまことのことでござるか」

「いかにも。信西の息子が、六波羅に逃げ込んだのは義平殿も御存知であろう」

「もちろんだ」

「こちらが引き渡しを求めると、平家方はおとなしく応じたのだ」

「それは、形の上で信頼殿に従ったまででござる。清盛を甘く見てはなりませぬ」

「いや、今となっては、清盛が都に戻れるはずもなかろう」

「そのようにタカをくくっていてよいのでござるか。後で後悔致しますぞ」

 結局、清盛を迎え打つという義平の献策は、信頼に一蹴されてしまった。

 信頼に相手にされなかった義平は、悔しくて我慢ならなかった。彼は、何としても清盛を待ち伏せにしようと画策した。

そこで、藤原経宗、惟方をも誘い、自分が鎌倉より連れてきた家来二十騎と合わせ、総勢五十騎で阿倍野原に向かった。

 一行は、葦の茂みに身を隠し、じっと時を待った。

 しかし、何ということであろう。そこで義平が見たものは、絶望以外の何ものでもなかった。

わずか五十騎足らずで熊野詣でに出かけたはずの清盛一行が、十倍の兵力になって戻ってきたのである。

とても迎え討つどころではない。ただただ、葦原の中でやり過ごすほかはなかった。

 清盛は、難なく六波羅屋敷に戻ると、さっそく行動を開始した。

 まず、用水桶、長棒、砂袋などを用意させ、火攻めへの備えを十分にした。

そしてすぐに長男を呼び寄せた。

「重盛、まず初めに何をすればよいと思うか?」

「はい、すぐに撃って出ましょう。我らの方が軍勢に優っておりまする」

「いや、違う。駄目だ」

「何故でございます。負けるはずがございませぬ」

「そうではない。もっとよく考えよ、重盛。敵は御所を押さえているのだぞ。無理に攻めれば、我らは朝敵となってしまう。まずは天皇を手中にすることが先決だ」

「はあ。でも、どうやって取り返すのですか。そんなことはできませぬ。源氏方が二重三重に御所を取り巻いておりまする」

「そんなことは百も承知じゃ。そこをどうするかを考えるのだ。もっと頭を使え」

「・・・」

「調略じゃ」

「調略?」

「そうだ。ここまで言ってもまだ分からぬか。ならば仕方がない。お前には任せられぬな。もうよい、わしの方で手を打とう」

 まだ一人前に育っていない長男を脇に置いて、清盛は、すぐに持ち前の政治力を発揮した。すなわち、信頼方の切り崩し工作に出たのである。

 成果はすぐに表れた。藤原経宗と惟方が、平家方へ寝返ってきたのである。両者とも、阿倍野原で清盛方の勢いを見て、早々に信頼、義朝方に見切りをつけてしまったというわけである。

 十二月二十五日深夜、二条大宮の辺りから火の手が上がった。もちろん清盛が仕掛けたものである。

その混乱に乗じて、経宗と惟方は素早く動いた。二条天皇と後白河上皇の両名を牛車に乗せ、御所の裏門から運び出して、六波羅の清盛邸に入れてしまったのである。

「天皇と上皇を手中にすれば、もうこちらのものだ」

 六波羅に戻ってからも、信頼に名簿(みょうぶ)を提出して忠誠を誓うなど、じっと息を殺していた清盛だったが、事ここに至って、仮面を脱ぎ捨てた。

「重盛よ。そちに三千騎を与える。今すぐ、内裏を攻撃せよ」

 重盛は、精兵を率いて、六波羅を発した。

もちろん、源氏方も二千騎をもって必死の抵抗をこころみ、大激戦となった。

 清盛は、ここで切り札とも言える奥の手を出した。

「源頼政に使者を送れ。こちらに寝返らせるのだ。すでに手筈は整っておる」

 清盛は、京都に戻ってからすぐに工作を進めていた。源頼政は、保元の乱では清盛と義朝方に付いて戦っているが、清盛と義朝ではあまりに器の大きさが違うのを目の当たりにして、平家方に付くことを決意したのである。

頼政の離反を機に、形勢は一気に傾いた。

 こうした事態に、あろうことか、藤原信頼が、恐れをなして早々に逃亡してしまった。

 総大将が消えてしまっては、義朝、義平も戦う気力を失い、散り散りとなって逃亡した。

あっけなくも、戦闘は、たった一日で終結した。

 こうして平治の乱が終わってみると、源氏の勢力は皆無となり、しかも目の上の瘤とも言える実力者の藤原信西も、うまい具合に敵の手によって片づけさせることができた。

 この時、清盛に敵するものはほとんどいなくなっていた。


(3)常磐御前

 

「源義朝の首を持参致しました」

 清盛の郎等が、布に包んだ首を清盛の元に運んできた。

「おう、待っておったぞ」

 そう言って、清盛は縁側に進み出た。

「尾張の知多にて討ち取りました。家人に裏切られた由にございます」

「尾張とな。さて、義朝は誰を頼ろうとしたのかな」

「船で東国へ落ちのびようとしたものと存じます」

「知多で風待ちをしていたというのか?」

「はい、おそらく鎌倉を目指したのではないかと」

「いや、それはなかろう。鎌倉は大庭景親が押さえておる。奴は平家の忠実な番犬だ」

「はあ」

「とすると、常陸の佐竹あたりであろうか。関東では数少ない源氏方だからな。まあよい。いずれにしてもこれで一安心じゃ」

 義朝の首実検をしながら、清盛はほっと肩の力を抜いた。

「悪源太義平はすでに処刑した。頼朝も伊吹山で生け捕りじゃ。これで、この度の乱に係わった者どもは、皆捕えたことになるな。うれしいことよのう、なあ、教盛よ」

 清盛は、再び部屋の中に戻り、来訪中の義弟に向かって声をかけた。

「はい、左様にございます。これで、すべて片付きましたな。殿、おめでとうござります」

 教盛が、大げさに両手と頭を畳に付けて、清盛の機嫌を取った。

「うん・・・」

 だが、清盛はすぐに浮かない顔になった。

 それを察して、教盛が言葉をつないだ。

「頼朝のことでございますな。いかが致す御所存でございますか?」

「うむ」

「牢につないでから、かれこれもう一月になりますが」

「そうだな」

「それと、他にも、常盤御前の三人の幼児がおりまする」

「うむ・・・」

 三人の幼児の末子である牛若丸は、この時生まれたばかりの赤子であった。後年、源義経として、平家打倒の立て役者となるのだが、もちろん、この時、清盛は知る由もない。

「そのことよ。いかんせん、頼朝はまだ十三才だ。戦の責めは問えないだろう」

「しかし、安易に許してしまっては、将来に禍根を残しまするぞ」

「うむ。わしとしても災いの種は絶っておきたい。しかし、道理や節目を欠くこともできぬ。そんなことをすれば、平家の専横を世に示すことになるからな」

 清盛は、ふーと溜息をついた。

「殿、ここはよくよく御思案下され。もし、頼朝はじめ義朝の遺児たちを、皆助命するとなると、今度は平家一門の者が黙ってはおりますまい。皆、それなりに血を流して戦って参りましたゆえ」

 教盛は、一門を代表するつもりで、義兄に釘を差した。

「お前の言いたいことは分かっておる。都一番の美女を側室に迎えたいがために、無理を通そうとしていると」

「いや、そのようなことは・・・」

「隠さぬでもよい。わしに下心があると。まあ、いずれにしても、常盤とその子らを助けることに、一門の者たちは反対ということだな」

 常磐御前は、夫である源義朝を殺されて、今は未亡人となっていた。それを、清盛は囲うつもりでいたのだ。

「はは、ありていに申さば、そういうことでございます」

「そうか。一人の女の色香に迷って、道を誤ったと申す者が大半であろう。まあ、それでも構わぬがな」

 清盛の本音としては、頼朝をはじめ、義朝の遺児たちは全員助けたかった。

「わしと義朝とは、保元の乱を一緒に戦った仲じゃ。奴とは、武士の地位を底上げするために、ともに手を携えてきた」

「左様でございますな。我らの先祖も、それから源氏の先祖も、承平天慶の御代において、ともに朝敵を成敗して認められ申した。我らは、関東の謀反人平将門を討ち取った平貞盛様の子孫。一方の義朝殿は、伊予の海賊藤原純友を平らげた源経基の末裔でございます」

「その通り。源平ともに天皇を助け、我が国の静謐を保ってきたのだ」

「本気で源氏を憎んでいたわけではないと」

「その通りだ。勝敗は時の運。立場が逆となっていたとしても、少しもおかしくなかった」

「はあ・・・」

「それに、教盛よ。自分の目の前で泣いてすがる常盤を、やはり捨てておくことはできまい」

「はあ。しかし、そのような弱腰では、身を賭して戦った平家一門の者たちに、示しが付かないのもたしかでございますが」

「うーむ。それは分かっておる。何か妙案はないものかな・・・」

 その時、清盛は一人の人間のことを思いついた。

 翌日、彼は、六波羅にある平家屋敷の一つである池殿を訪ねた。清盛の継母、池禅尼に会うためである。

池禅尼は、清盛の父忠盛の後妻であり、清盛にとっては義理の母に当たる。

「母上、お久しゅうございます。実は、折り入ってお願い事がございまして、本日まかり越しました」

「はあ、さてさて。このような年寄りに頼み事とはいったい・・・」

「実は、義朝の四人の子の助命を、母上に強く申し出ていただきたいのです」

 清盛は、自分の苦しい立場を説明し、彼女に協力を要請した。

「そのことですか。私は、あの子たちの行く末を大変案じておりました。それで、私は、いったい誰に嘆願せよと仰せられるのですか?」

「はい、それは、この清盛に対してでございます。つまり、母上に一つ芝居を打っていただきたいのです」

「芝居、と申されますと」

「はい。まず、私が、常盤御前の願いを突っぱねまする。そこで、母上の出番となりまする」

「おほほほ、わかりました。そういうことですか。ならば、お力になりましょう」

 つまり、こういうことである。常盤の願いはきっぱりと断ったが、池禅尼があまりにしつこく助命を請うので、母の顔を立てるために、仕方なしに遺児たちの一命だけは助けてやる。と、そういうシナリオにするのである。

 そうすれば、清盛といえども、母の意向を無視できないということで、平家一門の者にも説明がつくというわけである。

 母の登場により、何とか形ができた清盛は、十日後になって、やっと次のような命令を下した。

「頼朝は伊豆へ流せ。常盤の三人の幼児は寺へ預けよ。それでよいな、教盛」

「はあ、承知いたしました。しかし、なぜ伊豆なのでございますか?」

 教盛が、納得できないという風に質問する。

「九州は、為朝のほとぼりが冷めておらぬ。瀬戸内では、船で逃げる恐れがある。その点、関東には平氏方の武将が多い。尾張三河も平家の地盤だし、両方に挟まれた伊豆ならば、監視の目も行き届くというものだ」

「なるほど。承知つかまつりました。ところで、常盤殿はいかがいたしましょうか」

 教盛は、にやりとして訊ねた。

「常盤はわしが面倒を見る。捨てておくわけにもいくまい。屋敷を一つ用意せよ」

 そう言い残して、照れくさそうに部屋を出ていった。

「どうも兄上は女に弱くていかん」

 教盛は、一人ブツブツ言いながら部屋を後にした。

「叔父上、いかがなされましたか」

 廊下ですれ違った重盛が、浮かぬ顔の教盛に声をかけた。

「おう、御曹司殿か。いや、なに、常磐御前のことよ」

「はあ、そのことでございますか。父上も大変でございましょう。常盤も、拾ったというよりは、拾わされたといったところでしょうか」

「まあ、そうかもしれぬな。常盤にしてみれば、夫に死なれて路頭に迷うところだったからな。自らの美貌を武器に、うまく時の権力者に付け入ったということだ」

「ええ。心の中では、うまくいったとペロリと舌を出しているかもしれませぬな」

「わっはっはっは、まったくだ」

 後年、清盛は白拍子に入れ込む。白拍子とは舞子であり、現代でいえば、水商売の女ということになるのであろうか。一夜のとぎを申し付けても、幾ばくかの金を渡せば、それで終わりというのが常である。

 ところが、この白拍子にも、清盛は付け込まれている。祇王という白拍子には嵯峨野に家屋敷まで提供している。今は祇王寺となっている場所である。

 祇王の次は、仏御前という白拍子にも心を移したが、やはり別荘をねだられている。しかし、清盛も、さすがにこの時は際限がなくなると思ったか、嵯峨野の屋敷を祇王と共用させている。

 平家物語では、祇王は、清盛に捨てられたかわいそうな女として描かれている。また、仏御前も、いつか祇王と同じように自分も清盛に捨てられることをはかなんで、自ら尼になり、祇王と一緒に嵯峨野に住んだことになっている。世の無常を悟ったということで、いかにも平家物語の筋立てらしい。

 しかし、年端もいかぬ女が、毎日読経ざんまいで過ごせるはずがあろうか。髪を切ったのは、むしろ清盛への抗議の意味合いが強かったのかもしれない。


(4)御落胤

 

 平治の乱後、初めて開かれた太政官会議はもめにもめていた。

「摂政様や関白様を流罪にするなど、天地開闢以来の暴挙でございます」

 保守派の参議が、まず口を開いた。

「左様でございます。たしかに大臣を流罪にしたことは、過去に何度かございます。菅原道真公もそのうちのお一人でございます。しかしながら、摂政・関白様を流罪にすることなど、とても恐れ多いことにございます」

 次々に公卿たちが賛同する。

「しかし、罪は罪。大罪を犯したことは否めませぬ。流罪は当然と考えまする」

 強行派の公卿も、負けずに応酬する。

「いえいえ、そのようなことをすれば、天下の秩序は乱れまする。それに、信西殿の十二人の御子さまも配流になさるとはどういうことですか。信西殿は、今回の乱の被害者ですぞ」

「いや、そんなことはござらぬ。元はといえば、信西殿の専横が、信頼たちの反感を呼んだのでござる。信西殿は、この度の乱を引き起こした張本人でございましょう。となれば、信西殿も同罪でござる」

「そうは申しましても、このように公卿を次々と流罪に処しましたなら、有力な公家がいなくなってしまいまする。いったい誰がこの国のまつりごとを司るというのでございますか」

 この時、ずっと議論の成り行きを見守っていた一人の公卿が、おもむろに口を開いた。

「平清盛殿を参議になさったらいかがでしょうか」

 思い切った提案をしたのは、日頃から清盛に何くれとなく世話を受けている藤原邦綱である。

 しかし、すぐに藤原成親が反論した。

「我らの一員として迎えるのでござるか。参議に任じるとは、すなわちこの太政官会議に出られるということですぞ。一介の武士を貴族にするなどとんでもない。私は反対でござる」

「しかし、今や、平氏の京における勢力は絶大ですぞ。清盛殿なくしてわが国のまつりごとは動かせませぬ」

 藤原邦綱も必死で清盛を担ぎ上げる。

「確かにそのとおりでございますな。清盛殿は今回の第一の功労者。まつりごとに参加して頂いてもよろしいのではございますまいか」

 他の参議も同調する。

「私目も同意見でござりまする」

 清盛親派の公卿たちが、堰を切ったように次々に口を開いた。

「しかし、軒を貸して母屋を取られるようなことになりはしませぬか」

 反清盛派も負けてはいない。清盛の多数派工作によって、大方の公卿達は清盛になびいていたものの、成親のように、なお反対する気骨のある公家たちも何人かいた。

この日の太政官会議は紛糾し、結論がなかなか出なかった。

 そんなところへ、太宰府からの急使が駆け込んできた。

「一大事でございます。宋の国で戦が始まりました」

「なに。どういうことだ」

 藤原成親が立ち上がって叫んだ。

「はい。刀伊の軍勢が動き出したそうにございます。南宋との間で結ばれていた和議は、破れました」

「まことか。なぜに仲違いをしたのだ?」

 成親が、詰問口調で使者に問い返した。

「宋が貢ぎ物を惜しんだ由にございます」

「よく分からぬ。もっと詳しく話せ」

「はい、失礼つかまつりました。実は、南宋の皇帝が、今年の分の金国への歳貢を半分に出し渋ったところ、金の王が怒って軍を催したようでございます」

「何と・・・」

「高麗からの知らせですと、すでに百万の大軍が北京に集結しているとのことでございます。すぐにでも揚子江を渡って、南宋に攻め込む構えでありまする」

 一同、水を打ったように静まり返った。

 中国国内の動向は、日本にも多大な影響を与える。数十年前、清盛の父忠盛の時代にも、刀伊、すなわち女真族が大規模な軍事行動を起こしたことがあった。その時は、日本への侵攻も心配されたのだが、結局は金と南宋の間に和議が結ばれて、大事には至らなかった。その後、両国の関係は小康状態を保っていた。

 現在は、中国での南北双方の勢力の均衡が、日本に平和をもたらしていると言ってもよかった。だが、このバランスが崩れて、金が南宋を滅ぼすようなことになれば、日本ものんびりとはしていられない。今度は日本に矛先が向けられることになるのは間違いないからである。

 しばらく沈黙の空気が流れた後、ようやく清盛親派の参議が口を開いた。

「もし、南宋が敗れるようなことがあれば、金は当然、次の狙いをこの日本に向けて参りましょう。いったい誰がこの国を守るのでございますか」

 これには、反清盛派も黙らざるを得なかった。

 この場の議論の流れは、完全に親清盛派に傾き、そのまま太政官会議は終了した。

 ほどなくして、清盛を正三位参議とする宣旨が公布された。武士としては、もちろん初めてのことである。

 清盛は、平家一門による厳島参詣の船中で、この知らせを受けた。

「殿、参議への昇進おめでとうございます。これで念願かなって、公卿の仲間入りでございますな」

 李慶仲が祝いの言葉を述べた。李慶仲とは、清盛がこの頃ブレーンとして重用していた宋の商人である。

「太政官会議は相当もめたようだな。しかし、最後には太宰府の原田直種に流しておいた話が効いたということか」

「そのようでございますな」

「ついにわしも公卿か」

「はい。いよいよ清盛様の時代でございますな」

「うむ。ついに大壁に風穴を開けたぞ。あとはだんだんとほころびを大きくしていけばよい。わっはっはっは」

 清盛は、甲板に出て、瀬戸の秋風を気持ち良さそうに体全体に受けた。

 金は、その後、南宋に攻め込んだものの、采石の戦いで敗れ、再び和議が成立した。日本への侵攻の恐れは杞憂に終わった。

だが、その時すでに清盛は参議の地位を手に入れてしまっていた。

京のちまたの話題は、清盛のまさかの公卿入りでもちきりであった。信じられない出来事には、流言卑語がつきものである。

 やがて、それらは平家一門の者の耳にも入る事となった。

「変な噂を耳にしましたぞ。殿が、白河院の落とし胤だという、何とも馬鹿げた噂でござる」

 叔父の平信範が、いつものように御機嫌取りにやってきた。

「わっはっは。いきなり笑わせてくれるな、おじき殿。それはなんと面白い話じゃ。いったい誰が言っておったのじゃ」

「いや、それは分かりませぬ。単なる町の噂でございます」

「おおむね、わしの出世を妬んだ公家どものうちの誰かが、悔しまぎれに流したものであろう」

「左様でございますな。尋常では、武士が公卿になることなど考えられませぬからな」

「もし、本当に天皇家直系の血が流れているのなら、わしは躊躇することなく天皇になっておるぞ。わっはっは」

「殿、呑気に構えている場合ではございませぬぞ。噂というものは必ず尾ヒレが付いて広まるもの。今のうちに火を消しておかないと、大変なことになりますぞ」

「そうじゃな。うむ・・・。いや、待てよ。逆にこれは使えるかもしれぬな」

「は、と申しますと・・・。あ、なるほど」

「そうよ。いっそのこと、もっともっと噂を盛んにしてやろう。身内の者どもに命じて、噂を蒔き散らさせるのだ。この噂を人々が信じれば、見えない力を得たも同然だからな。わっはっはっは」

 清盛は、いつまでも高笑いを続けた。

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