第二章  大抜擢

 

「では、これより表彰式を開始致す。二宮金次郎、殿の御前に出ませい」

「はい」

 家老の命令に、金次郎ははっきりした声で答えた。

「二宮金次郎、御辺は斗桝の改良、五常講の創設など、これまでに数々の優れた提言を行い、村の発展に寄与した。よって、ここにその功績を称え、表彰致す。殿より記念品を賜るので、前に進み出よ」

「はは」

 金次郎は、頭を下げたまま、ずりながら御前に出た。

「金次郎、よくやってくれているな」

「はは、ありがたき幸せ。この金次郎、これからもお殿様のために忠勤を励みまする」

「うむ。ところで今回は、そちの力量を見込んで、ちと頼みがあるのだが」

 一介の農民に過ぎない金次郎が、藩主の目に止まることができたのは、彼が小田原藩領の農民であったという幸運があったからである。

 金治郎が三十二歳で服部家の財政再建を引き受けたその同じ年、小田原藩主大久保忠真(ただざね)は幕府老中に抜擢された。

 幕政の中核を担ったこの開明君主は、藩内においても広く人材登用の門戸を開放した。武士だけに限らず、農民町人からも提案を出させて、有能な人材の発掘に努めたのである。この君主あって、この逸材ありというわけだ。

 なお、余談になるが、「金治郎」と「金次郎」の表記が混在しているのに気付かれた読者もおられるだろう。これにはちょっと訳がある。金治郎が本名であるが、小田原藩士登用時に誤って金次郎とされてしまい、以後はそれで通した。

 さて、表彰の場に戻ろう。

「お殿様直々のご指示と申されますと・・・」

 金次郎がおもむろに顔を上げた。

「実は、何とかお前を藩政に参画させたいと思っているのだ」

「そ、それは・・・。いえ、しかし、そのようなことが叶うとは思えませぬが・・・」

「そうだな。身分秩序第一のこの世にあっては、そうは簡単にいかぬだろう」

「はい。私は百姓でございます」

「うむ。百姓上りのお前を受け入れるとなると、藩士たちが黙ってはおるまいな」

「はい」

「そこでだ。わしも智恵を絞った。いきなり小田原では無理があるが、桜町ならどうじゃ。桜町領復興の任をお前に任せたいと思う」

「はあ・・・。桜町と申されますと、あの下野の桜町でございますか」

「そうだ。当家の分家筋である宇津家の領地が下野の国にある。ここが実に困ったものでな」

「と申されますと・・・」

「名目上四千石の領地ということになっておるが、年々荒廃が進み、今では実石高は八百石に満たないという有様じゃ。何とかこれを元に戻したい」

「そのような難しいお役目、とても私には勤まりませぬ。他にもっと適役の方がいらっしゃると存じますが」

「いや、もちろん過去に何人もの小田原藩士が、桜町に出向して立て直しを試みた。だが、一度として成果の上がったことはなかった」

「それは、何ゆえでございますか」

「うむ。無頼の輩にいじめられたり、あるいは悪賢い名主に騙されたりしてな」

「今までにもう何度も試みられたのでございますか」

「そうだ。既に千両もの大金を投入した。だが、一向に効が現れぬ。まさに砂丘に水を撒くが如くの状態じゃ」

  藩が二宮金治郎に白羽の矢を立てたのは、服部家の再興でも分るとおり、彼のやり方が金のかからない再建方法だったからである。藩としてはもうこれ以上持ち出しはしたくない。たとえ金治郎が失敗してもダメもとである、そんな思惑も藩にはあったに違いない。

「お殿様、やはりこの話は私には荷が重すぎまする。どうかお許し下さりませ」

「いや、お前ならきっと出来る。そんなにあっさりと断るでない」

「は、これは御無礼の段、平にご容赦下さい。しかし、私にはお殿様の御期待に沿える自信がございませぬ」

「まあ、今日は突然の話で、そちも心構えができておらぬだろう。少し時間を与えるゆえ、考えておいておくれ」

 ひとまず、小田原城を辞した金次郎だが、心は重かった。実はこの時、彼は私生活面で大きな問題を抱えていた。と言うのも、離婚と再婚を立て続けに経験したのである。

 妻きのとの間にもうけた長男が、誕生一ヶ月後に病没してしまった。服部家の仕法に掛かりきりで、全く家庭を顧みない亭主に愛想を尽かしていた妻きのは、これをきっかけに金治郎のもとを離れていってしまった。

 その後服部家の当主が気の毒がって、すぐに女中のなみを娶らせてくれた。今はなみとの再出発を大事にしたいという思いが強い。この一連の苦い経験が、金次郎に二の足を踏ませた。

 しばらくは夫婦水入らずの安定した日々が続いていたが、藩の依頼は益々強くなっていく。妻のお腹が日に日に大きくなっていくのを見ながら、金次郎は物思いにふける毎日であった。

「いったい、俺はこのままでよいのか?」

 金次郎は頭をかきむしった。

「百姓として一生を終えることで本当によいのか?」

 金次郎の気持ちは揺れ動いていた。

 そんな夫の様子をじっと見守っていた妻なみが、ある日そっと口を開いた。

「旦那様、私はもうさんざん幸せを与えていただきました。これからは藩のお役目に御注力下さい」

「何を申すか。わしはなみが大事なのだ」

「いえ、私にふりそそいで下さる御慈愛を、どうか大久保のお殿様に。私はけっして恨みには思いません」

「そうか、なみ・・・。ありがとう」

 金治郎は、なみをぐっと抱きしめた。思わず、涙が溢れ出た。

 三十五歳の夏、ついに意を決して、金次郎は桜町へ下見に出かけた。大役を引き受ける前に、自分なりの見込みを立てておきたかったのである。

 さて、現地に到着してみると、桜町領内は予想以上の荒廃ぶりであった。空き家、空き田が目立つ、というより、そっちの方が多いくらいだ。北関東のこの地は、小田原とは違って地味は痩せている。中田の下というよりも下田の上であろう。博打賭事の類いも盛んである。只でさえ、苦しい生活をさらにすさんだものにしている。

 彼は、一軒一軒全ての領民の家を回って歩いた。一回の下見では満足できず、結局半年の間に都合四回、小田原から出向いている。

 翌年三十六歳の春三月、金次郎は再建策を懐に入れ、大久保公のいる江戸屋敷に赴いた。

「やあ、二宮、よく来てくれた。やっと引き受けてくれる気になったのだな」

 藩主が直々に声をかけた。

「いえ、恐れながらそうではございません。この数ヶ月間、桜町領内をくまなく見させていただきましたが、とても私の力では再興は無理でございます。地味の痩せた下田では、最善を尽くしても現在の収高八百石を二千石に持っていくのがやっとでございます。とても本来の禄高四千石には至りませぬ。宇津様にはどうか他に代替地をお与えなされますように」

「ははは、代替地とな。この小田原藩のどこを探してもそんなものは無いことをお前は知っているくせに。嫌味を申すな。二千石に持っていくのでさえ夢のようじゃ。よし決まった。是非お前に再興を任せよう。頼んだぞ。そうと決まればすぐに取り掛かってもらいたい。おー、そうそう、当座は何かと物要りであろう。二百両のお助け金を出すので、持参するがよい」

「はは、ありがたき仕合わせ。しかし、ちょ、ちょっとお待ちくださいませ。お引き受けする前に条件が三つございます。これがかなえられましたならば、この二宮、全身全霊をもって御役目に尽くしとう存じます」

「何、条件とな。申してみよ」

「では、まず宇津様の年間の分度を一千五俵と定めさせていただき、これを越えた収量があった場合には、分度外として仕法の資金に繰り入れることを認めていただけること。これが一つでございます」

「ふむ」

「二つ目は、たった今頂戴致しました仕法援助金二百両の使い道を、全て私に委せていただけること」

「よかろう」

「そして最後に、向こう十年間小田原への帰国報告はお構い無しにしていただけること。この三つでございます。いかがでございましょうか」

「ははは、ズケズケと申す奴じゃな。分った。約束しよう。しかし、一千飛んで五俵とはずいぶん中途半端な数字だな」

「はい、過去十年間の年貢高の平均でございます。何びとも納得のいく数値だと心得ますが」

「なるほど。これがそちのやり方か。よかろう、よろしく頼んだぞ」

 金次郎は、小田原へ帰るとすぐに家屋敷や田畑の整理売却を始めた。

 回りの百姓たちは皆不審の念を持ってそれを見ていた。

「百姓とは、生まれた土地で死ぬのが当たり前ではないか。家や田畑を売るとは、金次郎さんはどういう料簡なんだろう。しかも、弟がいるというのに。家は売らずに弟に継がせればよいではないか」

 村の者たちは口々に噂し合った。

 だが、金次郎はそんな言葉には耳を貸さなかった。そして妻に向ってきっぱりと言った。

「残念だが、弟の”分”を考えると、家を残さない方がよい。弟の力量では家を維持していくのは難しかろう。それに、帰るところがあると思うと、私自身の心意気が緩む。背水の陣で望むのだ。一家を廃して万家を興すのだ」

 金次郎三十七才の春、妻なみと二才の嫡男弥太郎を加えた親子三人は、故郷を捨てて新天地に向った。

 さて、桜町へ向う金次郎一行を、村に入る少し手前で待ち受ける人の姿があった。

「二宮様、遠路はるばるご苦労様でございます。ささ、こちらで一休みしてくださりませ。ささやかではございますが、酒席の用意をしております」

 腰の低い、丁寧なもの言いの男は、桜町の名主であった。

「いや、結構。一刻も早く陣屋に入りたいので、遠慮しておこう」

 金次郎は、名主の手を払いのけるようにして、通り過ぎてしまった。

 妻が、けげんな顔で金次郎に尋ねた。

「せっかくの御好意なのに、何故つっけんどんにお断りなされたのですか?」

「はっはっは、およそ真っ先に機嫌を取りにやってくるのは、必ずや腹黒い者に違いない。旧悪が露見するのを恐れて、表に誠意をよそおっておるのだろう」

 着任の翌日から、金次郎は回村に出た。一戸一戸巡視し、農事の勤惰の現状把握、田畑の境界の見きわめ、荒地の広狭の計測、そして流水の便利の調査等、きわめて精力的に動き回った。

さらに、善人を表彰し、悪人は諭し、貧窮者には当座の金を与えて生きる道を示した。領地の一尺一尺を胸中にたたみ込むまで、金次郎は満足することはなかった。

 今まで、このように懇切丁寧に指導を受けたことの無かった桜町の百姓たちは、みな感謝の念を持って金次郎に対した。

「二宮様、お勤めどうもご苦労様でございます。もうじきお昼になります。ささやかですが、食事の用意をさせていただきました。どうぞお上り下さい」

 回村の途中で、農家から食事の供応を申し出られることもたびたびだった。だが、金次郎はいつも固辞する。

「いや、水だけもらえればそれで結構。冷飯を持参してきておるので、それにかけて食するゆえ」

「しかし、それでは私どもが困ります。お役人様を粗略に扱うことになり・・・」

「いや、つまらぬ気遣いは無用じゃ。そもそもお前たちは農事を怠ったからこのような困窮に及んだのだ。おれは千辛万苦を尽くしてお前たちを安んじ、お前たちの衣食が足る時が来なければ、私も満足な衣食をしないのだ」

 金次郎の真心は大半の農民に届いたとはいうものの、元来、多年の間に風俗の頽廃が進んでしまった土地柄である。一部の腹黒い者どもの中には、金次郎に対してうわべは従いながらも、裏では足を引っ張るというような者もいないわけではなかった。

 田畑の境界を正そうと思って調査をした際、『古来の水帳(土地台帳)はもう無くなりました』と言って、密かに悪賢い者の家に隠したりするのはまだいい方である。荒地を勝手に耕し、租税を全く納めずに実りを我がものにする一方、租税を出すべき田畑には肥料をやらずに不作とならせ、『土地が悪いためにこの通りです。年貢を減らしていただかないと百姓たちは皆離散してしまいます。』とヌケヌケと言い出す者もいた。

 さらには、愚民たちをたぶらかして種々の訴訟事件を設け、毎回陣屋で紛議騒動させては陰で面白がっている輩さえいた。金次郎に本来の仕事をさせないように仕向けているのである。

 だが、金次郎はこれらの案件を決して面倒がらず、一つ一つ丁寧に取り上げた。土地や租税の問題に対しては、必ず現場に行って自分の目で確認した。また、訴訟についても朝未明から裁きを行い、夜は夜で道理を説明することで、あえて刑罰を用いずに解決する道を選んだ。睡眠時間も毎日四時間ほどしか取らなかった。

 こうして一年もすると、ついに訴えが無くなるようになった。村の空気ががらりと変わり、さていよいよこれから仕法の実が上るかと思われた。

 ところが、文政十年(1827年)十一月に至って、事態は急変した。国元から新たに陣屋詰めとして豊田正作が送られて来たのであるが、金次郎はこれとまともに衝突する。

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