第三章 上役との衝突

 

「二宮様が来られてからというもの、毎日土木工事に駆り出されて、休む暇もございません。自分の畑の耕作でさえ手に余っているというのに、どうして新田開発までできましょうや。村人は皆困っております。豊田様、どうかお助け下さいますように」

 陣屋の長官として小田原より赴任してきたばかりの豊田正作に対して、二人の名主がさっそく歓迎の宴席を設けた。

「そうか。しかし、二宮金次郎はお殿様の覚えめでたく、なかなかの知恵者と聞いておるが」

「とんでもございません。困窮した者には恵まず、全く援助の手を差し伸べません。逆に、それほど困っていない者でも、村人たちの入れ札によって一等になった者には、鋤や鍬を与えて表彰致します。さらに、必要でもないのに無理に金を借りさせ、高利をむさぼっております」

「ほほう。それがまことであれば、二宮金次郎は噂とは大違いの悪役人であるな」

「その通りでございます。是非豊田様のお力で、元の桜町に戻してくださりませ。私どもも豊田様のために微力を尽くす覚悟でございます。村内のことは何事によらず、私ども名主連中にお命じ下さりませ」

「そうか。よし分った」

 そう言って、豊田正作は杯をうまそうに飲み干した。

 金次郎のやり方は、村中をくまなく回村して一人一人の百姓を指導していく個別掌握方式である。だが、これでは金次郎と名主たちの間に大きなあつれきが生じる。と言うのも、従来のピラミッド組織による上意下達方式と比べ、名主や組頭などの中間層が軽んじられることになるからである。

 いや、もっと現実的には、年貢の徴収時や逆に補助金の配付時に、彼ら中間層がマージンを懐に入れることができなくなったということが最大の不満である。早い話が、甘い汁を吸えなくなったのである。

 だが、おおっぴらには言えないことなので、名主たちは何とか新任の役人に取り付いて昔の良き時代に復そうというわけである。

 豊田正作は、彼ら名主たちにとっては、おあつらえ向きの人物であった。接待や付け届けがきくし、お上として立てていれば面倒なことは何も言わない。実に扱いやすいのである。もっともこの時代の役人は皆こんなものではあるが。

 名主たちに丸め込まれた豊田正作は、次第に金次郎に対し、強硬姿勢を見せ始めた。と言うよりも、単に上司風を吹かせたいだけだったのかもしれない。ある日、ついに金次郎を呼び出し、詰問に及んだ。

「近頃、お前の仕法は評判があまり良くないな。名主たちが見直しを求めて、しきりに申し出に及んでいるが、いったいどういうことだ。何でも、困窮者を見捨てているそうではないか」

 だが、金次郎はちっともひるまずに答える。

「無頼の徒にいくら恵んでも、効果は上りませぬ。酒と博打を止めさせなければ、ざるに水でございます。むしろ、真面目な者に対し、無利子で鋤、鍬などの良い道具を与えれば、自ずと生産が上り、やる気と喜びが増すというものです」

「それはそうだが、困っている者を救い恵むのが天下の良法というものではないのか?」

「いえ、枯れる寸前の木にいくら水や肥料をやっても、元の緑を取り戻すことはできませぬ。若くて生きのいい木に恵んでこそ金の価値があるというものです」

「しかし、このままでは貧しさのために村を棄てる者が続出することになるのではないのか?」

「それで一向に構いませぬ。その分、近隣諸国から精勤の百姓の招致を図っておりますゆえ」

 上役に対しても、臆することなくズケズケとものを言う金次郎に、正作は不快な念をあらわにした。江戸時代でも現代でも、上司に媚びへつらうのは世の常であるが、金次郎は数少ない例外であった。

 それにしても、金次郎のやり方は、実に貧者の心理を見抜いたものであった。困窮に陥っても、いつか必ず救ってもらえるのなら、汗水垂らして一所懸命働くこともない、とそう考えるのが人情である。

 今までに千両もの大金をこの村の復興に投入したにもかかわらず、一向にTAKEーOFFの兆しがないのはこのためである。

 さて、全く上司を立てることのない金次郎に対し、豊田正作は露骨に妨害工作をやり始めた。

 ある時、金次郎が用水工事のための人足の募集を始めると、彼はまったく反対の命令を名主経由で出した。それを受けて、無頼の者どもが虎の威を借る狐よろしく、百姓たちに圧力をかけて回った。

「自分の田畑の耕作に専念せよ。これは豊田様のお達しだ。いくら工賃がいいからといって、耕作を疎かにして用水工事に出ることはまかりならぬぞ」

 金次郎が廃止していた貧者への補助金も、豊田正作は復活させてしまった。命令系統が二重になり、混乱は増すばかりであった。

 金次郎は、生産を増やすためには、無主の田畑の復旧を急ぐ必要があると判断していた。そのため、他国からの農民の流入を促進する施策を進めていた。例えば、最初の数年間は税を免除するという優遇税制や、鋤鍬などの耕作道具の無償支給等々である。

 だが、これも、優遇期間が終了して回収期に入ると逃げられてしまうなど、なかなかうまくいかなかった。もともと条件の悪い田畑が放置されていたので、それだけ耕すのに骨が折れるのである。

「致し方ない。禁令を出そう」

 金次郎はついに出村禁止令を発布した。役所の公権力を行使してでも、他国から招致した農民の再流出を食い止めなければならないところまで追い詰められていたのである。まさに苦渋の決断であった。

 ところが、他国からの農民の流入は、もともとこの地に住んでいた農民との間に新たな摩擦を引き起こすことになった。金次郎は、桜町着任以来、村民の入札(いれふだ)により精勤の者を表彰することを続けていたが、越後からの移住者を村役人に選出したことが発端となり、地元の者たちの不満が爆発したのだ。

 金次郎としては、能力とやる気のある者を公正に選んでいるつもりなのだが、農民の入村を活発にしたいという気持ちが無意識のうちに働いてしまうのであろう。どうしても外の者を優遇してしまう。

 これに対し、新参者の風下に立つことを潔しとしない旧民たちが反発し、村を二分する争いにまで発展してしまった。

 これらの動きを見ていた豊田正作は、好機到来、それ見たことかとばかり、金次郎を責めた。

「二宮よ。おまえの仕法というのは、村人たちにいさかいを起こさせるためのものだったのか?」

「・・・」

「え、どうなんだ?」

 こう言って、豊田はニヤリとした。金次郎は一言も発することができなかった。

 今まで自由に振る舞ってきた金次郎も、村内の対立を目の当たりにしては、謹慎せざるを得ない。陣屋で政務を執ることを諦め、自宅に引き籠もった。

 そこへ翌日、同僚の横山周平が心配して訪ねてきた。

「どうなされました。皆が案じています。元気を出して下さい」

「横山殿、わざわざの来訪かたじけない。いやー、私がこの村のために良かれと思ってやっていることが、皆裏目に出てしまっているようだ。あー、私はいったいどうしたらよいのか」

 金次郎は、珍しく弱音を吐いた。

「二宮殿、私から豊田主席にご説明致しましょう。事業を中断することはありません。私から話をすれば、豊田様もきっとわかってくださるでしょう」

 桜町陣屋で金次郎と同格の役人であり、良き理解者でもある横山周平が金次郎を励ました。

 しかし、金次郎は静かに首を横に振った。

「あなたの気持ちはありがたい。だが、無駄だろう。豊田正作は小田原藩十万石でも導けない男だ。そんな輩でも、私とともに仕事をすれば少しは改まるであろうという判断から、お殿様がこの桜町によこしたのであろう。しかし、あろうことか私の上役としてやってきた。いくら私でも逆らうことはできない。彼の言うとおりにするしかないのだ」

「そうは言っても・・・」

「いや、もはやこれまでだ。出村の禁令は解除しよう。私も少し無理をやった。反省しなければいけない」

「しかし、このまま豊田様一派のなすがままにしておいてよろしいのですか?」

 しばらくの沈黙の後、金次郎は天を仰いだ。

「桜町の復興、そして上役の更生、この二つの大事業を同時にやるのは私には無理だ」

 涙がこぼれるのを必死にこらえるだけであった。

 十日ほどして、領民たちの対立がひとまず収まったので、金次郎は再び陣屋に出仕した。だが、これといった活動は控えざるを得なかった。

 新しい施策の実行ができなくなり、表立っての金の支出も難しくなったが、それでも回村だけは毎日欠かさず続けていた。

 ある日も夜遅く外回りから帰ると、横山周平が待っていた。

「ただいま帰りました」

「二宮殿、毎日遅くまでご苦労様です」

「いえ、横山様こそお疲れではござりませぬか。私など待っておらずにお先に引き上げて下さりませ。ところで豊田様は?」

「先ほど取り巻き達と連れ立って、町中へ飲みに出かけて行きました」

 熱いお茶を金次郎に差し出しながら、横山周平は日頃の疑問を投げかけてみた。

「なぜ二宮様はこれほどまでに他人に尽くすことができるのですか?」

「さて・・・」

 あまりにも単純な質問だったので、かえって答に詰まってしまった。自分でも今まで考えたことがなかった。

 お茶をすすりながら、やがて一つの答えにたどりついた。

「親父譲り・・・、と言うことでしょうか」

「小さい時に亡くされたというお父様ですか?」

「はい。私の父は栢山の善人と言われておりました。人に頼まれたらいやとは言わず、金を貸しても返済を求めることは決してしなかった。馬鹿が付くほどのお人好しです。そのために、施しの度に身上が小さくなり、親父が亡くなった時にはほとんど田畑が残っていませんでした。その後、母もすぐ後を追い、ついに一家離散となりました。私は父の血を受け継いでいますから、やはり世の中に施しをせずにはいられないのでしょう」

「そうでしたか。立派なお父上ではございませぬか」

「ええ。しかし、ただの施しだけですと父のように身代を潰しますので、私は何とか金を循環させ、永遠に施しができるような仕組みを作りたいのです。川の水がまっすぐに海に流れ込んでしまうのと、灌漑して田を養ってから海に入るのとで、川水の分量は元々同じですが、その働きは天と地の違いです。私は欲張りなことを考えているのです」

 いつしか、横山周平は泣いていた。

 横山周平は、性廉直で学問もあったことから、二宮金次郎が最も頼りにしていた人物である。実際、金次郎が桜町で旗揚げをする時に、宇津家に対して何度も出府を懇請し、同道帰陣したくらいの執心ぶりであった。

 だが、まことに残念なことに、横山は生来虚弱で長く勤めることができず、わずか五年後に病没している。

 金次郎は、終身横山を惜しみ、話がこの人のことに及ぶときは、必ず涙を流したという。

 さて 二宮金次郎が桜町にやってきて、すでに四年半が過ぎようとしていた。農業用水のための堰や橋の改修が終わり、仕法はいよいよこれからだという時に、彼の人生にとって最大のピンチが訪れようとしていた。この時、金次郎四十一才であった。

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