第八章 幕臣取り立て

 

「先生、幕府より書状が参ったそうでございますね」

 弟子の富田高慶が息せき切って飛び込んできた。

「ああ、高慶か。よく来たな」

 高慶は相馬藩士であるが、二宮金次郎に心酔し、この頃はほとんど行動を共にしていた。後々、尊徳仕法第一の後継者として重要な役割を担う人物である。

 天保十三年(1830年)、金次郎宛に幕府勘定奉行より一通の書状が届いた。一私藩の藩士に、御上から直接書状が送られるというのは異例のことである。

「いったい何事でございますか?」

「いや、大した話ではない」

「左様でございますか。しかし、幕府からとは、未だかつてないことにございますが」

「いや、そんなことはないぞ。今回が初めてではない」

「と、申されますと・・・」

「あれはたしか二年ほど前、小田原にいた時のことだ。伊豆韮山代官の江川太郎左衛門より、依頼が舞い込んだことがあった」

「江川太郎左衛門といえば、あの反射炉を製造したことで有名な・・・」

「ああ、そうだ」

「で、どうなされました?」

「その時はわしも舞い上がってしまってな」

「ええ、地方の出先の代官所とはいえ、幕府の正式の御用でございますから」

「この時は取るものも取りあえず、箱根越えの悪路をわずか二日で駆けつけたものよ」

「で、御用のおもむきは?」

「それが、韮山にある多田家という商家の立て直しの依頼であった」

「公儀の御用がそれですか?」

「ああ、わしとしては、肩すかしを食った恰好だ。これでは従来のお家再興の話と同じだからな」

「先生としてみれば、手慣れた仕事でございますね」

「ああ、さっさと仕上げて小田原へ帰還したよ」

「左様でしたか。で、そうそう、今回はいったいどういうお話で。差し出しが江戸でございましょ。少しは期待がもてまするな」

「ははは、とんでもない。これがその書状だ」

 そう言って、金次郎は傍らの紙を取り上げて、大声で読み上げた。

「利根川分水路見分、目論見御用。御普請役格二十俵二人扶持を命ず」

「はあ?・・・。それは、辞令書で」

 富田高慶は、ポカンと口を開けたまま金次郎の顔を見つめた。

 御普請役とは、関東四川すなわち鬼怒川、小貝川、下利根川、江戸川の流域の管理や、用水の普請を担当するお役目である。二十俵は本俸であり、二人扶持は役職手当であるが、どちらも最下層の武士の俸禄額である。

 冒頭の利根川分水路というのは、少し説明を要する。

 南部藩や伊達藩など奥州東岸諸藩から江戸への当時の水運は、太平洋沿岸をずっと南へ下り、外房をぐるりと回って江戸湾へ入るルートしか無かった。かなり遠回りを余儀なくされるばかりか、安全面でも問題があった。房総沖は海の難所として有名な所であり、当時も太平洋の荒波で難破する船が後を絶たなかった。

 そこで、房総半島を回らずに済まそうというのが、今回の利根川分水路計画である。すなわち、利根川河口の銚子で川に入り、しばらくさかのぼった後、途中印旛沼あたりからまっすぐ南へバイパスして、いきなり江戸湾の市川沖に出てしまおうというというわけである。

 もちろん印旛沼から市川までの二十kmは陸地であるから、水路を新たに切り開かなければならないが、これが完成すればインフラストラクチャとしての価値は絶大なものであった。

「しかし、なぜ先生が工事の見分役を・・・」

「さあて。衰村復興のために、関東各地に用水路を造った経験を買われてのことであろう。それにしても、わしのような身分の低い者に委ねるなどということは、以前なら考えられぬがな。これも時代の流れであろう」

「はあ、なるほど。昨年、水野越前守様が老中になられましたが、それからですか。人材登用の一環として先生が抜擢されたのですね」

「まあ、そんなところだろう」

「でも、何だか先生は、今回の出世を手放しで喜んでいらっしゃらないようですね。幕臣に取り立てられたというのに」

「ああ。裏事情があるからな」 

「え、と申しますと・・・」

「分度確立を主張して止まないわしを、小田原藩の上層部が疎んじたのだろう」

「はあ、なるほど。それで先生を幕府に推挙したというのですか」

「ああ、体のいいやっかい払いというわけだ」

「そんな・・・」

「いや、わしは別に気にしてはいないさ。仕法を全国の幕領にも拡大できるなら、それはそれでよいと思っていたからな」

「小田原藩を見返してやれますからね」

「ああ。だが、まさか御普請役の命を受けるとはな」

「先生の希望は、全国の幕府天領に仕法を施し、良法を普及するということでございますものね」

「ああ。だが、幕府は、単にわしの土木の才だけに注目した」

「どうもどこかで行き違いがあったのですね。うまくいかないものです」

「天下の幕府ならと思っておったが、とんだ見込み違いであったな」

 金次郎の手から辞令書がひらひらと舞い落ちた。

 その後、金次郎は極度の失望のあまり、数日の間、寝込んでしまった。

 だが、何とか気持ちを整理し、下総の地に向った。

 例によって、何日も実地調査を重ね、一ヶ月後には大作とも言える二巻の復命書を上奏した。書くこと、文書にすること、それは金次郎が最も大切にしていることであった。

「恐れながら申し上げます」

 金次郎は、幕府勘定奉行の詰め所に赴き、巻物二巻を上役に手渡した。

「私の一月間の調査報告でございます。どうかお納め下さい」

「ほう、一月間とはまた随分と手間暇をかけたな。まあ、後でゆっくり読ませてもらうとしよう。で、いったい分水路はいつできるのか?」

「いえ。それほど容易ではございません」

「左様か」

「では、要点のみ申し上げます。幕府は、技術上の障害から工事が進捗しないとしておりますが、それは本質的なことではないと存じます」

「それはどういうことだ」

「はい。むしろ資金が続かないことが問題だということでございます。このところの幕府財政は厳しく、この工事だけに資金をふんだんに注ぎ込むことはできません。そのため、幕府からの資金供与は滞りがちになり、工事の中断と再開が繰り返されているのです」

「なに、もっと幕府から金を出せと申すのか。ならば、そちに頼まずとも金さえあれば誰にでもできることだ」

「いえ、そういうことではございません。公金があまり当てにできぬならば、結局は地元に頼らざるを得ないということでございます」

「地元?」

「はい、つまりこの地の農民の撫育を図りながら、余剰の資金で数十年かけて分水路の完成を目指すのでございます。これが私の結論でございます」

「何と。数十年とは。寝ぼけたことを申すな。三年で成し遂げるのがお上からの御命令じゃ。話にならん。もうよい」

 金次郎の思いのたけを込めた上申書二巻に対して、その後幕府からは何の反応も無かった。早急な分水路開通を望む幕府と、金次郎の上申書の内容とがあまりにも乖離しすぎていたためである。

さらに、この頃幕府内部で政権争いが起こり、結局改革推進派の水野忠邦が敗れて失脚したことも大きかった。この分水路工事の話はやがて沙汰止みとなってしまった。

「小田原藩から放り出され、今また幕府からも見捨てられた」

  金次郎は唇を咬んだ。

「あー、私は仕事がしたい。しかし私にはその場がない」

 宙ぶらりんとなった金次郎は、翌年幕府の直轄領である真岡の代官所手附きの辞令を受け取った。といっても、特にこれといった仕事が与えられたわけではない。

 無為に日々を過ごすことに耐えられない彼は、代官に対し、真岡領への仕法導入を働きかけた。だが、代官は無用な波風を立てることを嫌って、のらりくらりとはぐらかすばかりである。事態は全く進展しなかった。

 私領から全国の幕府領へと、仕法を飛躍的に展開できるという金次郎の希望は、幕府の巨大な官僚組織の壁の前に押し潰されようとしていた。

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