第九章 雛形全八十四巻

 

 渾身の力を込めて書き上げた利根川分水路工事目論見書も取り上げられず、また真岡領での出番も無い。金次郎は鬱々とした日々を送るばかりであった。

 青木村、烏山藩、細川藩、下館藩などの諸侯の仕法は、ずっと以前から仕掛かり中だとはいうものの、特に目立った進展もなく、彼のキャパシティを埋めるには至らなかった。

 こうした様子を見かねた弟子の富田高慶が、ついに真岡代官の山内総左右衛門に直談判に及んだ。

「二宮先生が幕府から当代官所手附を命じられて、既に一年が経とうとしております。この間、先生には腕をふるう場もなく、毎日を無為に過ごすばかりでございます。お代官様には一刻も早く、真岡領への仕法導入を決断していただきたい」

 高慶の強い口調に、代官は露骨に厭な顔をした。

「二宮の仕法は良法ではあるが、新法であるため、そう簡単にはいかぬのだ」

「いえいえ、それは違います。新法とはいっても、もう既に各地で実績を上げております。何の問題もございませぬ」

「さて、それはどうかな。実績といっても私領でのことであろう。公領では過去に例がないではないか」

「ならば、この真岡で実績を作ればよろしいではありませんか」

「だから、今、江戸に伺いを立てておる」

「あなたはここの代官でありましょう。ならば、ご自身の判断で実施をお決めなさればよろしかろう。なぜ試す前から伺うのですか。それでは江戸も返答のしようがござらぬではありませぬか」

「な、なんだと。おまえは相馬藩の者であろう。陪臣の分際で、幕府直臣に意見を致すか。公儀には公儀のやり方というものがあるのだ。口をはさむでない。不愉快だ。とっとと帰ってくれ」

 高慶の無礼に、総左右衛門は怒り心頭に発した。

 すぐに代官所に金次郎を呼び出して、厳しく灸を据えた。

「それは、それは。私の門弟が大変な失礼を致しました。お許し下され」 

 金次郎は丁重に詫びてその場を辞した。

 帰宅してから、すぐに富田高慶を呼び、静かに諭した。

「わしのためを思って掛け合ってくれたのはありがたい。だが、それは道を開こうとして、かえって道を閉ざすものだ」

「申し訳ございません、先生。あまりにも代官が優柔不断なので、ついつい詰問調になってしまいました」

「そうであったか。たしかに天下の幕領ならば、役人もしっかりしていると思っていたが、とんでもないことであったな。これなら諸藩のほうがまだましというものだ」

「まったくその通りでございます」

「だがな、高慶よ。ズー体が大きければ、血の巡りも悪くなる。わしも速やかなることを求めすぎていたようだ。仕法が頓挫したのもこれまた天命。しばらくは力を貯めよという天の御意思であろう」

「はあ」

「今まで桜町の数千石の領地から始まり、烏山藩四万石、細川藩一万六千石、そして下館藩二万石と、数万石程度の諸侯の仕法を手掛けてきた」

「はい」

「この程度ならば、わし一人の力でも十分やっていくことができた。だが、これからは違うぞ。幕府八百万石が相手だ」

「桁が違いまするな」

「自分の代ではとてもやり尽くすことはできぬだろう。息子や弟子たちに後事を託さねばならない。そのことも考えねばならぬということだ。天が私に時間を下さったのだ」

「そうでございますね。是非力を貯めましょう。先生は物事をいつも良い方に解釈なさいますね。私も見習わなければ」

「いやいや、わしも弱い人間だ。皆に助けられてこうして今があるのだ」

「微力ながら私も先生の持っている全てを吸収して、万民のために尽くしとう存じます。何なりとお役目をお与え下さい」

「そうか、ありがとうよ。そこでだ、高慶。実は今、わしは仕法の雛形を作ろうと思っているのだ」

「雛形・・・、と申されますと?」

「仕法の手引書のことだ。この数十年における仕法の実践の中で、わしは貴重な知識を得てきた。それらの知識や工夫を文書として残したいのだ」

「それは良うございます。是非作りましょう。どうか私にも手伝わせて下さい」

「もちろんだ。五年かかるか十年かかるか。何とか余命のあるうちに成し遂げたいものだが」

「え、それほどの大仕事でございますか。ならば、とても私一人では助けになりません。皆を呼び集めましょう。菅谷八郎衛門、衣笠兵大夫、それに斉藤高行も。二十人や三十人の弟子たちはすぐに集まるでしょう。総掛かりでやれば、数年のうちに完成させることができまする」

「そうだな。ありがとうよ」

「そうと決まれば、どこかに広い家屋敷を借りなければなりませぬな。しかし、ここ真岡では代官がお許しになるかどうか・・・」

「そのことよ。かりにも私は真岡代官の配下で幕府の禄を食む身だ。勝手に時間を費やすことはできない。まあ、速やかなることを欲するなかれだ。きっとそのうちに機会が訪れることだろう。その時のために準備だけはしておこう」

 それからしばらくして、幕府より金次郎に対して日光御神領再興目論見見分の命が下った。

 仕法をせよということではない。あくまでも目論見見分、すなわち事前調査の依頼である。金次郎の弟子たちが、しきりに真岡での仕法実行を迫るので、音を上げた代官が別の仕事を割り付けるように幕府に働きかけたのである。

 だが、金次郎はこれを逆手に取った。雛形作成に着手する格好の名目ができたのである。さっそく江戸に上り、上役の勘定方に上申した。

「私は二年前に幕臣に取り立てていただきました。それ以来、利根川分水路の工事、さらに真岡天領の再興のお役目を任されました。その度に、長大な復命書を作成し、御報告申し上げました」

「うむ。存じておる」

「この度、また、日光領の興し直しの御命令を受けましたが、今回は現地を見ずしてお役目を果たしとう存じます」

「現地を見ない・・・。それはどういうことじゃ?」

「はい。と申しますのは、利根川、真岡、そしてこの日光と、いずれが対象であっても、仕法の根本は皆同じだということであります。利根川用の仕法、真岡用の仕法というものがあるわけではございません。ですから、日光の地を見るまでもなく、計画書を書き上げることができるのでございます。是非とも万世に腐朽しない仕法の真髄を形にしたいと存じます」

「現地を見ずに見分ができると申すか。まあ、それもよかろう。きちんとした目論見書を提出できるのならばな。そちの望むようにせよ」

 所詮十日もあればできるであろう繋ぎの仕事と思った上役は、あまり考えもせずに了承してしまった。

 だが、金次郎は江戸の芝に大きな屋敷を借りると、どっしりと腰を落ち着けて著作に取りかかった。

 弟子二十一人を集めて、連日の缶詰作業である。門の外には面会謝絶の立て看板まで立てるほどの念の入れようであった。

 数日で復命書が上がってくると思っていた勘定方は、一ヶ月経っても二ヶ月経っても何の報告もないので、いぶかって何度も催促に及んだ。だが金次郎は、あと少し待ってほしいとのらりくらりとかわすだけである。

 結局、全ての仕法雛形が完成したのは、二年三ヶ月後であった。その内訳は次のとおりである。

 ・概説一巻

 ・目録一巻

 ・複利積立法六巻

 ・荒地開発法二十四巻

 ・無利息貸付金法四十二巻

 ・仕法入用書四巻

 ・日掛縄索法六巻

 これで計八十四巻である。

 一巻出来上がる度に、弟子たち全員で読み合わせを行い、内容の充実を図った。このことは弟子たちによるノウハウの共有にもつながり、一石二鳥のことであった。酒をそれほど好まない金次郎も、この時だけは弟子たちとの談論を楽しんだ。

 ある時も、浦賀沖に現れた異国船のことで話が盛り上がった。いわゆるモリソン号事件のことである。この時幕府は、大胆にも大砲を発して攘夷を実行している。

「先生は幕府の処置をどのように思われますか?」

 弟子の一人が尋ねた。

「そうだな・・・」

「そもそも先生は開国論ですか、それとも攘夷論ですか?」

「ほう、ずばりと聞いて来たな。それでは逆に聞こう。なぜ異国船が、はるか地球の裏側から波濤を越えてこの日本にやって来たと思うか?」

「さて・・・」

 一同は考え込んでしまった。

「それはこの国が豊かだからだ。いにしえの時代、儒仏二道が日本にやってきたのもそのためだ。昔々日本は神国であった。それが天竺から仏教が、そして中国からは儒教が海を渡ってやってきた。これらを日本は受け入れた。日本は豊芦原瑞穂の国、金や穀物が豊かである。だから余裕もあったし、またそれだけ度量が広かったのだ。今、こうして南蛮の国からたくさんの人がやって来るのも、この国の富を目指してのことだ。我々はこれを拒んではならぬ」

「なるほど。日本の豊かさを南蛮人たちに分け与えるのですね」

「そうだ、それも推譲だ。仕法の余徳を全世界へ拡げるのだ」

 ペリー来航の十年以上も前、攘夷論が全国をおおっていた時代に、開国論を明確に口にした金次郎の眼力には、まったく驚かざるを得ない。

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