付録1 桜町紀行

  ・・・(前略)

 専修寺の二km北に、二宮尊徳の桜町陣屋(昭和七年国指定史跡)がある。

尊徳というと刻苦勉励のイメージがあるが、実は封建社会の江戸時代にあって、最も進歩的な考えを持って荒廃した農村の復興に当たった人物である。

 桜町陣屋は、一八二二年から二十六年間、尊徳が三十七才の時から六十二才で東郷陣屋に移住するまで居住した所である。一介の貧しい農民の出でありながら、小田原藩主の命を受けて、ここで農村の復興に当たった。ここ下野の国の桜町領を出発点にして、次々と荒村の立て直しに手を付け、最終的には関東周辺の十一ヶ国にまで復興の手は及んだ。

 彼の経営立て直しの方法論は、弟子百人の助けを借りながら、二年がかりで「尊徳仕法」という全八十四巻のマニュアルにまとめられた。しかし、幕末維新という激動の波の中で、彼の偉業は埋没してしまい、その数十年後、戦意高揚の道具として利用されるという、おそらく彼としては不本意な結果になってしまった。

 桜町陣屋は、藁葺き屋根の農家のような建物であった。三十畳のスペースを五つの部屋に区切って、政務と生活との共用の場としていたらしい。もっとも、これだけの設備でやっていたわけではない。当時最盛期には百二十三棟もの建物があったというから、陣屋は郡役所のような機能を有していたのであろう。

敷地も周囲に高さ1m半ほどの土塁をめぐらせており、池や濠も一部現存しているから、それなりの威厳は保っていたのであろう。

 陣屋の縁側でしばし冬の夕日を浴びながら、尊徳の苦難を思う。直属の上司とそりが合わず、出社拒否症になったこともあった。しかし、今は神となり、各地の報徳神社に祭られている。

 土塁の上には桜の木が連続して植えられていた。四月の花の頃はさぞかし華やかであろう。今度は是非花見のシーズンに来たいものだ。

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