第三章 回帰

 

(1)不死鳥

「何者だ。こんな夜更けに何の用だ」

 信長の枕元に黒い影が走った。とっさに飛び起きて、小刀を取る。

「無礼者、名を名乗れ」

 黒装束の男が斬りかかってきたのを、すんでのところでかわす。刀と刀がぶつかり合って火花が散った。二度三度と斬り合ったが、討ち取れぬと見て男はすばやく庭の闇の中に消えていった。

 単なる物取りではない。身のこなし、足の速さ、間違いなく忍者である。自分が織田信長と知っての襲撃であろう。

〈もはや自分の生存を知っている人間がいるのか〉

〈それはいったい誰だ?〉

〈忍者を扱える有力大名といえば・・・〉

〈光秀か?〉

〈いや、あいつは忍者など当てにはせぬ。ではいったい誰なのだ?〉

〈うー、わからぬ〉

 信長は髪を掻きむしって呻いた。

〈それにしても、どうして知れてしまったのだろう。自分は今まで足を傷めていて、この屋敷の外には全く出ていない。自分でさえ、自分が信長だとやっと今分ったのに、いったい誰が自分をとらえているのか?〉

 信長としては、ぐずぐずしている訳にはいかなくなった。自分の存在が知れてしまった今、このままじっとしていては即座に命が危うくなるからである。しかし、どうすればよいのか?

〈お藤の話では、毛利が攻めて来ると言う。ということは、秀吉は敗れたのか〉

〈それよりも光秀の動きはどうなっているのであろうか。おそらくわしは本能寺で死んだことになっているのであろう〉

〈それに、長男の信忠はどうした?〉

〈光秀に討ち取られてしまったのか。ということは、光秀の天下となったのか。次男の信雄はどうした。それに三男の信孝と丹羽長秀は〉

〈光秀の天下だとすると、この高槻も光秀の勢力下にあるのか。高山右近は光秀に組しているのか〉

 いずれにしても今の状況を把握しなければ、動きようがない。かといって自らが情報を収集するのは危険極まりないことである。とすれば、とりあえず成田屋を頼るほかはなかった。

 信長は、主人が見舞いに訪れた機会をとらえて探りを入れてみた。

「成田屋殿、すっかりお世話になりっぱなしで、この御恩はいつかお返しさせていただきたい」

「いえいえ、困った時はお互い様でございます。私どもは、ただゼウス様の教えに従っているだけでございます。それよりも、傷の具合はいかがでございますか?」

「おかげさまで、やっと少し歩けるようになり申した。この二ヶ月の間に、世の中も随分変わったようで、なんだか浦島太郎のような気分でござる」

「左様でございます。京で大事件がありまして。織田信長様が明智光秀様に討たれたのでございます。下克上の世の中とはいえ、恐ろしいことになりました」

「光秀、いや明智殿は天下統一をなされましょうか?」

「そうなってもらえるとありがたいのですが。明智様は商人を大事にして下さいます。京の町衆は、こぞって明智様を後押ししています。しかし、西には木下様を討ち取った毛利様もいます。簡単には明智様の天下にはなりますまい」

「今、明智殿は、毛利と戦っているのでござるか?」

「いや、何でも近江を平定したその足で、美濃に向かわれたとか」

「では、当然この御城下にも動員がかかっているのでござろうな。高山右近殿も美濃に出陣なさっておりまするのか」

「いや、そんな話はございません。もし遠征に行かれるのでしたら、私どもにも舟の徴発がございます。しかし、いまだ御命令をいただいておりませんので、高山様はこの御城下におられるはずですが」

「織田方の諸将はどうなったのでござろうか。明智殿を討ちにやってくるのか。北陸の柴田、関東の滝川、東海の徳川、皆ひとかどの武将と聞いておるが」

「さあ、私どもは京・大坂間の油の輸送を取り扱う一商人に過ぎませぬ。他国の情勢はなかなか分りません。今度堺に寄ったついでに確かな話を仕入れて参りましょう」

 情報の乏しさに信長は焦った。ただ分っているのは、自分が容易ならざる事態に追い込まれているということだ。このまま無為に時間を失っていてはますます状況は悪化するばかりであるということだ。取るべき道は一つしかない。

 信長は、思い切って高山右近を頼ることとした。この二ヶ月間、彼は成田屋親子の温かいもてなしを存分に受けた。それは、彼らがキリシタンだからではなかろうか。

 信長は、キリシタン大名である高山右近の良心に賭けた。謀反人には決して味方しないだろうと踏んだのだ。

 彼は、右近に手紙を送ることにした。といっても、どうやって渡すか?

 ここでも、やはり成田屋が頼みの綱であった。

「成田屋殿、私の傷もすっかり癒えました。しかし、自分がどこの誰であるのか、今もって分りません。もしかしたら、この城下に私のことを知っておる者が居るかもしれませぬ。一度高槻城に登ってみようと思いますので、この書状をどなたか然るべきお方にお渡し願えないでしょうか」

「左様でございますか。明日、ちょうど商人組合の寄り合いで、御家老様にお目にかかります。なに、いつもの付け届けでございます。その時に頼んで見ましょう」

 とりあえず、幸運にもつてがあったが、それでも一商人に託した書状を一国一城の主に届けるのは容易なことではない。

 ところが、この時ものをいったのは、肌身離さず持っていた彼の朱印である。信長は美濃の岐阜に城下を移して以来、天下布武の朱印を各種発給文書に使用していた。今回の本能寺脱出行でも、これだけは忘れずに持ち出したのである。

 書状は家老からすぐに高山右近の手に渡った。

果して、その手紙を受け取った右近は驚愕した。まぎれもない信長の朱印と花押(サイン)である。すぐに使いを遣し、高槻城に信長を招じ入れた。

「よくぞ、ご無事で・・・」

「右近、久しぶりだな。ちゃんと足があるだろう」

「はい、幽霊ではございませぬ」

 右近は、笑いながら涙をこぼした。

「これからわしは一体何を致せばよいかの」

「まずはごゆるりとお休み下さいませ。この高槻城は摂津一の堅城、備えも万全でござりまする」

「ここの手勢はいかほどじゃ」

「二千は優におりまする」

「二千か。光秀に攻められたらひとたまりもないな」

「いや、皆一騎当千の強者ばかりでございます。安心して養生下さりませ。これより諸国に伝令を発し、光秀討伐の兵を挙げましょう」

「いや、早まるでない。わしがここにいることは極秘じゃ。光秀や毛利に知れたら大変なことになる。しばらくは様子を見ることにしよう」

「は、承知つかまつりました。何かご注文がございましたなら何なりとお申し付けくださりませ」

「そうだな。まず何はともあれ、諸国の情勢を知りたい。草の者、堺の商人らをすぐに呼び寄せてくれ」

「はは」

「それから・・・」

「はい、何なりと仰せ下さりませ」

「オルガンを聞かせてもらおうか。先ほど通った広間にあったやつをな」

 信長の考えていた通り、右近は、表面上は光秀に従っている姿勢を取りながら、実際には光秀に対抗すべく、籠城の準備を進めていた。

光秀が摂津の諸大名から人質も取らずに東の美濃に向かったのは、彼らが自分の組下大名であるという安心感からとはいえ、軽率な行いであった。

  ともあれ、ここに信長はよみがえったのである。

 

(2)光秀驚愕

 美濃に軍を進めた明智光秀は、たちまちのうちに大垣城と岐阜城を制圧し、西美濃一帯を手中に納めた。斉藤家の旧臣が光秀に呼応して一斉に蜂起したため、これを後押しする形で、あっという間に平定することができたのである。

 光秀はさらに東美濃へと向かった。ここには信濃川中島の海津城から舞い戻っていた森長可がいて、本拠金山城で抵抗の姿勢を見せていた。

 この時、金山城に向かう光秀のもとに思いもかけない人物が現れた。安国寺恵瓊である。彼は、僧侶でありながら、毛利の外交をつかさどる軍師のような役割も果たしていた。

 毛利の智将小早川隆景は、備中高松城後詰めの陣中において、信長の生存を忍者の働きによって知ってから、今までの守勢の姿勢を改め、積極的に天下を目指す戦略を立てていた。その戦略に則って、安国寺恵瓊を光秀のもとに遣したのである。

「ようこそおいで下された。備前での毛利殿の大勝利、祝着至極に存じ上げる。これで羽柴秀吉も二度と立ち上がれますまい」

「明智様もお元気の様子で何よりでございます」

「毛利殿は西から、私どもは東から、ともに手を携えて新しい日本国を作って参りましょう」

「わははは、明智殿はもう天下を取ったつもりでおられるようですな。実は今日拙僧がここに参りましたのは、明智殿の窮地をお救いするためでございます」

「窮地とは異な事を。手前どもの軍勢は向かうところ敵無し、いたって上げ潮でござる。助けるとは、ちと無礼でござろう」

「いやいや、明智殿、しくじりましたな。信長は生きておりますぞ」

「な、なに?・・・」

「今頃は、おそらく高槻城に入城されている頃かと存じまする」

「ま、まさか・・・」

「手前どもの忍びの者が高槻市中に潜んでいるのをしかと確かめておりまする。命を奪おうと夜陰に乗じて襲いましたが、討ち損じてしまいました。慌てて高槻城内に逃げ込んだのでございましょう」

「そ、そんな馬鹿な・・・」

 恵瓊の伝えたことは、光秀にとって驚天動地のことであった。だが、思い当たる節がないでもなかった。

〈そう言えば、秀吉軍が大敗し、瀕死の状態で姫路城に息をひそめているというのに、毛利は一向にトドメを刺す気配がないではないか〉

〈池田恒興、高山右近、中川清秀の摂津組下大名の動きもおかしい。のらりくらりとしてなかなか人質を送ってよこさない。普通なら天下取りに一番近い自分に付くことが最も有利な選択のはずなのに〉

〈ということは・・・。やはり・・・、そうなのか・・・〉

 光秀は呻き、その場に座り込んでしまった。みるみる顔は青ざめ、腹が締め付けられるように痛んだ。本能寺で信長の死を十分に確認しなかったことを今さら悔やんだところでどうにもならない。

 放心して天を仰いでいる光秀に対し、恵瓊は励ますように言った。

「明智殿、落胆なされることはござらぬ。それがしは、主人小早川隆景より信長討滅の秘策を授かってきております」

「秘策・・・」

「はい、そのため、これより上杉景勝殿のもとへ参ります。明智殿はすぐに京にお戻りなされよ。京を信長に奪い返されてはなりませぬ」

 隆景の言うその秘策とはまったく奇想天外なものであったが、光秀を勇気付けるのに十分であった。光秀は恵瓊の献策に従い、すぐに京都に軍を引き揚げ、信長への備えを固めた。

 

(3)軍団の混乱

「親方様、右近にございます。今、堺より千利休殿が参られました」

「おう、そうか。待ちかねたぞ。すぐに合おう」

 信長は、旧知の豪商の来訪に、オルガンの鑑賞を中断した。

「ほんまに生きていらっしゃったのですな。たまげましたわ」

 利休は、おどけた挨拶をした。

「おう、わしは不死身じゃ。ただし、このことは内密にな。で、さっそく諸国の情勢をありったけ教えてくれ」

 信長は、身を乗り出すようにして利休に対面した。

「諸国とは、あまり無茶をおっしゃらんで下さりませ。京から大坂、堺あたりは庭ですよって、だいたいのことは分りますが。その先の遠国のことまでは・・・」

 そう言って、利休は差し出された茶をゆっくりと飲み干した。

「よいよい。では京、大坂のことを話せ」

「はい、承知いたしました。京は明智光秀殿が押えております。京都所司代にも光秀の重臣が任命されております」

「で、町の様子はどうじゃ」

「いたって平穏。朝廷や町衆も新しい領袖を受け入れておるようでございます」

「光秀め、只ではおかぬぞ。で、光秀は今京におるのか」

「さて・・・。はっきりとは存じませんが、京にはおられんでしょう。おそらく東に向かっているかと」

「東か。で、奴はどこまで手を伸ばしておるのだ」

「近江は間違いありませんやろ。安土城にも入ったと聞いておりますゆえ。その先の美濃はどうでっしゃろか」

「そうか。奴に近江坂本と丹波亀山を与えたのはまずかったのう。京の回りは、みな光秀の領地になっておる。まあ、致し方ないわ。よし、東は分った。次は大坂の様子を話せ」

「あら、大坂城には信孝殿がいらっしゃいますが。丹羽長秀殿もご一緒です。ご存知では?」

「ああ、一応右近から聞いた。信澄を殺して立て籠ったのだな」

「はい、左様で」

「信澄は、わしの甥ぞ。なにゆえ、そのようなことを」

「はあ。信澄殿は光秀の娘婿でもありまする。蜂起を未然に防ぐためだったのでございましょう」

 高山右近が取りなした。

「しかし、信孝と長秀は三万の大軍を擁していたはずだ。信澄の相手などしておらずに、なぜに光秀を討たぬ」

「いや、それは無理でっしゃろ。なんせ、大半の部隊は、四国攻めのため、阿波に向かって渡海した後でございました。この利休が船の手配も請け負いましたので、この辺の事情はよう分っております。和泉に残っていたのは、総大将織田信孝様の本隊五千と丹羽長秀様の三千のみで」

「ということは、わしが本能寺から向かった大坂には、味方の兵は八千しかいなかったということか」

「はい、そのようで」

「しかし諸将たちの中で、本能寺の変を最も早く知ったのは、この二人であろう。八千でもよい。なぜすぐに京に駆けつけなかったのだ」

「いえ、もちろん京に向かいました。岸和田にいた丹羽長秀殿は、光秀謀反の報に接して、急ぎ上洛しようとしたようでございます。しかし、摂津守口で親方様と信忠様の自刃を知り、一旦は大坂城に入ったということのようで」

「長秀の本領は近江佐和山か。三千の手勢では敵中を突破して近江に帰ることは叶うまいな。それで、大坂か」

「左様で」

「で、肝心の信孝はどうした」

「信孝様は、八十騎を率いて住吉から大坂城へ合流なさったようにございます」

「なに、八十だと。それはどういうことだ。信孝の軍は、元々五千余りの筈」

「さて・・・」

「遠慮せずに有り体に申せ。本能寺の変のことが陣内に広まると、軍兵はどこへともなく四散してしまった。と、そういうことか」

「はて・・・。まあ、そんなところでっしゃろか」

「信孝め、なんと情けない奴じゃ。たわけ者」

 織田信孝は、信長の三男ではあるが、すでに長男の信忠が信長の後継者と定められていたため、早くから北伊勢の豪族神戸具盛の養子に出されていた。したがって、信長、信忠亡き後の、正規の織田家跡取りの資格があるとは見られていなかった。そのため、信孝は配下の武将を引き付ける求心力に乏しく、危難の時にあたって逃亡者の続出を招いてしまったのである。

「しかし、なにも信澄を討つことはあるまいに。そうであろう、右近よ」

「はあ。織田信澄殿は、同じ大坂城内の千貫櫓にいたところを攻められて自刃なさったとか」

「信澄は、わしの甥であるぞ。あらぬ疑惑の目を向けられたとは。まったく無念のことであったろうな」

「はい。左様で」

「信孝も長秀もまったく早まったことをしたものだ。光秀に一矢も報いずに、ただただ大坂城に籠るよりないとは、まったく情けない奴らだ」

 信長は大きく溜め息をついた。

「それで右近よ。信孝と長秀はいつこちらに合流するのだ」

「はい、それが・・・。わが家臣に親方様の書状を持たせ、大坂に遣りましたが、返答がございませぬ」

「返事がない? 目と鼻の先の大坂にいるのに、なぜ信孝は高槻に参らぬのだ」

「策謀と見たのか、こちらの求めに応じませぬ」

「何と、よくよくのたわけ者じゃな。わしの花押を見忘れたか」

「この右近は明智光秀の組下なれば、信孝様がお疑いなさるのも無理からぬところかと」

 このやり取りを聞いていた利休が引き取った。

「では、私が帰りに立ち寄ってよくよく説いて参りましょう」

「うむ、そうか。済まぬが骨を折ってくれ」

「心得ました」

「ところで西国の様子はどうじゃ。利休は何か知っておるか。秀吉はどうしておる」

「それが、その・・・」

「やはり秀吉は毛利に敗れたのか。姫路から右近に救援の催促が来ていると聞いているが」

「はい。宇喜多の裏切りが痛かったですわ。姫路城は毛利方に囲まれて、落城は免れぬとのもっぱらの噂にございますな」

「秀吉にはすぐにでも後詰めをしてやりたいところだが・・・。東の様子が分らぬことには・・・」

 信長は唇を噛んだ。そして、右近の顔をうらめしそうに見やった。

「それは今少しお待ちくださりませ。まもなく手の者が帰って参りましょう」

 高山右近は、あまり忍者を使うことを好まなかったが、本能寺の変後は各地に細作を放って、情報収集に努めていた。

「そうか、待つしかあるまいな。秀吉にはとんだ災難が降りかかったものだ」

 翌々日、近江の草津から、右近の放っていた忍びの者が、高槻に帰ってきた。草津は、東海道、中山道、北国街道の交わる交通の要衝である。全国各地の草の者がつなぎを付けるには恰好の地、いわば情報の結節点であった。

「すぐに話を聞こう」

 忍びの者が信長の御前に呼び寄せられた。

「では、まず北国の情勢からお話つかまつる」

「うむ」

「上杉景勝攻略中の佐々成政、前田利家、佐久間盛政、柴田勝家の諸将は、皆本城に立ち戻っております」

「成政は富山城、利家は能登七尾城だな。盛政は金沢で、勝家も越前北ノ庄であったな」

「はい、その通りで」

「たしか、奴らは上杉方の越中魚津城を包囲していたはずだが」

「ええ。敵をほとんど落城寸前まで追い詰めましたものの、親方様の報を聞いて、一転それぞれの本拠へ撤退いたしました」

「そうか、逃げ足の素早いことだ」

「報が届いてから全員三日以内に撤退を終えたよし」

  信長死すの報は、各地にいた織田軍団の諸将に少なからぬ動揺を与えた。戦国のこの時代、強力な政治力を持ったリーダが存在しなくなると、それまで抑えられていた悪党や暴民どもが一斉に蜂起し、略奪・暴行をほしいままにするのが常であった。したがって、たとえ信長の有力武将といえども身の危険を感じないわけにはいかなかったのだ。

 こういう場合、彼らにとって身の安全を図る最も有効な方策は、自分の本拠地に帰ることである。

「そう言えば、森長可も信濃口から上杉を攻めていたはずだが」

 信長はさらに話を続けた。

「はい。海津城主森長可殿も、早速本領の美濃金山城に戻られました。すでに本能寺の変は周囲にも知れ、信濃でも武田の旧臣による一揆が勃発しております」

「弟の蘭丸、力丸、坊丸が討ち死にしたということは長可に届いているのであろうか」

「はあ、そこまでは、しかとは・・・」

「そうか。ところで、信濃と言えば、滝川一益はどうした。奴には上野一国と信濃の佐久、小県二郡を任せておいたが」

「滝川一益殿は、上野の厩橋城におられましたが、やはり本領の伊勢長島へ帰ろうとなさいました。ところが、北条に裏切られ、途中上野と武蔵の境を流れる神流川で、氏直の本隊と戦い、大敗を喫してしまいました」

「北条が裏切ったか。氏政は、わしとともに武田勝頼を攻めたではないか。なかば同盟関係にあったのにな」

「一益殿は、北条領の武蔵、相模を通って、東海道経由で長島に帰るつもりだったものと存じまする」

「当然領内を通してもらえると思っていたのに、不意打ちを食らったというわけか」

「はい、左様で」

「しかし、一益も歴戦の強者、軍勢も千や二千ではなかったのであろう」

「一万八千と聞き及んでおります。しかし、本能寺の報で浮き足立っている軍勢は、氏直の大軍の前に算を乱してしまったものと心得まする」

「それで一益は死んだのか」

「いえ、何とか命だけは。来た道を引き返し、今度は碓井峠越えの中山道を通って、ほうほうの体で伊勢長島に帰り着いたよし」

「そうか、今は長島にいるのか・・・。信濃の隣の甲斐はどうじゃ。河尻秀隆がいたであろう。秀隆には武田の遺領甲斐四郡と信濃一郡を与えておったが」

「河尻秀隆殿は一揆勢に殺られました。親方様急死の報が広まるにつれ、各地で武田遺臣による一揆が起こりまして」

「そうか・・・。やつは死んだか」

「徳川家康殿が加勢する旨の使者を送りましたが、秀隆殿は疑心暗鬼から逆に使者を殺してしまったよし」

「家康のことだ。助太刀すると言いながら陰では一揆勢を扇動したのではないか。あわよくば甲斐・信濃を掌中にしようと画策していたのであろう」

「秀隆殿は、本能寺の変から半月後、美濃への撤収途中、ついに武田の遺臣三井十右衛門に首を切られました」

「それはかわいそうなことをしたな。それで、その家康は健在ということか」

「はい。徳川家康殿も九死に一生を得た口でございます」

「たしか泉州堺を見物していたはずだが」

「はい。まさにその最中に本能寺の変を知ったようで。わずか三十名の供回りを連れて伊賀越えをなさいました」

「伊賀を抜けたか。それは難儀であったろう」

「家康殿と一緒に堺に同行していた穴山梅雪殿は、たった一刻遅れたために宇治の田原で一揆勢に殺されました。家康殿は、本能寺の変の翌々日には無事三河の岡崎城にたどり着いたようにございます」

「そうか、家康め。運の強い奴じゃ。奴からは目が離せぬな。いずれにしても、諸将は皆本領にて息をひそめているというわけか。それで、光秀の動きは何かつかめたか」

「はい。光秀の本隊は、美濃を引き揚げ、京に戻りつつあるところかと」

「そうか。それで兵力はいかほどじゃ」

「しかとは存じませぬが・・・。数万かと」

「うむ。いよいよだな。備えをせねばなるまいな。右近も頼んだぞ」

「はは」

 右近は、信長の前に額づいた。

 信長は天を仰ぎ、ふーと大きく息を吐いた。

 

(4)信長始動

 信長が高槻に入城して十日後、大変うれしいことがあった。森蘭丸とヤスケに再会できたのである。

 彼らは、信長を見失ってから失意のうちにあちこちさまよい歩いていた。そして、いつしかやはり高槻の城下に入り、キリシタンの教会に隠れていたのである。

「親方様、探しました。毎日、毎日・・・」

 蘭丸もヤスケも涙でくしゃくしゃである。

「おまえたちも無事で何よりだ。力丸と坊丸にはかわいそうなことをしたな」

「いえ、親方様が生きていたことで、弟たちの死も無駄ではございません。きっと喜んでいると思います」

「また一からやり直しだな。頼むぞ」

 信長の目からも光るものが落ちていた。

「蘭丸、ではさっそく戦評定じゃ」

「はい。うれしゅうございます」

「光秀がすぐ目の前まで迫っておるからな」

「しかし、光秀は、親方様が生きておられることを知っておりましょうや」

「さあ、どうかな。だが、わしが襲われたということは、生存を知っている者がいるということだ。それが誰なのか・・・」

「備えを固めねばなりませぬな」

「おう。すでに摂津の諸将には書状をしたためた。大坂にいる信孝と丹羽長秀には全兵を率いて高槻に参上するように命じてある」

 本能寺の変の直後には散り散りになっていた信孝の軍は、四国から戻ってきた兵を回収して、この時には元の半分程度の七千にまで回復していた。丹羽長秀の軍も同様に六千にまで増え、合わせると結構な軍勢になっていた。

「それから、隣の茨木城からは、中川清秀が兵二千を連れて参った。昨日のことじゃ」

「それはようございました。万を越える軍勢が高槻に集結しましたな。これで何とか光秀に対抗できましょう」

「うむ。まあそうだが。だが、わしの懸念は秀吉じゃ」

「毛利と宇喜多二万の大軍に城を包囲されて、風前の灯火とのもっぱらの噂でございますが」

「そのようだな。そこでだ。伊丹にいる池田恒興をして、姫路に行かせようと思う」

「それはよき策。恒興殿なら安心でございますな。尾張時代から親方様にお仕えしておりますゆえ」

「何としてでも毛利の東進を食い止めねばならん」

「はい。光秀と呼応して東西から挟み撃ちにされてはたまりませぬ」

「そこでだ。蘭丸、済まぬが伊丹に使いに立ってくれまいか」

「もちろんでございます。さっそく親方様のお役に立てて、この蘭丸、うれしゅうございます」

 姫路城は天然の要害であり、秀吉はなんとか持ちこたえてはいたものの、日々の兵糧にもこと欠くようになっていた。というのも、秀吉は備中高松城を水攻めにするために、ほとんど全ての兵糧と軍資金を使い果たしていたからである。

 池田恒興は、秀吉から何度も救援の依頼を受けたが、彼も光秀に付くか、秀吉に付くか迷っており、秀吉の期待に応えないまま情勢を窺っていた。そんな折りに、死んだはずの信長からの指図状が直接蘭丸の手によって届けられたため、一も二もなく姫路に向かったのである。

「池田恒興殿の加勢で、姫路の囲みが解けました」

 森蘭丸が戻ってきて信長に報告した。

「そうか、それは上々。それで毛利方はどうした。撤退したのか」

「それがどうも。二手に分かれたようでございます。本隊は姫路の西に野陣を張っておりますが、吉川元春の別部隊が離脱し、北に向かったようにございます」

「北というと・・・。はあ、さては因幡に向かったか」

 小早川氏と吉川氏を毛利の両川(りょうせん)と言い習わしているが、小早川氏は山陽を、吉川氏は山陰を受け持って毛利は勢力を拡大してきた。

 その吉川氏だが、前年羽柴秀吉の兵糧攻めにより、鳥取城の吉川経家が切腹の憂き目にあっている。

「吉川勢は復讐の念に燃えておりましょうな」

「おう、そうだな。その思いが元春を北上させたのであろう」

「何としても鳥取城を奪い返そうといたしましょう」

「うむ。宮部は踏みこたえられるかのう・・・」

 この時、鳥取城は宮部継潤が守っていたが、秀吉との連絡が途絶えてほとんど孤立状態であった。継潤は元々近江の出身であったが、鳥取から近江への道の途中には光秀の本国丹波があるため、本領に帰るに帰れず、ただ鳥取城の堅塁に頼って一人心細い思いで立て籠っていたのである。

 そんな時に、突然吉川元春の大軍に攻めたてられたものだからたまらない。宮部継潤の軍は、先を争って隣国但馬目指して遁走していった。

 その知らせは、すぐに信長の元に届いた。

「なに、因幡を取り返されたか。まずいことになったな。但馬は出払っておるからな。毛利が、丹波の光秀とつながっては、丹後の細川は干上がるぞ。完全な死に石じゃ」

 もし、但馬が毛利の手に落ちるようなことになると、その隣国にあって反光秀を表明している丹後の細川藤孝・忠興父子が完全に孤立し、光秀側になびく恐れがある。したがって、但馬は細川を味方に付けておくために死守すべき最後の防衛線と言ってよかった。

「ただちに秀吉に使いを出せ。弟の秀長を出石に帰陣させるのだ。代わりに中川清秀の部隊を増援する」

 信長は、再び蘭丸を使者として送り出した。

 出石(いづし)は、羽柴秀長の本領但馬十二万石の本城である。是が非でも但馬で敵の侵攻を食い止めなければならない。

 出石城に入った秀長は、宮部継潤の敗軍を収容すると固く城門を閉ざした。背後の細川から補給が受けられるので、籠城戦に持ち込むことにしたのである。吉川勢も無理攻めは控え、こちらも膠着状態となった。

「何とか毛利を食い止められる目途がついたな」

 信長は、蘭丸からの報告を聞いて一安心した。

「山陽道姫路と山陰道出石を結んで、線が引かれました」

「うむ、それでよい。西はなんとか踏み止まったな。さて、今度は東だが・・・」

「信雄様はどうなさっておられるでしょう。それから柴田様は・・・」

 東方については、山城・近江はもちろん、大和も光秀の勢力下にあり、伊賀にいる信長の次男信雄や、越前の柴田勝家にも書状を出すことは断念せざるを得なかった。万一使者が光秀側に捕らえられて、信長の生存が明るみに出るようなことになると、光秀が大軍を催して高槻を衝く恐れがあるからである。今、光秀の大軍と戦うのは極めて不利なのである。

 信長は、困難な形勢を打開するために、紀伊にいる意外な人物に接触を始めた。

 

(5)三国軍事同盟

「康助、ただいま甲斐より戻りましてございます」

 高槻城の信長の寝所に、一つの黒い影が舞い降りた。

「おう、康助か。待ちかねたぞ。お前がここに来たということは、やっとわしの手の者に繋ぎがついたということだな」

「はい。暗号の文が私めの所へも参りました。草津から発せられたものでございます」

「そうか。右近の忍びがうまくやってくれたのだな」

 康助は、信長が家康監視のため、浜松に放っていた草の者である。

「しかし、やはり親方様はご無事で。私も生きておられると信じておりました」

「うむ。それで家康の動きは何かつかめたか」

「はい、もちろんでございます」

「では、さっそく聞かせてもらおうか」

「はい。家康が命からがら堺を脱出し、三河岡崎に帰り着いたことはご存知でございますか」

「おう。その後の動きが知りたい」

「家康はすぐに軍を動かすことはせず、じっと様子をうかがっておりました」

「ふむ。奴らしい」

「そのうち、光秀が破竹の勢いで近江・美濃に進軍したのをみて、反対に甲斐に向かいました」

「光秀とまともにぶつかるのを避けたのだな。甲斐には、河尻秀隆がいたであろう。一揆勢に殺されたと聞いておるが」

「はい。家康は、表では秀隆に援助を申し出るなど甘言を呈しながら、裏では密かに兵を送っておりました」

「一揆の徒を手なずけて、甲斐を我がものにしようという算段か」

「いかにも。しかし、この企みは秀隆殿に見透かされ、助力言上の使者は斬り捨てられてしまいました」

「だが、結局秀隆は美濃で武田旧臣の手によって殺されてしまった」

「その通りでございます」

「家康の工作は十分に効を奏したということか」

「残念ながら、そのようで。家康は、同じようにして、森長可様が去った後の信濃もまんまと経略せしめました」

「武田の遺領甲信二ヶ国をことごとく手中にしたか」

「左様で。現在の領国である三河、遠江、駿河と合わせ、五ヶ国百三十万石の大大名となり申した」

「うーむ、家康め。泥棒猫の真似をしおって。で、その後はどうなった。関東に向かったか」

「ご明察にございます。甲斐・信濃の仕置が済むと、さらに東に向かいました。滝川一益殿が去った後の上野に狙いを付けたものと存じます」

「西上野もやはり武田の旧領。同じ手口で柳の下のドジョウを狙いおったか」

「はい。しかし、上野には既に先客がおりました」

「北条氏直だな。奴は神流川の戦いで滝川一益を大敗させたと聞いておるが」

「はい。氏直は、一益を追いながら上野一帯をことごとく平均致しました」

「それで、徳川と北条はぶつかったのか」

「いえ。上信国境の松井田で睨み合いを続けております」

「それは何日前の話だ」

「七日前でございます。忍びを一人松井田に残しておきました。動きがあれば、すぐに繋ぎがつくようになっております」

「そうか。御苦労であった。今後とも家康から目を離すなよ」

「心得ました」

 信長は、康助を返した後、再び床に入って今後の手立てに思いを巡らした。

〈東国で徳川と北条が潰し合いをするのは、もっけの幸いだ。西は毛利を食い止める目途が付いた。何とかこの間に光秀を叩いておきたいものだが〉

 だが、この時、信長の希望を打ち砕くような事態が松井田で進展していた。徳川、北条双方ともきっかけをつかめないまま、一月近くが過ぎ去ったある日、意外な人物が徳川家康の陣を訪れた。毛利の外交僧、あの安国寺恵瓊である。

「家康殿にはお変わりもなく祝着至極に存じ上げまする。この度は合戦のさなかの訪問、平にお許しあれ」

「遠路はるばるのお越し、かたじけのうござる。信長殿亡き後のこの争乱のおり、よくも御無事でここまでお越しになられましたな」

 家康は、敵の使者が西国からはるばる訪ねてきたことを不審に思っていた。

「拙者は僧の身なれば、案ずることもござりません。それよりも今、信長殿は亡きものと申されましたな」

「いかにも」

「さてさて、いかがでございましょう。信長殿はちゃんと生きておられますぞ。今ごろは摂津の国において軍勢を集めておられるところかと存じますが」

「今何と仰せられた。信長殿が生きているとは、まさか・・・」

「嘘偽りではございませぬ。我が方の手の者が、しかと確かめております。明智光秀殿もこれに備えるため、すみやかに京に舞い戻っております」

 家康は、信長生存と聞いて、全身から血の気が引くのを感じた。

〈とても信じられぬ・・・〉

 家康は絶句した。頭の中を様々な考えが巡り巡った。

〈確かに、光秀が急に美濃を引き払って京に帰ったことは細作から聞いている。まったく不可解な動きだと思っていたが、こういう理由があったればこそか〉

〈それにしても信長が生きていたとは何たることか〉

〈もう既に信長の領地であった甲斐・信濃に関して、侵略の限りを尽くしてしまった。どうにも申し開きのできることではない〉

〈これはとんでもないことになった〉

 家康は動揺を隠しきれなかった。顔が青ざめ、唇は震えていた。

 家康の狼狽を見透かして、恵瓊は言った。

「三河殿、信長殿と袂を分かちなされ。そして上杉・北条と和睦することです。拙僧がここへ参ったのも、三者の盟約を取り付けるためでござりまする」

「な、なんと・・・」

「もうすでに越後の上杉景勝様のところへ立ち寄って参りました。景勝殿はさすがに話の分るお方、即座に盟約を承知なさいました」

「そ、そんな、馬鹿な・・・」

「家康殿が承知くだされば、これから北条の陣に行って、話をまとめて参りましょう」

「ちょ、ちょっと待たれよ。少し時をいただきたい」

 家康は、そう言って水場に行き、瓶の水を柄杓で三杯飲んだ。さらに顔まで洗った。

 やっと落ち着いたところで、再び床几に腰を降ろし、恵瓊に対した。

「まずはお尋ねしたい。筋目を重んじるあの上杉景勝殿が、そんな誘いに乗るとは考えられぬ。証を示してくだされ。たしかに、我ら徳川と直接矛を交えたことは無かったとは言え、信長殿を大敵として憎んでおる上杉殿が、我らと手を結ぶなどということは・・・」

「いえ、景勝殿は承知なさいました。ここに証文もござります」

  そう言って、恵瓊は懐から巻物を出して広げた。

「ほう」

 家康は、一字一句食い入るようにして目を走らせた。

「上杉景勝殿にとっても、これは決して損な話ではござらぬ。信長の力に押しまくられておりましたからな。もし本当に徳川・北条と手を結ぶことができれば、これ以上の話はござるまい」

「うーむ・・・」

「そうなれば、後顧の憂い無く、越中、能登、加賀に軍を進められましょう。信長に対する今までの劣勢を一気に挽回できるというもの」

「しかし・・・。我らとの和睦はまだよいと致そう。だが、上杉殿が北条と和睦することなど、まったくあり得ぬことじゃ。前代の謙信と氏康の時代から、上杉と北条は不倶戴天の敵同士。常に関東の覇権をめぐって相争ってきた仲でござるぞ。遺恨が積み重なっておる。簡単に和を結ぶことなどできる筈もない」

「いや、そうではございませぬ」

「いやいや、謙信亡き後の跡目争いでも、景勝殿は北条の推す異母弟と戦ってこれを退けたばかりではないか。急に和睦と言っても空々しい」

「いえ、景勝殿は何もかも分っていただきました。よろしいですか、家康殿。これは関東や北国だけの話ではござりませぬ。日本国全体の行く末がかかっているのでございますぞ」

 恵瓊は諦めなかった。さらに必死の説得を続けた。

「東に信長に対抗する勢力ができれば、信長も今までのような勝手はできますまい。そうなれば、西の毛利も安泰でござる。中国三国志の諸葛孔明が立てた天下三分の計と同じでござる。是非にお願いたてまつる」

 毛利の外交僧恵瓊は、本能寺の変後、毛利の天下統一の野望を胸に秘め、諸国を行脚していた。

 まず、明智光秀に対し、信長が生きていることを明かし、京の備えを厳重にすべきことを献策した。

 次に上杉景勝のもとへ行き、光秀と呼応して柴田勝家を牽制するため、越中へ侵攻することを要望した。さらに重要な外交戦略、すなわち徳川及び北条との同盟を上杉景勝に認めさせたのである。

 毛利としては何としても東西から信長を挟撃する体勢を作らねばならなかった。そのためには、東側に反信長の勢力を結集させておく必要があったのだ。

 あまりの突然の申し出にすっかり混乱した様子の家康に対し、恵瓊はさらに追い打ちをかけた。

「三河殿はさんざん信長にこき使われてきたではござりませぬか」

「・・・」

「越前の朝倉攻めの時には、貴公を敦賀表に置き捨てにして、信長一人が一目散に京都に逃げ帰ったと聞いておりますが」

「う・・・」

「武田信玄との三方ヶ原の合戦でも、信長は申し訳程度の援兵しか送ってよこさなかったそうですな。姉川の合戦の時だって、朝倉の本隊と当てられて非常に危ない目に会ったそうではございませぬか」

「いや・・・」

「この先、信長に付いて行っても日の目は見ませんぞ。今こそ、信長と訣別する時です」

「そ、それは・・・」

「三河殿は、桶狭間の戦いのおり、今川から独立して運が開けましたな。今度は織田から離れることで、さらなる飛躍が望めるのではないですかな」

  恵瓊の再三の言葉に、家康はすっかり考え込んでしまった。

〈確かに信長の人使いは荒い。このまま信長に従えば、きっといつか北条攻めの先鋒を命ぜられるであろう〉

〈ここは人生の一大転機である。思い切って自立するなら、それは今しかない〉

〈それにせっかく手に入れた甲斐・信濃の二ヶ国を、今更返上する気にもなれない。自分は、三遠甲信駿五ヶ国、百三十万石の太守となったのだ。上杉謙信も北条氏康も、そして武田信玄さえもなし得なかった百万石の壁を、自分は越えることができたのだ〉

〈これまでに築き上げてきたものをむざむざ壊すことなどとてもできぬ。明智光秀がおり、毛利がいれば、信長とそれを取り巻く諸勢力は均衡が保たれるかもしれない〉

〈とすれば、ここは上杉・北条と手を握って、北と東からの脅威をなくしてから西の尾張、美濃、伊勢に進出することを考えた方が得策ではないのか〉

 そう考えた家康は、ついに意を決した。

「恵瓊殿、確かに承知致しました。上杉殿、北条殿と盟約を結びましょう」

「それは、ありがたきかな」

 恵瓊の顔が喜びの表情に変わった。

「ただし、あくまでも互いにそれぞれの領国に攻め入らないことを約するものに止めたい。相互に援軍を出し合うようなことは無しとさせていただきたい。上野の国は北条殿のもの、甲斐信濃の両国はこの家康のものということで和を結びましょう。恐れ入りますが、その旨お伝え願いたい」

 恵瓊は、家康の意外にすばやい決断に満足した。

「よくぞご同心いただけました。それでは、これより向いの北条氏直殿の陣に行って、話をまとめて参りましょう」

 北条氏直もこの話に全く異存は無かった。既に滝川一益の守っていた上野の国を奪取しており、この点では徳川家康と同罪であった。

それに、関東管領を名乗る上杉氏が和を結びたいと言ってきているということは、事実上、上杉は関東の支配権を放棄したということである。北と西からの脅威がなくなれば、悲願の関東制覇に向かって全力を注ぐことができる。

 この時、北条の勢力は相模、伊豆、武蔵、上野、下総にまで及んでいたが、上総と安房は里見氏の勢力範囲にあり、また下野と常陸はそれぞれ宇都宮氏や佐竹氏をはじめとする小豪族によって分割支配されていた。北条としては、この三国同盟を機に、一気に関東を平定することも夢ではなくなったのである。

 さて、こうして小早川隆景の思惑通り、日本の東半分を巻き込んだ大規模な反信長勢力が、ここに現出したのである。

 

(6)西国の動き

 信長は、この頃必死の情報収集に努めていた。特に目前の光秀の動きには敏感にならざるを得なかった。高槻には連日、細作からの知らせが届けられていた。

「光秀の軍勢の配置は、だいたいつかめたかな。のう、蘭丸よ」

「はい。本隊は京にざっと二万。あとは、近江の佐和山に兵五千、それと安土にも五千を留め置いております」

「総勢三万か」

「はい」

「佐和山の五千は、越前の柴田勝家に備えさせるためだとして・・・。安土にも五千を残すとはなにゆえかのう」

「おそらく蒲生賢秀殿を気にしておるのかと。近江の諸将が皆光秀に従う中で、賢秀殿だけが本拠の日野城に立て籠って、光秀には従っておりませぬ」

「いや。賢秀だけなら五千は多過ぎよう」

「はあ、それが・・・。賢秀殿は、伊賀にいる織田信雄様にも助けを求めておるようにございます。とても自分一人では光秀に抗しきれないと考えてのことでございましょう」

「なに、なぜそれを早く申さぬか。変な気遣いは無用じゃ」

「はあ。申し訳ございませぬ」

「それで、信雄は今どこにいるのだ」

「信雄様は、日野城の後背に当たる土山峠にて野陣を張っておられるやに聞いておりまする」

「土山峠だと。伊賀と近江の国境いではないか。兵はいかほどじゃ」

「一万ほどかと」

「たわけめ。一万もいて峠に陣しておるというのか。よくよくの能なしじゃ。どうしてわしの息子どもは、皆能なしばかりなのじゃ」

「はあ・・・」

「信雄はわしの次男ぞ。なぜ本能寺の変のすぐ後に、安土に入城して光秀を退治しなかったのだ。そうしていたら、わしの跡継ぎにしてやったものを」

 信長は、大きく息を吐いて天を仰いだ。

「だいたい親の敵を討とうとする気概に欠けておる。いつでも伊賀に逃げ帰れるように、安全な峠に腰を据えるとは」

「はあ・・・」

「まあ、愚痴を言っても始まらぬ。それよりも光秀のことじゃ。それで主力二万は勝竜寺城に入ったのだな。それにしてもずいぶんと兵が増えたものだ」

「さようでございますな。元は一万ほどだったと存じまするが。近江、美濃を平定したことで膨れ上がったのでございましょう」

「うむ。それに、わしが安土に残した莫大な軍資金がある。多くの浪人を抱え込んだに違いない」

「はい。しかし、お味方も一万余がこの高槻に集結しております」

「うむ。まあ、なんとか持ちこたえられるだろう」

 信長は、大絵地図を広げて、そこに敵味方の駒を並べていった。

そこへ四国からの知らせが入った。

「阿波から乱波が戻りました」

 高山右近が取り次いだ。

「お、そうか。すぐに通せ」

「は、心得ました」

 右近はすぐに乱波を連れてきた。

「御苦労。長曽我部元親はどうしておるかな。さっそくだが、本能寺の後から順を追って聞かせてもらおうか」

「はは、かしこまりました。本能寺の変により織田信孝様の軍の侵攻が中止となり、長曽我部元親は一旦本拠の土佐岡豊(おこう)城に戻りました」

「うむ」

「その二月後、準備万端整えた上で、大兵を阿波に入れました」

「ふむ、三好勢と決戦に及んだか。それでどうなった?」

「はい。元親方の大勝利にございます。八月二十八日、中富川の戦いで三好の総帥十河存保をさんざんに打ち破りました。その後、すぐに勝瑞城も攻略して阿波を制しました」

「そうか。本能寺の変なかりせば、我が軍の前にきっとなすすべなく破れ去ったであろうにな。運の強い奴じゃ。それで、その後どうなった」

「この時より、元親は本拠地を土佐高知から、白地に移しました」

「ほう。四国のど真ん中だな。そこを讃岐、伊予攻めのかなめとしたか。四国を統一するつもりじゃな」

 ちなみに白地とは、現在の阿波池田町であり、四国のへそとも言える要衝の地である。

「今ごろは、伊予の湯築城を攻めているかと存じまする」

「うーむ。長曽我部も早めに潰しておかぬと、侮れぬ存在になるやもしれぬな」

 その後、相次いで九州からも情報が入った。信長は休む間もなく、乱波に対した。

「わしが仕組んだ島津と大友の和議はどうなったか。本能寺の変の頃だったと覚えているが」

「は、和議は成立したようにございます」

「そうか。それはなにより。九州では島津氏が日の出の勢いであったな」

「はい。薩摩・大隅両国から始まり、耳川の戦いでは大友氏を破って日向までも手に入れました」

「うむ」

「その後、肥後でも大友方の諸将が次々に島津方に降参するような次第で」

「そこで、劣勢となった大友宗麟が、わしに救いの手を求めてきたのであったな」

「左様にございます」

 もともと島津氏の強大化を危倶していた信長は、和睦を勧める書状をしたため、これを両者に送付した。大友宗麟・義統父子は喜んで講和勧告を受け入れた。一方の島津義久も、あの武田家をも滅亡に追い込んだ強大な信長の勘気を蒙ってはたまらないと考え、しぶしぶこれを受け入れて、天正十年(1582年)六月和議が成立した。

 ところが、実はこの直前に本能寺の変があったのである。もちろん和議の時点では情報は届いていなかった。

「もし、島津方が本能寺の変のことを知っていれば、和睦は成らなかったかも知れぬのう」

「はい、おそらくは」

「大友の命運もまだ尽きてはおらぬ、という事じゃ」

「はは、その通りで。一方、島津は、肥前佐賀の竜造寺隆信を新たな敵として戦っておるようにございます」

「うむ。よし、分った。引き続き島津の動きを追ってくれ」

 去ってゆく乱波の後ろ姿を眺めながら、信長は大きく溜め息をついた。

「島津も長曽我部も、わしが死んだと聞いて、大いに奮起しておるのであろうな」

 信長は、目前まで来ていた天下布武が、本能寺の変によってまったくの振り出しに戻っていることを認識せざるを得なかった。

 

(7)狡猾なる家康

「伊勢を滝川一益が攻めております」

 高槻にいる信長の元へ、伊勢の乱波からとんでもない知らせが飛び込んできた。

「なに。伊勢は織田家の直轄地じゃ。なにゆえに一益がわしに刃を向けるのだ」

「わかりませぬ。長島城を出て、南下中とのこと。既に松ヶ島城が陥ちたよしにございます」

「なんということだ。一益が裏切りおったか」

「はい、間違いないかと存じまする」

「解せぬな。一益は北条に大敗したのだ。そのような力は残ってない筈・・・」

「信雄様からも後詰めの要請が参っております」

「なんだと」

 信長は顔を紅潮させて叫んだ。

「親方様、すぐに援軍を送りますか」

 蘭丸がそう言って、立ち上がろうとした。

「無用じゃ。あの、たわけ者めが。松ヶ島が陥ちてからでは手遅れだわ」

 怒りで震えている信長に、乱波がさらに続けた。

「陸と海から大軍が殺到したとのことにございます」

「海だと・・・。どういうことだ?」

「いや、分りませぬ」

「さては家康か・・・」

 信長は、低い声で呻いた。

 諸将の中で最も注意深い行動を取ったのは徳川家康である。彼は本能寺の変後、勢いに乗る明智光秀との対決を避け、その代わり無主の国となった甲斐・信濃をちゃっかりと我が物にした。

そしてさらに関東(上野)への進出を目論でいた時、信長の生存を知り、北条、上杉と三国同盟を結んで兵を浜松城へ返したのである。

「伊勢とはな。さすがだな、家康。奴め、わしが生きていることに感づいておるな」

「親方様、家康も敵に回ったということにございますか」

 蘭丸が不安げに尋ねた。

「それしか考えられぬであろう」

「本当に家康殿が裏切ったのだとしたら、伊勢ではなく、尾張、美濃を切り取った方が、利ははるかに大きいかと存じまするが」

「いや、そこが家康の賢いところだ。尾張はわしの生まれ育った地ぞ。織田家親族や譜代の家臣があまたおる。尾張への進出には相当の抵抗を覚悟せねばなるまい」

「はあ、なるほど。織田家家臣の力を恐れたのでございますね」

「それに、尾張を攻めることは完全にわしに敵対することじゃ。それを天下に示すことになる。わしの生存を知っているとしたら、家康としてはそこまでは踏み切れなかったのであろう」

「そこで目を向けたのが伊勢の国というわけでございますね」

「うむ。といっても、自らが伊勢を攻めたわけではない。一益にやらせたのだ」

 本能寺の変の後、尾張と境を接する北伊勢の長島城には、関東で北条氏に大敗してほうほうの体で逃げ戻っていた滝川一益が、悄然として居していた。家康はこの一益を味方にし、一益を援助する形で伊勢を乗っ取ろうと考えたのである。

家康は、伊勢を平定するための兵糧や軍資金を提供することを条件に、一益を配下に組み入れることに成功した。

 一益から人質を受け取った家康は、すぐさま援助の物資と金子一万両を長島に送り込むとともに、自らが持つ軍船全てを伊勢湾安濃津沖に向かわしめたのである。

「しかし、大恩ある親方様を裏切って、家康の手先になるとは。一益も気が狂ったとしか思えませぬ」

「いや。一益は、上野で大失態を演じてしまったからのう。このまま織田方に付いていても、浮かび上がれないと考えたのであろう」

「だからといって・・・」

「いや、むしろ今勢いのある徳川と手を組んだ方が得だと」

「そんな・・・。まあ、たしかに家康は甲信三遠駿五ヶ国の大大名にのし上がりましたからな」

「その力を借りて伊勢一国を平定して、それを安堵してもらう道を選んだというわけだ。一益も賭けに出たな」

 滝川一益は満を持して伊勢に攻め込んだ。この時、北伊勢は信長の三男織田信孝の、また南伊勢五郡は信長の次男織田信雄の領土であった。

「北伊勢は無主の国。あっという間であったろうな」

「南伊勢の織田信雄様は、どうしておられたのでしょう。本城の松ヶ島には戻っていなかったのでしょうか」

「近江の蒲生賢秀の後詰めとして、まだ土山峠におったのであろう。何たるたわけ」

 味方と思っていた一益の、まさかの伊勢侵攻に驚いた信雄は、すぐに近江の陣を引き払い、本拠松ヶ島城へと向かった。

 しかし、一益の動きは素早く、手薄となった伊勢国表の諸城を次々に陥していった。南伊勢の諸将は、早々に織田信雄を見限って滝川一益に従ったのである。

 信雄は、とにもかくにも伊勢に戻って立て直しを図ろうと道を急いだが、時すでに遅く、松ヶ島城も一益が制圧した後であった。しかも伊勢沖におびただしい軍船が舳先を連ねて浮かんでいるのを見て、とても失地恢復は無理と考え、また伊賀に戻った。

「信雄は勘当じゃ。大切な南伊勢の領土を一益に略奪され、伊賀一国に押し込められてしまったではないか」

 信長の怒りはおさまらない。

「わしの次男として十分な兵力を持ちながら、明智光秀を討つわけでもなく、また本領をしっかりと固めるでもなく、まったく何をしていたのだ」

 信雄は、巷間噂されていた通りの凡愚さを世にさらけ出してしまった。

一方の徳川家康は、ほとんど自らの手を汚さずに伊勢一国を支配下に治めることに成功した。まったく狡猾この上ない限りであった。

「手ごわい相手を敵に回してしまったな」

「はい。まったく」

「しかし、こうも悠々と家康が伊勢に大兵を回せるとは不思議なことよの」

「たしかに左様でございますな。家康は上野で北条と戦のはず。たとえ船に余裕があったとしても、北条水軍に背後を衝かれる恐れがござりましょう」

「うーむ。これは何か裏がありそうだな」

「と申されますと」

「まあ、待とう。まもなく康助が戻ってこよう。さすれば、東国の動きが分る」

 果して、二日後、上野から康助が帰ってきた。

「おう、御苦労であったな。東国の動きが解せぬ。なにか分ったか」

「はい。どうも盟約ができたのではないかと」

「やはりそうか」

「上州松井田で睨み合っていた徳川、北条両軍は、一戦も交えずに軍勢を退きました」

「いやに動きが早いな。徳川、北条が手を結んだとなると・・・」

「いえ、それが・・・。盟約に絡んでいるのはどうも徳川と北条だけではないようで」

「なに、それはどういう意味だ」

「はあ、上杉も同心かと」

「な、なんと。そ、それは確かか」

「はい。北条は、全軍を小田原に戻しました。上野を空にしたのでございます。これでは上杉が関東に手を付けぬものかといぶかしく思い、越後にも出張ってみました」

「ふむ」

「驚いたことに中越の兵も皆西へ向かっておりました」

「上越国境には、北条の兵も上杉の兵もいないということか」

「いかにも。康助がこの目で確かめて参りました」

「まさか、北条と上杉が組むことなど・・・」

「あり得ませぬ。百年来の敵どおしでございます」

 蘭丸が強い口調で言った。

「いや。そうとも限らぬぞ。北条、上杉、徳川それぞれに利がある。なにしろ敵が二つずつ減るのだからな」

「それはそうでございましょうが・・・。にわかには信じられませぬ」

「これはまずいことになったものだ。康助、申し訳ないが、また立ち戻って北条と上杉の動きを見張ってくれまいか」

「はは、承知つかまつりました。もう既に、手の者を一人小田原に出しております。すぐにこちらに動きを知らせるように手配りいたしましょう。越後には草の者を置いてございませんので、康助自らが参りましょう」

「そうか。頼んだぞ。だが、気を付けろよ。三者がつるんだとなると、回りは敵ばかりだからな」

 信長の危惧したとおり、盟約の当事者は、それぞれ後顧の憂いなく領土の拡張に努めていた。

 半月ほどして、小田原から康助の手下が戻ってきて、信長に報告した。

「北条の動きをご報告申し上げます」

「うむ、御苦労」

「北条氏直は、滝川一益を破って上野の国を奪取した後、さらに隣の下野の国に向かったようにございます」

「そうか。たしか、北条の勢力は、下野までは及んではいなかったのであったな」

「いえ。南下野の一部である小山はすでに。氏政の弟氏照が、小山祇園城を北条の支城としておりました」

「そうであったか」

「そのほかの下野の大半は、壬生氏、皆川氏、宇都宮氏、那須氏らの諸豪族がそれぞれ狭い地域を支配しておりました」

「そこに大軍を送り込んだわけか」

「三万を越す大軍でございます」

「そうか。こぞって従ったのか」

「はい。全く抵抗らしい抵抗もなく。次々と人質を差し出したようにございます」

「無血で下野を手に入れたか。ふむ。それからどうした」

「さらに東に向い、常陸の国に攻め入りました」

「ほう。しかし、常陸には佐竹義重がおるであろう」

「ええ、その通りでございます。下野と違ってすぐには攻め取れませんでした」

「佐竹は、中世の頃より常陸にしっかり根を下ろしておる。日立や奥久慈には金山もあるしな。そう簡単にはいくまい」

「はい。陸奥南部の蘆名氏や白河氏、さらに岩城氏らとも同盟を結んでいたようでございます」

「北の伊達に備えるためだな。義重は、このわしにもよしみを通じてきておった。南の北条を牽制するためだろう。なかなかの用心ぶりじゃ」

「佐竹の抵抗は思いのほか激しく、北条方は一旦江戸城に兵を退きました」

「諦めたのか。それでどうした」

「今度は上総の国に矛先を転じました」

「上総、安房は里見氏の地盤であろう。北条にとっては宿敵じゃ」

「今回はありったけの兵四万を上総万喜城に集結させました。北条も、里見と最後の決着を付ける腹だったかと存じまする」

「北条と里見は先代、先先代から房総の覇権を争ってきた仇敵の間柄じゃ。二度の国府台合戦でも、白黒つかなかった。里見も、上総と安房は死んでも離さぬだろう」

「ええ。里見義頼も兵一万を大多喜根古屋城に送り込んで、一歩も引かぬ構え」

「四万対一万か。それでどうなった」

「籠城戦が一月に及び、勝敗が未だ決しない時、ここでおもしろきことが起こりました」

「何だ、それは」

「里見の水軍が、小田原のすぐ南の早川に上陸し、手薄となっていた小田原城下に火を付けて回ったのでございます」

「わはは。それはよい。神出鬼没が身上の里見水軍、面目躍如であるな」

「驚いた北条軍は、大多喜城攻めをひとまず諦めて兵を収めました」

「それはそれは。佐竹も里見も、ようこらえておるな。北条も、そう簡単に関東平定の甘い夢を見るわけにはいかぬというわけだ。これでよい」

 信長は、一通り話を聞いて安堵した。

 さらに数日後、康助が北国から帰ってきた。

「親方様。遅くなりました。やっと柴田勝家殿との繋ぎがつきました」

「おう、御苦労であった。それで、皆は大事ないのか」

「勝家殿は御無事でございますが、佐々成政殿が上杉にやられました」

「なに、成政が敗れたか。上杉は上洛するつもりなのか」

「いえ。勝家殿、利家殿らが金沢に集結し、上杉と睨み合いの最中でございます」

「そうか。で、佐々は討ち死にしたのか。子細を話せ」

「はい。上杉景勝は、越後の全兵力二万を率いて、越中に侵攻いたしました」

「いつのことだ」

「十一月初めのことでございます」

「稲刈りが済んだからだな。越後の百姓兵どもめ。でないと、兵を動かすことができぬからな」

「それに、上越国境と信越国境の双方とも気遣い無用となりました」

「三国の盟約だな。それで、たしか成政は越中富山城におったのだったな」

「いかにも。本能寺の変の後、北国の諸将は、せっかく落した越中魚津城を捨てて、それぞれの本領に軍を収めました」

「勝家が越前北之庄で、佐久間盛政が加賀金沢城だな。前田利家は能登七尾城、それから佐々成政が富山だな」

「ええ。ただ、越中の場合は、上杉方の支城数多く、成政殿は単に富山という点を押えているに過ぎません。上杉勢が一気に国境を越えて乱入すると、すぐに敵中に孤立した状況におちいりました」

「援軍はどうした」

「もちろん、隣の能登にいた前田利家殿も、すぐさま五千の兵を差し向けました。ところが、高岡にほど近い伏木にて、一向一揆が行く手を阻み・・・」

「なんと。伏木にはたしか土山御坊があったな」

「ええ。御坊といっても、まったく城と同じで、堂々たる構えにございます。利家殿は、御坊を抜けぬまま、立ち往生の仕儀と相成りました」

「加賀の佐久間盛政はどうした」

「佐久間殿もただちに軍備を整え、兵八千を率いて富山に向かいました。ところが、国境いの倶利伽羅峠にて、今度は上杉方の木船城主湯原盛綱に迎え討たれ、それ以上進めなくなりました。西越中にも上杉方の支城が網の目のように配置されております」

「その中を無理に進むと、逆に包囲殲滅されてしまうか」

「はい。盛政殿は、倶利伽羅峠の猿の馬場に陣を敷いて、遠くから上杉軍を牽制するほかはなかったようで」

「うーむ。しかし、富山城は平野のまん中に築かれた平城じゃ。味方の後詰めは必須であろう。これでは見殺しというものだな」

「上杉方は、二万近い大軍で富山城を包囲し、降伏を勧める使者を立てました」

「素直に降りまい。成政は織田家臣の中でも一、二を争う猛将じゃ」

「その通りでございます。成政は使者を切り捨てました」

「すぐに上杉方の総攻撃か」

「ええ。何とか籠城して十日間は支えたものの、昼夜を問わぬ猛攻撃の前に、城兵は精根尽き果て、ついに落城の憂き目に」

「そうか」

「成政をはじめ、佐々軍の主だった侍大将たちはことごとく自決して果てたようにございます」

「無念であったろうな。それで、越中はことごとく景勝のものとなったか」

「はい。勢いに乗った上杉方は、さらに軍を西に進めました」

「うむ。それで、今金沢で睨み合っているのだな。ということは、能登も陥ちたということか」

「はい。前田利家は身の危険を感じたようで。一向一揆さえ押えられなかったことから、能登内の諸将の心に動揺が生じていたものかと存じます」

「利家を見限って上杉に付く国人どもも出てきたということか。しかし、七尾城は難攻不落の山城であろう」

「ええ。しかし、越中勢も加えた三万の大軍に囲まれてしまっては、とても持ちこたえられますまい」

「それで、利家も金沢まで退いたのか」

「はい。このままでは、北陸各国に分散している織田方の諸勢力は、上杉方によって各個撃破されてしまいまする。金沢に軍勢を集結させ、そこを死守せんと決したようで」

「そうか。金沢は平城ではあるが、城内は広大だ。大軍勢を収容するのに困ることはないからな」

「はい。すぐに柴田勝家の兵一万も越前から入城して、総兵力は二万五千を越えました」

「勝家が一万か。ちと少ないな」

「明智光秀に付いた武田元明が、たびたび敦賀表へ軍勢を繰り出して来るようで。これへの備えとして、本拠北之庄や敦賀金ヶ崎にも相当の兵を残さざるを得なかったようで」

「なるほど。ともあれ、これで勢力的には上杉方とほぼ桔抗することとなったわけか。で、金沢では矛を交えたのか」

「しばらくは、浅野川を挟んで睨み合ったままでございました。しかし、正月早々、上杉軍は浅野川を渡り、戦端を開きました」

「景勝は、雪が降り積もる前に、何とか決着を付けたかったのであろう。それで、どちらが勝った?」

「一進一退を繰り返し、容易に勝負はつきませんでした。寒さも日増しに厳しくなる中、ついに景勝は加賀制圧を諦め、越後に引き上げました」

「そうか、それはよかった。景勝は、能登・加賀だけでなく、越前までをも手中にしようとしたのであろう」

「はあ。父上杉謙信、あの越後の虎と恐れられた謙信でさえ、越中・能登・加賀まででございましたからな」

「そうだ。景勝は、偉大なる謙信を越えたいという思いが強かったに違いない」

「はい」

「よし、よく分った。何とか踏み止まっておるのだな。ならば、今のうちに光秀と勝負を付けねばなるまい」

 信長は、いよいよ機が熟してきたのを感じていた。

 

(8)傾いた天秤

「孫一殿、是非信長様のお味方に加わっていただきたい」

「・・・」

「明智光秀の裏切りで天下統一のやり直しをせねばならぬ。そのためには、そなたの力が必要なのでござる」

 信長の宿老丹羽長秀は、必死の説得工作に当たっていた。相手は紀州の首領雑賀孫一である。

 信長は、光秀を倒すためには何としても雑賀衆・根来衆の力が必要であると考えていた。そこで、配下の武将の中でも最も信頼のおける丹羽長秀を使いとし、彼らを味方に付ける工作を始めていたのである。

 信長と雑賀衆・根来衆とは、六年前の天正四年(1576年)から翌五年にかけて壮絶な戦いを演じていた。信長は石山本願寺と十年にもわたる戦を敢行していたが、その本願寺を後ろから応援していたのが雑賀衆と根来衆である。

信長は、まずこれらをたたくことによって本願寺の勢力を弱体化させようと試みたのである。

 去る天正四年、信長は巧みな外交策を用いることによって、彼らの内部対立を引き起こすことに成功した。すなわち、太田源三大夫率いる雑賀五組中、社家郷・中郷・南郷の三組および根来衆を離反させ、味方に付けたのである。

 しかし、残る二組の雑賀衆は、雑賀孫一の指揮のもと、さらに抵抗を続けた。信長は、これら雑賀衆の持つ豊富な鉄砲の攻撃の前に大変な苦戦を強いられたが、翌天正五年三月、ついにこれを鎮圧し、孫一を降伏させることに成功した。

 この時、意外にも信長は孫一を罰することはしなかった。赦免の朱印状を与え、これを許したのである。

「孫一殿には貸しがございましたな。今、その貸しを返していただきたい」

「貸しとは異な事を申される。信長殿と我ら本願寺とは対等の和睦をなしたもの。拙者は、本願寺光如様の御命令に従って矛を収めたまでじゃ。信長殿に恩を受けた覚えはござらぬ」

 孫一は憮然とした表情で答えた。

「信長様は今までの遺恨を忘れ、もしこの度お味方下されば、紀伊の国を安堵すると申されておる」

「安堵などしてもらわなくても、紀伊は我ら雑賀衆のものだ」

「さらに南和泉半国を与えてもよいと申された」

「ふむ。」

「ではどうあってもお味方下されぬと申されるか」

「・・・」

 丹羽長秀は、大きく溜め息を一つついてから、脇の包みをほどき始めた。

「これではいかがかな。手に取って御覧あれ」

「これは・・・?」

 黒光りのする物体を手に取った時、今までの孫一の拒絶的な態度が一変した。

「ははは、初めて見るようでござるな。そう、これが南蛮渡来の新式鉄砲じゃ」

「新式だと。どうやって火を付けるのだ。火蓋がないではないか」

「ははは、これに火縄は不要じゃ。中に火打ち石が入っていて、引き金を引けばすぐに弾が飛び出す」

 当時の鉄砲は、いわゆる火縄銃と呼ばれるものであった。1543年に種子島に伝来して以来、同じ方式のものが日本では大量に生産されていた。火縄銃の欠点は、点火のための火縄を絶えず携えていなければならないという安全性・操作性の悪さと、言うまでもなく雨に弱いということであった。

 これに対し、それらの欠点を一掃して登場したのが燧石(ひうちいし)銃である。これは、燧石を鋼鉄製の当金に打ち付けて発火させる方式のもので、もちろん火縄は必要としない。信長は当時ヨーロッパで発明されたばかりのこの新式燧石銃とその製造法を、密かにポルトガル商人から入手し、堺の鉄砲鍛冶に試作品を作らせていたのである。

「試し打ちをなされたら如何かな。お気に召せば差し上げてもよろしい。何なら製造法も伝授致そう」

 十年来の敵である信長からの援助要請に、始めは鼻も引っかけなかった雑賀孫一も、この新式鉄砲を目の当たりにして、急に心が動いた。鉄砲は、彼ら雑賀衆にとっては命の次に大切なものであり、その新技術が労せずして手に入るならばということで目の色が変わった。

「バーン」

 銃弾が庭の灯籠を貫通した。

「誰か、水を持って参れ」

 孫一は、湯飲みの水を口いっぱいに含むと、引き金のあたりに勢いよく吹きかけた。

「バーン」

 今度は松の枝がばさりと地面に落ちた。

「よろしい。信長殿に合力しよう」

 意外なあっけなさであった。元々彼らは、金で乞われればどこへでも出かけて行くという雇われ兵の性格が強い。しかも、五年前に信長に降服したにもかかわらず、何の咎もなく赦免されたという負い目もあった。そんなこんなで信長を援助する気になったのである。

 丹羽長秀は、三千人に及ぶ雑賀・根来の鉄砲隊を引き連れて高槻に戻った。

「孫一殿、よくおいで下さった。ここにある五百挺の新式鉄砲を全てそなたに預けよう。存分に腕を磨いて下され」

 信長の喜び様は尋常ではなかった。雑賀孫一の手を取り、満面に笑みを浮かべて礼を述べた。

 これであと一つの工作がうまく行けば、光秀を倒すことができるだろうと思われた。

 その工作とは、釣り合いのとれた天秤を一気に信長サイドに傾けることになる筈のものであった。

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