あとがき
この書は、鬱病に苦しむ人の問題解決を目的とはしていない。鬱病の態様は区々であり、患者の数だけ原因と対策があると思われるからだ。一個人の闘病記にすぎないものが、万人に役立つことはないだろう。
とは言え、この30年間、さらには、モノ心付いてからの自分を内観し、整理しておくことは、少なくとも自身のためにはなるはずだ。高齢になると、鬱病は再発しやすいようなので、ぶり返した時に、少しは役に立つかもしれない。
だが、それよりも、私としては、この本をあくまでも歴史小説として位置付けたい。この四半世紀の間、サラリーマン生活のかたわら、歴史小説を6本書き、ホームページ上で発表してきた。それは、鬱と戦う手段でもあった。現在7作目を執筆中だが、あまり筆が進んでいない。人生の残り時間も少なくなってきたようだし、ここらで、最も新しい歴史上の人物=「自分」のことを先に書いておこうと思い至った(無料化の経緯を参照)。
ただし、こんな小説を書く予定はなかったので、日記やメモなどは残していない。そのため、凝縮された記憶だけを頼りにした。得てして、人は、昔のことを修飾しがちだが、極力事実に基づいて書いたことは保証する。
以上
2021年8月 久田巻三
P.S.
先日、母の祥月命日に墓参をしたが、娘と孫たちも来てくれた。その際、20数年ぶりに、娘との双方向コミュニケーションが成立した。
「旦那さんは元気?」
「元気だよ。毎日会社に行ってる。リモートはないので。小さな会社だから。」
「いい旦那さんだね。」
「うん。今度、家を買うことにした。中古だけど。」
「そうか。それはおめでとう。」
大事な話を、真っ先に私に打ち明けてくれた。
ちょっとだけ取り戻せたかな。
2021年10月
P.S.その2
享年九十五。天寿全う、大往生。母が亡くなってから、5年以上が経っている。世の男性は、すぐ後を追うものだということだが。
まさか、父がこんなに長生きするとは思わなかった。ぜんそくの持病がずっとあり、さらに、還暦を過ぎてからは、脳卒中を手始めに、糖尿病、大腸ガン、はたまた心筋梗塞と、大病の連続だったからだ。
なにしろ、不摂生だった。酒は飲むわ、タバコは吸うわ、また、食事の際は何にでも醤油をぶっかけて食べていた。そのくせ、運動は一切しない。家に引きこもって、ひたすらテレビを見ているだけだ。
「こんな大人にはならないぞ。」と、私は、父を反面教師にして生きてきた。いや、生きてきたつもりだった。
だが、女房に言わせると、私は、父とソックリらしい。
父と同じように、囲碁・将棋・麻雀などの勝負事が好きで、野球は阪神タイガースを応援し、わがまま勝手なところも変わらないと言う。まったくもって、返す言葉がない。
父が長生きしたのは、ただ単に運がよかっただけ、あるいは、現代医学の進歩のおかげだと思ってきた。だが、そうではないようだ。長生きするのは、それだけで尊い。父には、偉大なる力が宿っていたのではないか。他人に流されない強さというか、空気を読まない鈍感力というか。封建農家に生まれ育った者として、一本筋が通っていたような気もする。
ただ、「あること」=Beingにまかせて生きた父。「すること」=Doingにこだわって、ジタバタした私。
「Let it be」
ここで思い出したのが、孫悟空のことだ。キント雲に乗って、世界中を飛び回っていると得意になっていたら、実は、お釈迦様の手のひらの上で、チョコマカと動きまわっていただけだった、という話である。私も、父の大きな手の上で、ただ転がされていただけなのかもしれない。
大きな父と、ちっぽけな自分。そんなことを日々感じている。
2022年2月(喪主挨拶にかえて)