5.2プロジェクトが行き詰まる

 プロジェクトリーダーとして、別の事業部から部長が招聘され、私は、その下に入った。事業部の壁を超え、全社のサポートが得られたのだ。その部長は、銀行システムの開発経験を有する、40代のベテランであった。

 事業部内からも人が集められ、係長2名、担当者4名が新たに加わった。協力会社にも、大幅な要員増強をお願いし、下請のほか、孫請け、ひ孫請けを含め、数百人の体制が出来上がった。

 大規模システムの場合、複数の部品(モジュール)に分けて、分担して開発することになる。進み具合は、週1回、各社の代表を集めた進捗会議で確認していたが、半年ほどして、奇妙なことが起こった。各社が足並みをそろえて、進捗率90%のレポートを、毎週上げてくるようになったのだ。「若干遅れてます。」という報告である。それまでの部品単体の開発は、ほぼスケジュール通りだったのに、部品どうしを結合する段階に入ってから、このようなことがずっと続いた。

 部品の数が増えれば増えるほど、部品間のインターフェースの数も飛躍的に増大する。あらかじめ、仕様をキッチリ決めておかないと、うまくつながらない。大規模システムが難しい所以だ。

 「百里の道も九十里を半ばとす」という諺があるが、実際、半分も出来上がっていたかどうか。問題の所在が見えなくなっていた。

 この頃、部長は、2人の係長を毎日のように怒鳴りつけていた。たしかに、出来のよろしくない人材だったが、急な要請だったから仕方がない面はある。私が部長に叱られたことは一度もないが、部下の係長が怒られるのは、課長の私には辛かった。そんな折、私の身にとんでもない事故が起こった。

 当時、作業場所は、ユーザの倉庫の一画だった。そこへの通勤のためには、山手線を利用しなければならなかったが、新宿−渋谷間は、当時日本一の乗車率を誇る、殺人的混雑区間であった。その日も、私は、新宿駅で何とか乗り込み、ドアの脇にもぐりこんだ。次の代々木駅では、降りる人が結構いるが、ここで押し出されてしまうと、また、乗車の列の最後尾に並ばなければならない。私は、ドアの脇に頭をつけ、降ろされないように踏ん張っていた。すると、「邪魔だ。」という声とともに、若者のパンチが飛んできた。覚えているのは、ここまでである。

 次に気付いた時は、病院のベッドの上だった。個室の壁には時計が掛かっていたが、125分前を示していた。半日間意識不明だったことになる。口の中がズタズタに切れており、1週間ほどは、まともな食事もとれなかった。その後、警察にも被害届を出したが、犯人は捕まらなかった。

 その日の午後には、上司の部長も駆けつけた。私が、「通勤途上のケガは労災になりますか?」と尋ねたところ、部長は、次のように答えた。

 「君の将来のためには、労災申請はしないほうがいい。」

 私は、年休で処理し、差額ベッド代を含む入院費も、自己負担とした。

 後になって気付いた。部長は、「私のため」のように装っていたが、実は「自分のため」だったのではないか。労災の場合、総務部の調査が入り、全社に再発防止の周知文書が流れる。劣悪な労働環境で仕事をしていたことが明るみに出て、責任を追及されることを恐れたのではないか。

 その後すぐに、別のビルに事務所を借りて、当社社員の作業場所とした。ユーザとの打ち合わせがある時だけ、そこから通うことにしたのだ。窓もない倉庫の中で、ユーザの監視のもと仕事をするのは、かなりのストレスがかかっていたと思う。だが、私は、最初からそうだったので、労務上問題があることには気付かなかった。管理職失格である。

 この数ヶ月後、私は、鬱病を発症することになる。半日の意識不明が影響したかどうかは定かではない。脳にダメージがあったことは疑いないが。

 それよりも、進捗が滞り、プロジェクトが行き詰まったことが大きいと思う。自分で取ってきた仕事なので、何とかしなければと焦っていたのだ。新しい仕事、大きな仕事をするには、それなりの体制を構築するという、会社組織としての責任があるのに、個人で背負い込んでしまっていた。

次章 5.3鬱病を発症し相談室へ

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