6.6貧乏をこじらせたエピソード
D親に200万円を無心される
−でも母の役に立てて嬉しかった(30代)
鬱病を発症した30代の頃のことである。突然母から電話があった。地主が亡くなったのだが、多額の相続税支払いのために土地を買い取って欲しい、と言われたという。価格は930万円だが、200万円ほど足りないので、私の方で出してもらえないか、という金の無心の話だった。
私は、借地を継続できないのか、と母に尋ねたが、両隣の2軒が即金で買い取るのに、うちだけが買えないのはみっともなさすぎる、と言う。何とか助けてくれないか、と泣きつかれた。どうせ、将来相続して私のものになるのだからいいじゃないか、という言い分だった。母にとっては、世間体が一番大事だったようだ。
200万円は大金である。当時は、まだ管理職になったばかりで、貯えも乏しかった。子供も小さく、生活に余裕はなかった。だが、私は、虎の子の定期預金を解約し、母に送金した。実は、その時、母の役に立てて、ちょっぴり嬉しかったのを覚えている。
ところで、令和2年2月12日NHKの野村克也追悼番組は泣けた。彼は、母子家庭で育ったのだが、母を楽にしたいという一心で、毎日バットを振り続けたという。王、長島のようなエリートとは違い、貧乏を糧にしてのし上がったのだ。
私は、新入社員として九州に赴任した時から、親への仕送りは欠かさなかった。また、他の若者が車のローンに給料をつぎ込むのを横目に、私はせっせと社内預金を積み立てていた。200万円は、そうして貯めた金である。
国の贈与税などの特例制度は、親や祖父母が、子供や孫に対して行うことを前提にしている。逆のケースは、想定されていない。子が親に贈与するなどということは、世の中一般的にはあり得ないことなのだ。私は、そんなことにも気付いていなかった。
贈与や相続というものを意識したのは、この時が初めてだったと思う。私は、その後、父方の土地の相続がどうなっているのか、母に確認してみた。すると、とんでもない答が返ってきた。
「親の土地は、昔から長男が継ぐものと決まっている。本家の惣領が、一族郎党の面倒を見るのだ。他の兄弟も、同意書にハンコを押してる。」
あー、何ということだ。
「無知」ほど恐ろしいことはない。父は、面倒くさいことには一切かかわらず、母に任せきりにしていたから仕方がないが、他の4人の兄弟姉妹は、誰も疑問を持たなかったのだろうか。
兄弟姉妹の相続の権利は、長男だろうと末っ子だろうと、男だろうと女だろうと平等である、と私が言っても、いやそんなことはないと、母は否定した。
本家は、上大岡駅の近くに、かなりの農地を持っていた。当時、上大岡は、横浜駅西口についで、神奈川県内で2番目に地価が高かった。今、そこには、一部上場企業のビル群が建っている。現在価値で、土地代は優に100億円は超えるだろう。半世紀前は、バブル以前だったので、そんなに高くは売れなかったと思うが、それでも数十億円にはなっただろう。兄弟姉妹6人で割っても、一人3億円は下らない。
もし、これだけの財産を親が持っており、将来、自分が相続するということを早いうちから知っていたら、私の人生はどう変わっていただろうか。もっと穏やかな生活を送り、鬱にもなっていなかっただろうか? それとも、親が一緒なら、同じことになっただろうか?
ifの話をしても詮無いが、悔しいこと限りなし!
本家の伯父さんは、その後早々に亡くなり、息子(=私のいとこ)が財産を継いだ。彼は、すぐに仕事をやめ、若くして悠々自適の生活に入った。世の中には、相続税対策として、アパートやホテルを建てて経営をする人も多いと聞くが、そんな努力は一切しなかった。膨大な金額が、税金として国に持って行かれたことだろう。
私の親は、本家に対して、盆暮れの付け届けなどを欠かしたことはない。私も一度、名代として持って行かされたことがあった。その時は、先客があったようで、1時間近く待たされたことを覚えている。事前にアポを取っていたにもかかわらず。
このように、本家と分家では、力関係に大きな差がある。だが、いったい本家が、今まで何をしてくれたというのだ。
そう言えば、母の葬式に、父の兄弟姉妹の親戚のうち、長女の息子だけが参列しなかった。父の兄弟姉妹は、既に全員亡くなっており、次の代になっている。他の従兄弟姉妹が出席してくれたのに、一軒だけ不参加なのを不審に思った私は、父に尋ねてみた。
「あそこは、本家と仲が悪いんだ。」
父は、そう答えたが、もしかしたら、遺産を独り占めした本家に抗議し、長女の子孫は、親戚付き合いを拒否しているのではないのか?
また、母から生前に聞かされた、次の話も思い出した。父の兄の三男が亡くなった後、その妻が認知症になり、毎日、本家に昼食を食べに行っていた、ということである。母は、「本家のお嫁さんが迷惑していて、かわいそうだ。」と言っていたが、これも、実は、ボケたふりをして、嫌がらせをしに行っていたのではないのか? 本当にボケていたとしても、本家が一族郎党の面倒を見るべきだ、という潜在意識があったのではないのか?
相続は、「争族」とも言われるが、悲しすぎる。つらすぎる。
もっとも、この国の土地制度自体が狂っているということか。狂気の世界に巻き込まれなかったことを幸いとすべきなのかもしれない。女房が、次のように言った。
「競馬好きのお父さんだから、きっと全財産失っていたわよ。そんな親の金を当てにしていたら、もっとひどいことになったんじゃない?」
なるほど。そうかもしれない。
なお、実家の土地は、その後、処分に苦労することになる。もともと不便な場所にあり、普通サイズの家を建てるには狭かったので、1年以上買い手が付かなかった。固定資産税を払い続けるのも馬鹿らしいので、半値で損切りするほかはなかった。バブル最盛期における、高い買物になってしまった(「9.1マイナスの遺産10I売れない実家の土地」を参照)。
※追記(2022年1月 父の死亡時)
新型コロナウィルス蔓延のさなか、父は亡くなった。葬儀は、子供と孫だけで執り行った。高齢者の感染リスクが高いためだ。
その際、本家からは、花や御供物はおろか、香典さえ出なかった。香典は、複数の姻族から頂戴したが、血族からはまったく無かった。父は、いったい本家に何を期待していたのだろうか? 本当に。
私は、父が本家に借金をしているのではないかと疑い、生前2度確認した。だが、「それはない。」との答だった。だとしたら、何故なのか。本当にわからない。
いや、待てよ。父が嘘をついている、ということはないのか。「ある時払いの催促無し」というような形で、大金をもらっていたのに、返さないまま亡くなったのでは?
ここで、妹が、結婚式の際に本家から100万円の御祝儀をもらったことを、最近ふと漏らしたのを思い出した。私の時は、10万円だったのに。そう言えば、短大の学費はどうしたのだろう? 妹は、奨学金も借りてないし。
その後、家も改築しているが、息子にも仕送りをさせているくらいなので、お金に余裕はなかったはずだ。実は、私の知らないところで、本家には金銭的に色々とお世話になっていたのではないのか? そう考えると、辻褄が合うことが多い気がする。今となっては、真相は闇の中だが。
なお、父は、私や妹に対し、感謝の言葉らしきものを発することは、ついぞ無かった。いったいどういうことなのだろう? 本当に、本当に。
※追記その2(2022年8月 父の遺産相続時)
私が父から相続した財産は、実質0円である。スッキリして清々しいが、9.1章で述べるところのマイナスの遺産は、いまだに一部残っている。
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