7.4プロジェクトが没になり敗戦処理へ
合弁契約後、課長を1名増員してもらえることになった。そこで、システム開発は課長に任せ、私はマーケティングに専念することにした。市場調査に販路開拓、価格設定など、やらなければならないことは山ほどあった。だが、まず始めに、システムを導入してくれるモデルユーザを探さなくてはならない。
日系企業と中国国営企業から1工場ずつ募り、安い料金で提供するかわりに、ショールーム的役割をお願いするのである。
中国各地を訪問し、何とか日系家電工場と国営車両工場に話がつき、協力してもらえることになった。その後、日系工場については、第一号ユーザとして、日本の親会社との契約締結にまでこぎつけた。
この頃、システム開発の方は順調に進んでいたものの、ビジネス展開の方針をめぐって、合弁相手の大学系企業とはモメていた。モデルユーザから徐々に拡大していこうとする日本側に対して、中国側のトップは、全土に販売をかけ、一気に市場を占有することを主張した。そのための資金を日本側で出すよう強く求められた。
当社の方針は、あくまでもスモールスタートである。そのことは、社長や副社長からも釘を刺されていた。
合弁契約から半年後、その日は突然やって来た。契約解消の申し出が、中国側責任者からあったのだ。
実はこの時、中国側に対して、韓国の企業から資金援助の話があり、そちらに乗り換えることにしたようだ(その後、その話はご破算になったと、風の便りで聞いた)。
当社の副社長からは、「すぐに荷物をまとめて帰ってこい。」と厳命が下った。社長からも、「信なくば立たずだ。」と、信頼できない相手とはすぐに手を切れと言われた。
もともと、社長も副社長も、中国プロジェクトには冷たかった。だが、会長の強い思い入れがあるので、表立って反対することはなかった。今回の件は、両者にとっては、渡りに船だったかもしれない。
だが、すぐに撤退することはできない。日系企業とのモデルユーザ契約があるからだ。中国側には、残り半年間でシステムを完成させ、日系工場に納入するまでは面倒を見るよう約束させた。
敗戦処理投手!
なぜ、こんな目に合わなくてはならないのか。
新しく来た課長は、私のことを「いい部長さんだ。」と、しきりに回りに言って歩いている。悪い気はしなかったが、「いい人」とは、つまり「おバカさん」ということだ。
数ヶ月前、同じ事業部の別部署の部長から、上海の中国企業を紹介すると言われて、一緒に出張したことがあった。その部署は、海外ビジネスとは無関係の仕事をしているのだが、その部長は、ちょくちょく上海に出張していた。
相手企業との顔合わせの席のことだが、若い女性が部長の横に座っている。親しげに話しているので、店のコンパニオンではなさそうだ。
後で聞いたら、地元の女子大生で、部長が学費を出しているという。金額的には、たいしたことはないと言って、何ら悪びれる様子もなかった。
援助交際!
よくぞ編み出したものだ。これならバレない。
中国で、まじめにビジネスに取り組もうとする者などいないのか。
また、似たような話だが、同じ事業部の隣りの部長は、アルバイト女性の派遣契約を一ヶ月単位で切り替える。自分の女にならないとわかると、すぐにクビにするのだ。そのことは、回りの者は皆、うすうす感づいていた。典型的なセクハラ、パワハラだが、当時、内部通報制度などはなく、表沙汰になることもなかった。
権力は腐敗する!
たとえ、ささやかな権力でも。
身近な会社の恥をさらすのは、これくらいにしておく。自分の話に戻ろう。本書のテーマに関係するものとして、他事業部の部長に言われたことを思い出した。
「君は、会長の言うことを気にし過ぎだ。そうではなく、君が、5年後10年後に中国ビジネスをどうしたいのかを考えろ。自分のやりたいようにやりなさい。」
脳天にガツンと一撃をくらったような気がした。会長には、二度現地に来てもらったが、その際、直に中国ビジネスに対する熱い思いを聞かされていた。私は、何とかして、その思いに応えようと行動してきた。そこに、自分の意思はなかったと思う。
忖度人生!
そうなのだ。子供の頃から今の今まで、ずっと続いている。
純粋にビジネスのことだけを考えれば、中国でモノを売るのは時期尚早である。貨幣価値が、日本円と中国人民元では、一桁違うからだ。
当時、中国からモノを買うことは広く行われていた。中国に外注すれば、1/10の費用で済むため、当社のほか多くのメーカーが、盛んにアプリケーションプログラムの作成を中国のソフトハウスに委託していた。
逆に、日本の製品を中国に売ると、10倍の値段になる。当時、海外製品で成功していたのは、ドイツ製の会計ソフトぐらいである。価格はバカ高いが、高い品質とブランド力で、中国に限らず、日本でも受け入れられていた。
世界的に無名の当社の製品が、簡単に売れるはずがない。そんなことは、始めからわかっていたのに。
自分で何とかしようと頑張る必要はなかったのでは?
会長の道楽に、適当に付き合っていればよかったのでは?
日系企業に義理を通す必要もなかったのでは? 違約金を払って、さっさと撤退すればよかったのでは?
だが、「いい人」の私には、それはできなかった。さらに半年間、中国に留まることになる。
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