7.5乗ってた飛行機が墜落?!(1998.9.22)

 まず、見聞レポート「法然と親鸞 ゆかりの名宝展」のP.S.部分を引用する。平成23年(2011)に東京国立博物館で開催された特別展を見た際、13年前の出来事を回想したものだ。

・・・P.S. 恐怖の体験、そして奇跡の体験

 十数年前、千年以上も立っていた奈良室生寺の国宝五重塔を倒壊させた超強烈台風が、近畿に上陸した。ちょうどその時、私は中国出張の帰途、関西国際空港の上空にいた。「あと10分で着陸します」という機内アナウンスの後、降下を開始してから、地獄変は始まった。

 機体は木の葉のように揺れ、そそり立ったかと思うと、次の瞬間奈落の底に落ちるようなジェットコースター状態が続いた。全く機体のコントロールができていない。左手を前の座席の取っ手に、また、右手を頭上の荷物入れに突っ張って、体を支える。

 機内では悲鳴と怒号がうずまいている。「何でこんな日に飛ばしたんだ。」という中国人の絶叫声。日本人は、こんな時でも声を上げない。吐いてる人もたくさんいる。隣の席の人もそうだ。

 こんな状態が30分ほど続き、私は死を覚悟した。遺書を書きたかったが、一瞬でも手を離すと、体が飛んでいってしまう。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

 なぜかわからない。だが、気が付いたら、ひたすら念仏を唱えていた。

 私は、浄土宗や浄土真宗の信者ではない。まったくの無宗教だ。だが、法然や親鸞のことは知っていた。

 念仏さえ唱えれば、悪人でも救われる。いや、正しくは、善人でさえ救われる、ましてや悪人は言うまでもない。阿弥陀様の救済の優先順位は、まずは悪人からである。だから、悪人たる私も、真っ先に救われるということだ。

 それが「弥陀の本願」、だから「絶対他力」、という一点突破。

 何というコペルニクス的転回。お釈迦様が聞いたら、目を丸くするだろう。

 だが、鎌倉時代に「発明」されたこの教えは、現代にまで引き継がれた。

 そして今、私はこれにすがった。極限状態の中で。

 さらに10分ほどすると、はるか眼下に地面が見えた。あー、墜落か。いよいよ覚悟を決める。

 とその時、今まで吹き荒れていた暴風が、急におさまり始めた。しかも、突然視界が開けた。

 飛行機は、この機をとらえ、体勢を立て直してすぐさま着陸を敢行した。

 無事に停止すると、機内に歓声が沸き起こった。だが、風はすさまじく、停まっているにもかかわらず、機体を揺らしに揺らす。皆、急いで降りた。

 空港島と対岸の本土を繋ぐ連絡橋は閉鎖された。鉄道も道路もストップ。その後8時間にわたって空港は孤立し、閉じこめられることとなった。

 やることもなく、空港内の喫茶店でお茶を飲みながら、ぼう然と窓の外の荒れ狂う景色を眺めていた。

 どうしてあの時、急に風が止んだのだろうか。それがなければ、無事に生還できていないだろう。

 神仏の御加護?

 そんなものは私は信じない。では?

 そうか、わかったぞ。

 台風の目に入ったのだ。それしか考えられない。その証拠に、着陸後しばらくして風の向きが逆転し、またものすごい暴風になった。(後日、新聞で確かめたのだが、まさにその時間、台風の中心が通過していた。)

 何というタイミング。何という幸運。死中に活を見出すとはまさにこのことだ。

 こんなこともあるのか。一つ得心すると、さらにもう一つ疑問がわき起こった。なぜ絶望的な状況で念仏を?

 今でも、なぜあの時、念仏が口をついて出たのかわからない。日本人である私のDNAに刷り込まれていたのだろうか。

 たしかにあの時、阿弥陀仏が私を救ってくれたのだ、と今では思うようにしている。

・・・(引用終わり)

 巨大な台風が来ていることは、NHKワールドのニュースで知っていた。当日の朝、中国航空のチェックインをする際にも確認した。

「何の問題もありません。通常通りのフライトです。」

 カウンターのオネーチャンの言葉を信じた自分がバカだった。当日、関空に着陸した飛行機は、私が乗った便だけである。それ以外の世界中から来る便は、すべてキャンセルになっていた。

 その日の深夜、私と通訳は、何とか大阪駅までたどり着き、翌朝の新幹線で東京に帰った。その後の2日間、食事はほとんど取っていない。お腹の中がグチャグチャに掻き混ぜられていて、胃が食べ物を受けつけなかったからだ。

 だが、次の日も、私は出社した。すると、通訳から電話がかかってきた。

「この仕事を辞めさせてください。」

 私は、必死に説得した。それが通じたのか、何とか1週間後には出てきてくれた。

 実は、私もこの時、とてつもない虚しさを感じていた。命を危険に晒してまで、敗戦処理をする必要があるのか。

 だが、そのことを上司に言い出すことはなかった。わずかに残っていた責任感だけが、かろうじて私を前に進ませていた。

 この頃から、坂を転げ落ちるようにして、私はまっしぐらに鬱病に向かっていく。

 もし、ここで降りていたら、再発はしていなかっただろうか。

次章 7.6鬱病を社長レースの踏台に利用される

ホームに戻る