7.6鬱病を社長レースの踏台に利用される
私は、中国で敗戦処理を続け、何とか期日までにシステムを日系工場に納品した。中国側エンジニアたちのインセンティブが低下することを懸念したが、それは杞憂で、彼らは、最後まで手を抜くことはなかった。送別会では、日中双方のほぼ全員が泣いた。御偉方の思惑とは別に、現場の技術者たちには、国を越えた信頼関係が確立していたのだ。
この頃、私は、すでに鬱病の域に入っていたと思うが、自分では気付かなかった。何となく気分が晴れない日が続いていたが、再発したとは思いもしなかった。10年前のことは、すっかり忘れていたのだ。ちょうどスギ花粉症の季節に入ったので、そのせいではないかと思っていた。
だが、2ヶ月後、「この感じ」は紛れもなく鬱病だと確信した。それでも、すぐには病院に行かなかった。「決められない」のは、鬱病の典型的症状だ。どうにもシンドくなって、会社の相談室に行ったのは、さらに1ヶ月後である。
診断結果は、やはり鬱病だった。会社の相談室は、合理化のために翌月廃止と決まっていたので、産業医が勤める民間の診療所に通院することになった。
さて、仕事の方だが、中国プロジェクトは解散し、私は、しばらく待機状態にあった。実はこの頃、会社の上層部では、水面下の争いが勃発していた。次期社長をめぐるレースである。候補は、副社長と常務2人の3名であった。
そのうちの一人、Y常務が、「50人50億円プロジェクト」なるものをぶち上げた。その年は、会社の業績が不振で、事業計画の達成が危ぶまれていた。売上高が、当初計画より50億円ほど足りなくなりそうだったのだ。そこで、Y常務が、「何とかしましょう。」ということで、一肌脱ぐことを宣言した。
1人1億円、50人で50億円の売上を目指すということで、全社から人が集められた。私も招集され、リーダーに指名された。机も電話もないフロアで、Y常務に次のように言われた。
「もうすぐ営業が大型プロジェクトを受注する。君は、お兄さん的存在として、皆を教育しておいてくれ。」
思考力も判断力も衰えていた私は、言われるがまま、いくつかのテーマ毎に勉強会を開催した。だが、参加する者は一部に過ぎなかった。
急な要請に出てくる人材に、まともなやつがいるはずもない。はっきり言って、怠け者ばかりだ。各事業部は、割り振られた数字さえ満たせばいいので、使い物にならない人間を選んで出してきた。そのため、プロジェクトは、ダメ人間のゴミ捨て場と化した。中には、業務の切れ目でやって来た、やる気のある係長もいたが、毎日のように私を突き上げた。
「これだけの人間を遊ばせているとは、どういうわけですか。」
だが、私は、「もう少し待ってくれ。」と言うことしかできなかった。
私が普通の状態だったら、「おかしい!」とすぐに気付いただろう。50億円を売り上げるのは、そう簡単なことではない。財務会計上は、システムが完成した時点で売上を立てられる。いわゆる完成基準という会計ルールだ。ということは、巨大システムを半年、1年で作り上げなくてはならない。それは不可能だ。そんな単純なことにも、頭が回らなかった。
Y常務は、実は10年前に、人事部長を務めていた。私が鬱病を発症したことも知っている。おそらく、今回再発したことも、相談室から情報が流れていたに違いない。
出世のために、私の鬱病を利用した!??
だが、渦中にいた私は、まったくわからなかった。
4ヶ月後、「50人50億円プロジェクト」は解散した。何の成果もなかった。だが、Y常務は、会社のために奮闘努力したということで、大いに株が上がったようだ。二番手だったにもかかわらず、めでたく社長になった。
その際、Y常務の直属の部長が、取締役に取り立てられた。これといった実績もない、無名の部長の抜擢である。意外な人事に、社内のあちこちで、噂話の花が咲いた。でも、私は知っている。Y常務の腰巾着として、「50人50億円プロジェクト」の段取りをつけていた。いつも常務と行動を共にしていたので、きっと他にも、いろいろと弱みを握っていたのだろう。
後日、別の事業部長から聞かされた。
「大型プロジェクトの受注など、実体はなかったよ。Yさんのスタンドプレーだったんじゃないかな。」
実に巧妙だった。でも、こうした権謀術数に長けていなければ、社長にはなれないのだろう(もちろん、他の能力にも秀でていたのは、間違いないと思うが)。
ここで思い出したのが、財務省の公文書改竄事件である。森友学園に国有地を安く売却したことを隠蔽するため、決裁文書が改竄された。加担させられた近畿財務局の54歳の職員は、その後、自殺した。彼も、鬱病だったことがわかっている。もしかしたら、佐川局長に鬱病を利用されたということはないだろうか。その局長も、安倍首相(および夫人)に忖度したばかりに、ひどい目にあった哀れな役人ではあるが。もちろん、これらは、あくまでも私の推測にすぎない。
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