第6の謎:対馬国から不弥国までの北部九州6ヶ国の戸数の合計がちょうど三万になるのは偶然だろうか?

表2 諸国の戸数/家数(再掲)

国名

比定地

戸数/家数(原文)

戸数/家数(現代語訳)

対馬国

対馬

有千餘戸

千余戸

一支国

壱岐

有三千許家

三千ほどの家

末盧国

東松浦郡

有四千餘戸

四千余戸

伊都国

糸島郡

有千餘戸

千余戸

奴国

福岡市・春日市

有二萬餘戸

二万余戸

不弥国

宇美?

有千餘家

千余家

投馬国

可五萬餘戸

五万余戸ばかり

邪馬台国

可七萬餘戸

七万余戸ばかり

 

 表2をもう一度見てほしい。ちょっと計算してもらいたいのだが、対馬国から不弥国までの北部九州の6カ国の戸数を合計するとちょうど三万になる。すると、投馬国五万、邪馬台国七万だから、三/五/七という中国で吉数とされる奇数が見事に並ぶことになる。これは単なる偶然であろうか。

 陳寿の記述をどこまで信じていいかという、根本的問題をはらんでいる。研究者や作家の中には、魏志倭人伝の中に出てくる数字に、かなり懐疑的な人たちもいる。

 例えば、邪馬台国の戸数七万戸は、いかにも多すぎるというのだ。一戸あたり五人とすると、三十五万人の人口を擁していたことになる。

古代から中世にかけて、記録に残っている世界最大の都市は、スペインのコルドバで、六十万人いたという。それに次ぐのが、カンボジアのアンコールで四十数万人である。日本最大の都市は、京都で、二十数万人である。

 こうした数字を見ると、3世紀における邪馬台国の人口は多すぎると言われてもしかたがないだろう。

 だが、私は、この時代における中国の役人の文字に対する信念を信じたいと思う。北部九州の6カ国の戸数合計がちょうど三万になるのはたまたまであり、やはり邪馬台国は約7万戸の国であったのだ。

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