第8の謎:「現在は、使訳が通じるところは三十国ある」の三十国とはどこのことか?

 

 国の話を続ける。魏志倭人伝冒頭の「もともとは百余りの国があって」には続いて、「現在は、使訳が通じるところは三十国ある。」との記述がある。使訳とは、使いや通訳のことであろう。では、三十国とはどこなのか考えてみよう。

本書のはじめで、魏志倭人伝の邪馬台国が登場するところまでを見てきたが、さらにその続きを読んでみよう。

 

『自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國、此女王境界所盡。』

「女王国より北は、戸数や道程などを簡単に記載出来たが、その他の周辺の国は遠くて詳細がわからない。次に斯馬國が有り、次に已百支國が有り、次に伊邪國が有り、次に都支國が有り、次に彌奴國が有り、次に好古都國が有り、次に不呼國が有り、次に姐奴國が有り、次に對蘇國が有り、次に蘇奴國が有り、次に呼邑國が有り、次に華奴蘇奴國が有り、次に鬼國が有り、次に爲吾國が有り、次に鬼奴國が有り、次に邪馬國が有り、次に躬臣國が有り、次に巴利國が有り、次に支惟國が有り、次に烏奴國が有り、次に奴國が有る。ここが女王の支配する境界の尽きる所である。」

 

女王国より北、すなわち対馬国から邪馬台国までの8カ国は、戸数や道程などは記載できるが、それ以外の斯馬國以下の21ヶ国は国名だけを記述したということである。

8+21=29

「使訳が通じるところは三十国」に一つ足りない。それでは、冒頭の狗邪韓國も倭国の一つとして数えるべきなのであろうか。しかし、魏志倭人伝の後のほうで、次のような一節がある。

 

『王遣使詣京都、帶方郡、諸韓國、』

「(倭)王が洛陽・帶方郡・諸韓國に使を遣わしたり、」

 

 ここで、諸韓國という表現が出てくる。狗邪韓國も、やはり諸韓國のうちの一つとみなすべきだろう。

 魏志倭人伝の冒頭で、狗邪韓國に関しては、土地柄や人々の生活の様子など何一つ触れられていない。陳寿が、倭国の一部と認識していたら、対馬国や一支国のように、もう少し詳しい紹介をしたはずだ。やはり狗邪韓國は、韓国に属すると考えるのが素直だろう。

 だとすると、あと一つはどこだろうか。魏志倭人伝は、さらに次のように続く。

 

『其南有狗奴國。男子爲王。其官有狗古智卑狗。不屬女王。自郡至女王國萬二千餘里。』

「その南に、狗奴国がある。男子の王がいる。その官を狗古智卑狗という。女王に従わない。(帯方)郡から女王国に至るまでは、一万二千余里である。」

 

 魏志倭人伝は、この後、倭人の風俗習慣を詳細に記述しているので、地理に関しての記述は、ここで一区切りである。ちなみに、魏志倭人伝は、地理の部、風俗習慣の部、歴史の部の3部構成になっている。

 女王が支配する境界の南に、狗奴国があって、女王に隷属していない。ここで注目すべきは、狗奴国にも王がいるということである。魏志倭人伝で、王がいる国は、伊都国、邪馬台国と、この狗奴国の3ヶ国だけである。

 「王」号は、勝手に自称できない。中国の皇帝から認められることが必要だ。伊都国、邪馬台国、狗奴国は、それぞれ朝貢し、中国に一定の地位を承認されていたということになる。

 ということは、狗奴国も使訳が通じていた国の一つということになるのではなかろうか。

あとで触れるが、狗奴国が、魏志倭人伝の後ろのところで述べられている珠儒国・裸国・黒歯国と同じ場所ではなく、ここに書かれているのは、倭国の一部という認識なのだと思う。

 これで、三十国である。一件落着と言いたいところであるが、やはり狗邪韓國も三十国に含めるべきだという学者や作家の強い考え方もある。なぜならば、魏志韓伝の中に狗邪韓國は出てこない(弁辰狗邪国というのは出てくるが)のが一つの理由であるが、さらに奴国が重複して出てくることも問題と考えるからである。次の謎で見てみよう。

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